おかえりモネ…想像すること

おかえりモネ第16週が明日から始まりますね。それにしても第15週、凄まじかったですね。もうね、キャストさんや制作陣の気迫と凄みを感じて…浅野忠信さんが出ると聞いて見始めた私としては。もう…。重たいストーリーなので不謹慎かもしれませんが、すごくいいものを見た、というか。永瀬廉くんも本当に素晴らしい。作中でもどんどん上手になっているようで。もうりょーちんですね。演技力はもちろんですが、それだけはできない難役、ほかにできる人が浮かばないくらい!あ、1人だけ。若かりし日の堂本剛さんなら、見てみたいかもなぁと思いました。そんな永瀬くんの今後の活躍に期待もしつつ…15週もつらつらと、書いていこうかと思います。私はガイドブックpart2を読んでいるので、内容にネタバレを含むことがあります。嫌な方はここで読むのをやめてくださいね!

あ!これまで書いた2つの記事、想像以上にたくさんの方が読んでくださって、スキを押してくださって嬉しかったです!友達ともなかなか会えず、ドラマの話題でおしゃべりも気軽にできる状況でもないので書いてみたのですが、皆さんと一緒に、おかえりモネ、最後まで見届けたいなぁと温かい気持ちになりました!ありがとうございます!

りょーちんはどんな男なのか

私は1つめのnoteでも述べた通り、りょーちんはずっとモネのことを好きだったんだと思っています。幼馴染として、女の子として、誰よりも特別な存在として、大切に大切にしてきたのだと。中学生のモネがりょーちんに「吹奏楽部に入ってほしい」と頼ってきた時、「掛け持ちでいい?」とすぐに応えてあげた。その後すーちゃんがひょっこり顔を出してそっちに気を取られますが、入部届に記入するりょーちんの横顔、とっても嬉しそうな笑顔なんです。1番に自分のことを頼ってくれたこと、嬉しかったんだろうなぁと微笑ましくて。りょーちんの船室に飾られたカモメのモビール、永浦家で歌おうとしたカモメはカモメ。りょーちんは一途に新次さんを待ち続けた美波さんの気質を受け継いだ、お母さん似の男の子なんでしょう。自分のことを好きなすーちゃんとモネの仲がこじれないように、モネが傷つくことがないように、それでも困ったことや辛い時は側で支えられるように、「今は幼馴染でもいい」と、自分よりモネの心を優先して守ってきたのではないでしょうか?モネはその気持ちには気付いていなかったかもしれません。でも彼女もまた、りょーちんは自分に一番近く、一番分かり合えて、大切にしあえる存在なのだということはわかっていた。そしてそれがモネとりょーちんが幼い頃からの「当たり前」だった。だからこその「俺たちもあぁなってるかも」「だねぇ」だったんだと思います。そしてその気持ちが動き出そうという青春期に、震災が起き、全てが壊されてしまった…。りょーちんは母を失い、家と生活を失って、立ち直ることを拒みどん底にい続ける父と2人きりの家族になってしまった。今までのように、大切なモネを守ることも、頼りにされた時に応えてあげることもできない。モネを自分の背負うものに巻き込むまいと、心を閉ざして、あのバス停でモネを突き放したのだと思います。それでも彼は震災に壊された大切なものを、粉々になったまま全部抱きしめて、たった1人でグッと耐えている。何度辛いことが起ころうとも。そんな健気な男の子なのではないかなぁと思います。ただ、前にも書きましたが、彼はみんなより早く大人にならなくてはいけなくて、彼女ができた悠人、親に反発してみる三生、インフルエンサーを追って東京にきたすーちゃん、そして気象予報士試験や登米での生活という青春を経た幼馴染たちと違う道を歩いてきた。その分どこか、少年のまま心を取り残されていて…。

りょーちんが汐見湯を訪れたとき、彼は連絡もなく突然やってきます。「やば、マジでいた」と呟いて、とても嬉しそうに「モネ!」と大きな声で呼びました。まるで、「会えるなんて思っていなかった」とでもいうように。モネに話を聞いてほしいとか、助けてほしいとか、はたまた東京の彼氏を牽制しにきたとか、そういう気持ちはなかったのだと思います。高校を卒業してから彼は、キツい漁師の仕事に励み、仮設住宅でアルコール中毒の父を支え、父のために周囲に頭を下げ、それでもグッと耐えていました。そこに、側にいることを諦めていたとはいえ、大切にしてきたモネに彼氏ができたと聞き、それだけでは会おうとは思わなかったかもしれないけれど、さらに母の死亡届の話が出て、仕事に出れば、自分が1人にしてしまった父がまた酒を飲んで暴れたと聞く。畳み掛けるように辛いことが起こり、いくつものトリガーが重なって、モネの元へ足を向けたのでしょう。それでも「もしも会えたら、少しだけホッとしたい。顔を見たら、また頑張れるかもしれない」そんなほんのささやかなことを望んだだけだったのだとしたら、余計切ない。でも結局モネに話すことはできず、早く来てしまった菅波先生と対面してしまって…。本来の彼なら、感じよく挨拶したんでしょう。でも、大切な子の彼氏(?)相手に、「幼馴染です」なんて紹介して欲しくなくて、でもモネが悲しい思いをしないよう、菅波先生に悟らせることがないよう気を遣って足早に去ってしまう。自分の側にいることがモネの幸せにならないと思っているから、「そういうの、いいや」とあきらめている。でも自分の気持ちを全部隠してなかったことになんかしたくない。そんな態度だったのかな、と思っています。悲しくも、どこまでも優しく愛情深い青年…逆に怖い。でも、こんな多くを望まない健気な人ですら理不尽に傷つけられ救われないのが災害。嫌なヤツならいいってことではなく、災害がいかに容赦なくあらゆるものを奪っていくのかということです。

自分が見えない痛みに人は鈍感

及川親子の登場は第12週の、新次さんが台風の中船を動かしたとき以来です。その前は第8週の「それでも海は」です。モネの周りの優しく充実した日常と人々が生き生きと描かれているのを、「あぁ、モネがんばってるな」「汐見湯すてきだなぁ」「菅波先生かわいい!モネとうまく行って欲しい!」と平和な気持ちで眺めていると時折登場しては、その存在感と悲しさ、抱えるものの大きさで視聴者の心を抉ってきます。でも、モネが気仙沼を離れたらまた充実した日常が戻ってくる。時々おかえりモネを見ていると、お天気キャスターになるとか、鮫島さんのパートとか、「震災がテーマのドラマなのに、脱線過ぎない?」と思うこと、私はありました。でもこれは、震災から10年経った今だからこその、震災と私たちの距離感なのかもしれません。Twitterで「りょーちん達の生活があまり描かれないから、深刻さや悲壮感があまり伝わらない」という意見を見ました。確かに、りょーちんの漁の様子や新次さんの土木の仕事の様子、母のいない仮設住宅での生活、借金返済のこと、もっと詳らかに描けば、及川親子をもっと応援したい気持ちになるのかもしれません。でも、描かれていないからといって、その傷や痛みは存在しないというわけではない。被災者の方達の生活や心が、元に戻っているわけではない。東日本大震災だけでなく、次々と災害が起き、その度に被災者が出ている。被災していない人間の多くが、テレビやネットで大きく取り上げられている間は、心を痛めて、何かできないかと考えたり、思いを馳せたりするけれど、時間がたって自分の生活の中で目につかなくなるとパッと忘れてしまう。それ自体が悪いこととは言いません。できる時に、できることをする。そういうスタンスも間違っていないと私は思います。ただ、見えないものを想像するのをやめてしまうと、いざ考えようとするときに、被災者の方達の思いを汲むことに、疎くなってしまうんじゃないかと、このドラマを見ていて感じます。このドラマでいえば、ネット上で新次さんの生活について厳しい言い方をする人、りょーちんにはモネじゃなくて〇〇が必要と言う人、及川家を支えようとする永浦家のやり方に物申す人、モネの表情がよくわからないという人。いろんな人がこのドラマについて考えて、震災について考えたりしているのはいいことです。でも、私たち、前よりどこか、冷たくなっていないか?気持ちに寄り添うことより、正論を選ぶようになっていないか?それは震災から時がたって、想像しようとすることをやめてしまっているからじゃないか?ちょっと違うかのしれないけど、終戦の時期になると流れる戦争ドラマを見ているような時と、同じ気分になりつつないかと…。でも、被災地の方々は復興の途中にまだいらっしゃる訳で。これ、きっと震災のことだけじゃないんです。相手がどんな人物か、どんな反応をしているか見えないネット社会とか、煌びやかな面しか知らない芸能人、有名人への誹謗中傷とか、究極、今目の前にいる人だって心の中は見えないし。相手の気持ちや本当に必要としているものを想像することをやめて、相手に寄り添うことができなくなってしまっているのではないかと、このドラマと、ドラマを見ている自分自身から、そう思うことがあります。それこそ、このドラマの視聴者に対する1つの痛烈なメッセージ、アンチテーゼだとしたら、ものすごい脚本だな、と。そしてさらに、それを突きつけるだけでなく、もう一度一緒に想像しませんか?と手を差し伸べられているような救いも感じます。

みーちゃんとりょーちんが東京にきた意味

モネは決して、震災のことを考え、そこにいる人たちのことを想像することをやめていないとは思います。でも東京にいて自分の生活や仕事、恋愛もあって、いい意味でも震災と距離ができ始めてはいたんでしょう。それも私たち視聴者への揶揄かもしれません。モネのサクセスストーリーを見てきた東京に、とうとうみーちゃんやりょーちんがやってきました。さらに今週は、幼馴染たちも集結する。震災を感じさせる舞台が気仙沼だけで、東京は別の場所のようだったこれまでから、一気に、物語の舞台全てが震災にまつわる話になったのです。以前私は、モネがりょーちんやみーちゃんのために何かしたい、という気持ちに蓋をしてしまっていると言いました。津波を見なかった罪悪感と疎外感から。でもここからモネが見る世界は、ここまでの東京と違ったように見えてくるんじゃないかと思います。第17週では登米へ、18週では鮫島さんパート再びと、これまでの人々や場所と邂逅することが多くなりますが、これまでの罪悪感に苦しんできたモネが、自分の旅で浄化され、いろんな人に授けられたもので強くなり、改めて震災、みーちゃんやりょーちん、地元のこれからと向き合う準備ができて、心の蓋が外れる時が来る。そうして最終の気仙沼編へと繋がっていくのでしょう。…と思うと、やや長すぎたように感じた東京編も、意味がある時間だったのだなぁと思います。あ、まだ続くのか、東京。

失ったものが、どうか少しでも戻りますように

被災地の方々がここまで、どんな思いで復興のために努力をしてきたか、被災していない人間には想像しきれない辛さや苦労があったでしょう。人の命や、過ぎてしまった時間、震災がなければあったであろうはずの未来など、どんな努力をしても決して戻らないものの方が多いでしょう。でも、だからこそ、前へ前へと一生懸命進んできた被災地の方達に、思うのは、少しでも、もし戻せるものがあるなら、できるだけ元あったものがその方達の元へと戻りますように。そう思います。だからこそ私は、モネに震災前の明るさや朗らかさを取り戻して、幸せだった島での暮らしを取り戻してほしいと思いますし、りょーちんの元に、大好きだった女の子が戻ってほしいと願ってしまいます。地元に縛られろということではありません。すーちゃんのように新天地にいって、やりたいことをするのももちろん素晴らしい。でもそれは震災は関係なく、彼女の選ぶ道。震災前からあった未来です。そうではなく、震災によって奪われてしまった、生活、未来、人間関係などが少しでも戻ることがあったなら、それこそがここまで復興に努力されてきた方々が少しでも報われる時なのではないかと思います。

さて菅波先生とモネは

どうなるんでしょうね。(急に笑)

ガイドブックを読んだ時、「え、結局付き合うんだ?」って思ったのが私の本音です。私菅波先生はとっても好きなんですけど、りょーちんのところに戻ってほしいって思っている人間なので、ちょっと悲しかった笑。でも、どうしてだろうなって考えていたのですが、16週の予告のりょーちんの「わかってんでしょ」とモネの「先生が目の前からいなくなるの嫌」は告白の言葉ではないよなーとずっと気になっていて。りょーちんは自分に肩入れしようとするモネに「他の人がいるのに他の男に寄り添うのは無理だよ。(まして自分はモネのこと好きな訳だし)わかってんでしょ?」的なことを言い、菅波先生はそういう状況を知ってこその「嫉妬とかいうレベルではない」なのかな。とただのヤキモチの言葉かと思ったんですけど、りょーちんとモネの置かれている状況を知って、自分の恋愛とか気持ちとか、それだけで話たり決めたりできることじゃないって意味だったのかな、と思います。そして、「その彼を支えたいんですか?」と聞く。モネは菅波先生への淡い気持ちと、りょーちんへのなんとかしたい気持ちの間で揺れ動いて、「そういう気持ちもあるけど、でも、先生が目の前からいなくなるのは嫌だって思ってる」って素直な心情を吐露するのかな、と思っています。そして菅波先生はそれを、「今のあなたの気持ちがそうなら、それでもいいです」と受け止める。そして、事実上お付き合いが始まったような感じで、登米へ…の17週ですかね。そうなると、この後またモネは、菅波先生とりょーちんを選ぶ時がもう一度来るんじゃないかな。その時には、今決めきれないこの思いに、結論を出すんじゃないかなと思います。これは私の勝手な予想なので、まもなく始まる16週で明らかになるのが楽しみです。

16週、若い人たちのひたむきさとパワーに力をもらいながら、引き続きおかえりモネ、見ていきたいと思います。




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