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相沢忠洋

『相沢忠洋』さんは
一般の考古学愛好家でありながら、
日本に縄文時代より前の
旧石器時代があったことを証明し、
日本の歴史を塗り替えた人物です。

大正15年、
横笛吹きの芸人である父『忠三郎ちゅうざぶろう』さんと、
母『いし』さんの長男として
相沢さんは生まれ、
その後、
妹3人、弟1人、の7人家族となり、
慎ましくも幸せな日々を送りました。

しかし、
ある日ひとつ下の妹が
風邪をこじらせて亡くなってしまい、
それまでの幸せな日常が一変します。

まず、
両親の関係が悪化し母が失踪。
相沢さんは寺や親戚の家に預けられたのち、
丁稚奉公に出されることになりました。

孤独で辛い日々のなか、
心を和ませてくれたのが
古代の人々が使っていた土器の破片です。

土器片を手に
昔の人々の一家団欒を想像するのが、
相沢さんにとって
孤独や悲しみを忘れさせてくれる
唯一の時間だったのです。

相沢さんの古代への関心は
どんどん高まり、
たまの休みには土器の採掘をしたり、
骨董品店や博物館に
出かけるようになります。

世界情勢が慌ただしくなり
第二次世界大戦が始まると、
相沢さんは海軍に志願します。
海軍の施設がある横須賀が、
あの幸せな日々を過ごした鎌倉に
近かったからです。

海軍では駆逐艦『つた』の乗組員となり、
出撃が目前であろうと思われた矢先、
予想外の終戦という結末を
聞くこととなりました。

戦後は自転車で各地を回りながら
食品や日用品を売って生活費を稼ぎ、

そのかたわら、
大好きな古代の土器や
石器の採取に没頭します。

ある日、
山すその狭い切り通しを通りかかった時、
赤土の地層から
石器のようなものを発見します。

これは信じ難いことでした。
赤土は火山灰が
降り積もって形成される地層で、
そのような時代に人々は
暮らしていなかったと
考えられていたからです。

しかし、
『もしかしたら』という思いが頭から離れず、
相沢さんは赤土の地層を見つけては
採掘をするようになります。

その後、
石器らしきものはいくつか発見しますが、
土器が見つかりません。

この謎を解き明かし、
歴史の真実を知ることが
いつしか相沢さんの夢となっていました。

来る日も、来る日も、
赤土の地層での採掘を繰り返し、
人に笑われ蔑まれても
情熱が途絶えることはありませんでした。

そして、
ついに確信をもって
石器だというものを見つける時がきます。

しかし、
考古学会で権威のない相沢さんが、
それまでの歴史を塗り替えてしまうほどの
事実を世に発表するのは
簡単なことではありません。

そこで意を決して、
芹沢長介さん、杉原壮介、岡本勇さん、
などの考古学者の方々に相談することにします。

彼らは手柄を横取りすることもなく、
その後の本格的な調査や
専門的知識による事実の裏づけなど
相沢さんに協力してくれました。

こうして、
日本に縄文時代以前の時代である
旧石器時代があったことが証明され、
それを発見した人物として
『相沢忠洋』という名前が
歴史に刻まれることになったのです。

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