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「親の家を片付ける」問題が、再び頭をよぎった

先日、我が家のニ軒隣の家に、長らくトラックが止まっていた。年老いたご夫妻が住んでいた家が放置されていたのだが、そのお子様(と思しき方)が来て、荷物を引き揚げているのか、はたまた処分されているのか、それにしても時間を要していた。結局、一日では終わらず、日を置いて訪問され、引き続き対処されていた。

訪問介護の仕事をしていると、生活の介助の仕事もある。一人暮らしのお年寄りの家に家事の手伝いに赴いているのだが、ふと上述のことを思い出した。
利用者様からは、遠くに身内の方が居るような話は聞いたが、この方に何かあったなら、それこそ遠方より来られるのだろう。お身内も大変やな、とも思うし、決して他人事ではないな、とも思う。

昨年、オトンを見送って、今は実家でオカンと暮らしている。知的障害の弟はホームで暮らしており、たまに呼び寄せているという生活パターンであるが、オカンに何かあった場合、実家の片付けはワタシがやることになる。
実は、2014年10月のミニマリスト生活開始に際し、実家の荷物の見直しも行なった。
今年で80歳になる、モノを捨てられない世代の代表のようなオカンと、その時は話し合いの時間を設け、オカンの意向に沿う形で、実家のものは少しだけ手放した。(少しと言っても、軽トラ4台くらい)
それでもなお、我が家には物は多い(と、ミニマリスト的には思うのだ)。
ただ、オカンの意見を無視して、我が意をゴリ押しすれば、亀裂を産むことにもなる。よってこの時は、双方の落とし所に着地させる形にしたのだが、ふと、この時のことを思い出してしまった。
いわゆる「親の家を片付ける問題」で、苦労する残された家族の話はよく聞く。残された物の多さに、離れて暮らす故の距離も重なって、確かに頭の痛い問題ではあるかと。
ワタシはまだ少しは着手したし、そもそも実家であるので、悩ましさはマシかもしれないが、独りで対処するのかと思うと、やはり考えてしまう話ではある。
少し前の本にはなるが、ミニマリストになりたての頃に読んで、そのインパクトに考えさせられた一冊である。

オカンと共に年を重ねたワタシも、今年で50歳か、、、実はもう、そう遠い話ではないのだと、中年ミニマリストは考えた次第である。

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