失敗を許容する文化の構築についての深掘りと、現状としての打ち手について

そもそもの課題感

自らが所属した組織やフリーランスとして支援してきた組織の中には、失敗を許容できる文化を持ったチームと、失敗を許容できない文化のチームに二極化しており、その中間と呼べるチームはなかった。

その上で、失敗を許容できる文化を持ったチームの方が働きやすいチームであったことは間違い無く、その上で結果もついてきていたように感じている。

としたときに、失敗を許容できる文化をなんらかの操作に作ることができるのであれば、それは多くの組織にとっての生産性の向上にも直結するので何かしらの手段はないかと考えている。

自らの失敗すらも許容できないチーム

このような状態のチームがとても居心地が悪かった。他人の失敗どころか自らの失敗を許容することすら許されない独特の空気感があり、結果として「本来報告すべき事項」を隠すようになったり、定例などは全て実質をともなわない状態に陥っていた。

失敗=悪であり、これを防ぐために何十もの仕掛けが用意されており、それでも起きてしまった失敗については厳罰を持って処するといったところであった。

このような組織下においては独創性のかけらも存在せず、どちらかといえばマイナス評価をもらわないための逃げかたばかりが上手くなり、ポジティブな意味での組織の成長というものはあまり感じられなかった。

このような文化が生まれてしまった背景は、下記のようなものだと考察している。

・失敗による損失が大きいビジネスモデル
・年功序列の評価が基本であり、差をつける要素が減点方式
・そもそもとして、組織を変えていけると感じている人間がいない
・組織の規模が大きすぎる、もしくは中心にいる人物の影響度合いが強すぎることによって、組織を変えていこうという気概が生まれない
・自分の所属しているチームを良くしていく責任が自分にあるとは感じられない
・チームのメンバーを信頼するという観点がない
・チームのメンバーから信頼されているということを感じる場所がない

他人の失敗については許容できないチーム

一部のメンバーの失敗については許容しつつ、その他多くのメンバーの失敗については許容できないという組織もあった。

これはコアメンバーと呼ばれる古参メンバーの失敗等々については水に流す風習があるものの、新しく入ってきたメンバーなどの失敗は過剰な減点方式によってその人自体の評価を大きく下げ、結果として古参メンバーにとってだけの居心地の良いチームとなっていた。

このチームにおいては、どちらかといえば失敗の許容というよりも、いかにして他人の足を引っ張るかという部分が優先されており、その実は古参のメンバーがより居心地の良い場所をいかに作り上げるかという思想のもと組み上げられたというのが正しいと感じている。

文化的な背景としては下記と考えられる。

・自身の評価はなんとしても下げたくないという一部のメンバーの存在
・そのメンバーに対しての過大な評価と過大な権限の付与
・組織構造が歪であったとしてもそれを修正しようという動きを是としないチームとしての思想の徹底

失敗を許容しようとしつつも成功を第一優先に置くチーム

これは比較的若いチームに良くみられた。圧倒的な成功をしたいと強く思うが故に、失敗に対しての過剰な拒否反応があった。

また、資金、リソース的に余裕がないシーンにおいてもこのような状況が多く見受けられ、いかにして失敗を防ぐかという観点で日々の議論が行われるような状況にあった。

もちろんその中では失敗は許容すべきだといった話は出てくるものの、実態としては失敗に対してのリスクヘッジを考えることよりも、そもそも失敗をいかにして避けるかという議論に終始しがちであり、適切なリスク管理ができている状況ではなかった。

これらのチームの特徴として、成功の定義が曖昧というものもあげられる。どのような状態が成功かというものがあまり定義されておらず、それ故にそこを目指す過程の選択肢が曖昧になってしまい、結果として正しくリスクが見積もれないが故に、失敗を過剰に恐れるという悪循環に陥っているケースが目立った。

これらの文化的な背景は下記と考えられる。

・リソースが少ないが故の焦り
・未熟さゆえの失敗に対しての過剰な恐怖心
・失敗をリカバリーした経験の薄さ故の過度なリスクの見積もり

許容できる失敗と許容できない失敗

上述のようなチームと異なり、失敗を許容できるチームも多くあった。とはいえそれらのチームにおいても、許容できる失敗と許容できない失敗があった。

許容できる失敗の例

・失敗を見越しての失敗
・最善手を尽くした上での失敗
・不確定要素を読みきれなかった故の失敗

許容できない失敗の例

・事前にリスクを考慮しきれなかったが故の失敗
・過去の失敗の繰り返しの失敗
・最善手を尽くさなかったが故の失敗

つまりはある程度しっかりを考えた上でのトライを行ったケースの失敗は許容され、事前の考慮を行わず、トライについても手を抜いたケースの失敗については許容されなかった。

失敗を許容できるといっても、それはあくまでもそのチームの戦略としての失敗を許容できるだけであり、戦略に沿わない失敗については許容できるものではないと言い換えることができそうである。

また、失敗を許容できる背景には、メンバーに対しての信頼があるということも読み取れる。すなわち、しっかりと考えた上での失敗であるが故に「しょうがない」と思うしかないといった部分や、最善手を尽くすということは前提として存在しており、それ以上の部分は運否天賦であるといった割り切りがあると考えられる。

まとめるならば、下記の要素が失敗を許容する文化には必要であると言い換えられそうである。

・メンバーに対しての信頼があること
・運の要素に対しては割り切りができること
・チームとしての戦略が存在していること

失敗を許容できる文化を育てるためにできること

上記を前提とするならば、失敗を許容できる文化を育てるための第一歩としては「チームとしての戦略」づくりと言えるのではないだろうか。

メンバーに対しての信頼や運の要素の割り切りという部分は、個々人の慣れや成長によるものが大きく、それらは一朝一夕で身につくものではないと考えている。

しかしながらチームの戦略については明確に定義可能であり、これらは今すぐにでも実施可能なアクションといえる。

としたときに、初手としてすべきことは「チームとしての目的」をきちんと定義すること、その上で「現状のリソース」を正しく把握すること。その上で、目的を達成するための戦略を生み出すことに他ならないのではないか。

その上で、これらの戦略に沿うアクションに伴う失敗であれば許容し、失敗から学ぶことでより次のアクションの精度を高め、アクションと振り返りを繰り返す中で運の要素を学び、運の要素によらない個人の行動についてはアクションと行動の紐付きを見極めることで個々人が適切に行動していたことを理解し、結果としてそれらがメンバー全員への信頼と結びついていくのではないだろうか。

そしてこれらの要素が揃ったタイミングでは、失敗を許容する文化ができているのではないだろうか。

まいにちのご飯代として、よろしくお願いします。