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ともに。

こないだ書いたうちのアパートの間取りの話(床暖房の話)みたいにただただ長くって、面白くも何ともない話だから去年も一昨年も書いてないと思うんだけど、今年はちょっと書いてみようかなと思ったのは昨日のちゃりさんのnoteを読んだから。その日に限って2階で寝てたから助かった(亡くなった)なんて話が被災地には山のようにある。

29年前、私は夜のお仕事をしてました。
その年の今日は私はお休みで、残っていた青春18切符で城崎に行くつもりでいました。
当時私は兵庫県伊丹市に住んでいて、6時過ぎの北行きのJR各停始発に乗るためには、5時半頃に部屋を出る必要がありました。ところが、一旦起きたのになぜか部屋を出る気持ちにならなくって、まだ薄暗いし、着替えたまま、二度寝をしてしまったんです。そしたら、うつらうつらしている中で震災に遭いました。
伊丹は震度6~7を観測した場所で、新幹線の高架が落ちたり、2階に駅舎のある阪急伊丹駅がへしゃげたりしました。私、自転車でJR伊丹駅に向かっていたら、万が悪ければ、ちょうどその時刻に阪急伊丹駅の下を走っていた可能性があります。うん、たしかにちょうどそれくらいのタイミング。二度寝したおかげで助かったって感じです。(そうでなくても、目の前で駅舎が崩落したり、通り過ぎた直後にそうなったりしていたら、とても混乱していたことだろうと思います。すでに電車に乗って北上していたり、仮に城崎で被災していたらと思うと、その後どうしていただろうか、とても想像もできません。)

長い長い揺れが収まってマンションのドアを開くと、何が起こったのかよく分からないくらいに街はしんと静かで、でも、マンションの下にあった自動販売機はみんな倒れていて、もちろん部屋の中もぐちゃぐちゃで、電気も電話も通じないし、私、繰り返される余震の中、布団を被って寝ました。(馬鹿?)

 *** *** ***

私、揺れが長かったので、勝手に名古屋辺りが震源だと思ってました。「ここでこんなに揺れたんだから、名古屋は今頃…。」みたいなことを勝手に考えてたんだけれど、震源が淡路島北部だと知ったのはいつだったかなぁ。当日の午後くらいかなぁ?
夜の仕事だったけれど、部屋にひとりいてもすることがなかったので(実家とも連絡が取れなかったし。)、簡単な片付けだけして、昼ごろ、自転車で職場(尼崎)に出向きました。これは去年も書いたかも知れないけれど、めっちゃ天気が良かったことと、どこもガス臭かったこと、地面がでこぼこしていたこと、それから、コンビニの窓ガラスがすべて割れ、制服を着た店員さんはいるけれど、商品が棚にほとんど何も無かったことが今も記憶に残っています。

職場に着いたら小ボスから、
「帰りなさい。」
と言われました(という話も去年書いたかもしれない。)。
「来ても何もできることはないから、帰りなさい。」
事務所は、全職員のデスクやロッカーなどが部屋の奥(南西方向)に集まっていて、その一番奥に小ボスがスーツを着て(←イメージ)座っている。なんともシュールな光景でした。

その後数週間は、神戸以西の職員が出勤できないので、代わりに「お客さん」の安否確認を精力的に(?)行いました。自転車で、尼崎、西宮、芦屋、宝塚、伊丹、川西の避難所などを廻りました。私、当時からカメラが好きだったんだけど、そのときの写真ってきっと無いなぁ。写真を撮ろうという気持ち、まったく起こりませんでした。

職場が「通常営業」に戻ったのは4月頃だったのではないかと思います。