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幼馴染戦隊の話

 最近友達と話をしていて、「メンバー全員が幼馴染のヒーローもの」のアイディアが出た。いろいろ関係性を作るのが楽しそうだし、そこからのドラマも作り甲斐がある。
 このアイディアをカタチにするかはさておき、まずは、偉大な前例についてきちんと噛み砕いて言語化しておく必要があると思った。

 というわけで、烈車戦隊トッキュウジャーの話をする。

 ヒーローに苛烈な曇らせを強いることで有名な小林靖子女史がメインライターを務めるトッキュウジャー。OPはサワヤカ度合いが突き抜けていて、戦隊の中でもトップクラスに好きな曲だ。
 小林脚本の魅力のひとつは、敵組織の内部描写が緻密なことであり、それは本作も変わらない。敵組織のボスもエイハブ船長、ドン・ドルネロ、血祭ドウコクに続く4人目の「カリスマで組織を纏めるオラオラ系」で、この辺も僕の好みに多大な影響を与えているのだが、ひとまず今回はさておく。

 トッキュウジャーの5人は、子どもの頃からの付き合いがある幼馴染だ。
 力の源が想像力――「イマジネーション」というのが本戦隊の特色だが、その無限大の想像力で、どんな不可能も可能にしてしまうのがレッド。第1話で久々に再開し、彼が誰だかわかった時の他のメンバーの反応も、「彼がいれば、なんでも本当になるような気がした」というものである。
 そして、頭でっかちなガリ勉眼鏡のブルー、クールで皮肉屋なグリーン、委員長気質で世話焼きなイエロー、怖がりで泣き虫なピンクという品揃えだ。幼馴染メンバーの構成としてかなり理想的ではないだろうか。

 男性陣はリトバスで言えば、レッドが恭介+真人、グリーンが謙吾といったところか。ブルーは、温厚でお人好しな性格的を思えば、理樹になるのかもしれない。
 女性陣はちょっとジャストな例えが浮かばないが、でも彼らの関係や会話の一部はどこかリトバスを想起させるところがあって、ノスタルジックだ。「幼馴染でヒーロー」をやる上では、外せない要素だと感じた。そう、おそらくノスタルジーは重要なテーマだ。

 トッキュウジャーの力の源が「イマジネーション」だという点も、このノスタルジックな印象に大きく寄与している。「あの頃、この仲間たちと一緒なら何でもできた」という、無限大な自信。幼馴染というのは、そういう側面を持つものだ。
 「イマジネーション」を原動力とするトッキュウジャーは、言ってみれば、ヒーローごっこの延長だ。だからこそ、その想像力で破天荒な戦いができるレッドのリーダーとしての資質が引き立つ。彼がその「一緒ならなんでもできた」という自信の象徴になるのだ。

 ところで、こうは思わなかっただろうか。「幼馴染なのはわかった。で、こいつらは今何してるの?」と。
 これからストーリーの核心部分について話す。ネタバレが気になる方は、白線の内側に下がってお待ちください。

 実はトッキュウジャーの5人は子供の頃以降のことが思い出せず、自分がトッキュウジャーになる前は何をしていたのかの記憶もなくなっている。その割に、記憶の欠落をそこまで深刻に考えていない様子もあったのだが、それらはすべて、「肉体を無理やり大人にしているだけで、実は全員8歳の子供だったから」ということが、中盤で判明する。
 それまで結構子供っぽいところが描かれてはいたのだが、「まぁ、イマジネーションが強いってことは子供っぽいってことだもんねぇ」とスルーしていた。それが普通にガチの子供だったのだからびっくりである。イマジネーションが低いグリーンとイエローは、ちょっと背伸びして大人ぶりたがるところがある子だったので、その辺のバランスもしっかり取れていた。

 トッキュウジャーの関係性は、ここも込みなので、どうしても触れないわけにはいかない。その前提を踏まえて1話を見ると、マジでみんな子供っぽいのだ。
 味方の列車から敵の列車に飛び移るときに、グリーンがピンクに手を貸すのだが、これが「ちょっと大人ぶった生意気な男の子と、臆病で怖がりな女の子」だと思うと、絵面以上にめちゃくちゃ可愛く見えてくる。そうでしょ!?
 イエローも、背後から襲い掛かろうとした敵戦闘員を、「ちょっと男子!」的なノリでしかりつけるし、ブルーも「銃を撃つときは脇をしめて……」と、ガリ勉っぽく悠長に思い出しながら戦ったりする。

 僕が特に好きなキャラは、ブルー(トッキュウ2号/トカッチ)と、ピンク(トッキュウ5号/カグラ)だ。

 トカッチは、「ガリ勉少年が空回りしながら戦う」という設定への解像度が高く、クールな知能系を気取ろうとするも、すぐに子供っぽいところが出てしまうのが微笑ましい。メンバーの中ではイマジネーションが3番目に高い(というかグリーンとイエローが低い)ので、実はどちらかというと子供っぽく伸び伸び戦う方が強いのではというあたりも好きだ。

 カグラは、「見た目は大人だけど、中身は臆病で優しい女の子(8歳)」というギャップがきちんとキャラ性に昇華されているのが良い。カグラに限らず、話の都合上、年齢の割には台詞回しが大人っぽくなってしまう場面は多いのだが、エピソードや細かい仕草はずっと実年齢を守っている印象だ。
 レッドには及ばないものの彼に迫るほどのイマジネーションを持ち、戦闘中も「私は強い……! 私は強い……!」と自己暗示をかけて凄まじい力を発揮する。このイマジネーションの高さと、臆病な性格が相まって、「子どもが戦いの恐怖に抗ってヒーローになる」というある種痛ましい設定を、もっとも端的に体現しているキャラになっている。

 「幼馴染ヒーロー」を描く際、ある種の全能感とノスタルジーが効果的な演出になるというのが見えてきた。
 トッキュウジャーは「正体が子どもである」というギミックを全力で活用しており、ここが全能感とノスタルジーに直結している。キャラの魅力も、そのギミックに絡んでいるからこそな感覚はあった。
 一方で、トッキュウジャーでは「あの頃と今の比較」ができないため、このあたりを押し出すと、また違った味わいのヒーローが作れそうである。
 僕は、過ぎ去った美しい想い出を示すものとして「黄金時代」という言葉が好きだ。ヒーローにもヴィランにも「黄金時代」をテーマに軸を設定して、スタンスや向き合い方の対比をさせていけば、なんかすげぇ好みの話が作れそうな気がしてきたなと思った。

追記メモ

 記事を読んだ友達から、幼馴染戦隊の実例として新選組を挙げられた。
 ヒーローと対比させるヴィラン側のモチーフとしてちょうどいい気がした。

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