エドガー・ドガとかいう性癖拗らせ陰キャ野郎
最近、ちょっと印象派の画家について調べる機会があった。
僕は絵画についてはてんで素人で、印象派が何をどうもって「印象派」と呼ばれているのかさっぱりわからないし、調べてもいまいちピンとこない。興味を持ったのは、どちらかというと画家それぞれのキャラクター性についてだった。その中で、強烈に興味を抱いたのがエドガー・ドガという男である。ドガは印象派の代表するひとりであり、絵に詳しくなくても「なんとなく見たことある気がする」という作品をいくつも生み出している。
間違いなく偉大な画家のドガだが、調べれば調べるほど、僕はドガに対して抱いた屈折したレッテルを拭い難くなっていった。
すなわち、「性癖をこじらせた陰キャオタク」というレッテルだ。
山田五郎の「ヘンタイ美術館」において、古今東西の名だたる画家を差し置いて、「本物のヘンタイ」と認定されたのもこのドガである。個人的には大変納得した。
ドガはフランスの上流階級に生まれた、いわゆるお坊ちゃんである。とは言え、祖父がフランス革命後に興した銀行で成功したばかりの、新興ブルジョワであったらしい。若きころから画家を志していたドガだが、父親の目を期にしてパリ大学の法学部へと進んだ。結局彼は、法律の勉強をほっぽりだして画家の道に進むことになるのだが、この、とりあえず最初は親の言うこと聞いて、結局あとから衝動的に夢を目指し始めるあたりに、ドガの人間性が垣間見える。親との対立を望んではいなかったが、自分が納得して進路を選んだわけではないので、あとから爆発しちゃった感がある。
さて、当時のフランス画家にとっての憧れは、「サロン」と呼ばれる美術展覧会に出品して王立絵画彫刻アカデミーに認められることだった。ドガもサロンに何度も出品し、審査員好みの作品を描いて常連になることもできたのだが、媚びへつらって他人好みの絵を描くことを嫌って、サロンに背中を向ける。気難しい芸術家。まさしくそんな印象だ。
ドガは友人のエドゥアール・マネと共に「やっぱ自分の好きな絵を描いてこそだよなー!」と反主流派を立ち上げる。これが後に「印象派」と呼ばれることになる。
ドガとマネはどちらもブルジョワの生まれで、家業を継ぐことを臨まれながらも画家への道を志したという共通点がある。だが、屈折した陰キャであったドガに対し、マネは陽キャであった。マネは父の望んだ試験に2回も落ち、結果的に画家の道へ進むことを親に認めさせている。ドガとは対称的に、世渡りのうまさを感じさせる。「サロンのアホどもに俺らの芸術はわからん」というスタンスのドガとは違い、マネは「俺の絵をサロンに認めさせてやる!」という考え方で、こちらにも違いがあった。
マネにはベルト・モリゾという美人の弟子(絵画のモデルもこなしている)までいるのだが、この辺にまで触れると話が再現なく広がるのでやめておこう。
とにかく、ドガの反サロン主義は、友人であるマネや後続の印象派画家にも理解はされなかった。みんなサロンに絵を出品したかったのだ。
少なくともマネはドガにとって良い友人であり、マネの死後、散逸しかけた彼の作品をドガが大切に所有していたことからもそれは読み取れる。だがそれでも作品の表現という点において、ドガは孤高であった。
印象派の画家は、だいたい屋外でスケッチを行う。自然の光を取り入れた作品が多く、開放的なシチュエーションを描いているイメージだ。
だがそんな中、ドガは都市の生活を切り取ったモチーフを好んだ。バレエのダンサーや競馬などだ。そしてこのバレエのダンサーの描き方に、ドガのこじらせた性癖を感じるのである。
ドガの描く華やかなバレエダンサーの絵の多くには、金持ちのハゲオヤジが登場する。
当時のバレエダンサーというのは貧しい生まれの娘が多く、観客として来る裕福な男性の愛人となることで貧困から抜け出すことができていた。そのパトロンとなるハゲオヤジを、ドガは自らの絵に毎回チョイ足ししているのだ。練習風景や、晴れ舞台での一幕を、どこか退屈そうに眺めるオッサンを、さりげなく登場させているのである。この質感はエグい。特に退屈してそうに描いてるのがヤバい。サロンだの印象派展だのよりも、pixivなんかにいそうな感じがめちゃくちゃしてくる。
もっとヤバいのは、ドガはそういう愛人を持った形跡が一切ないということだ。それどころか、陽キャリア充のマネとは対称的に、ドガは83年という生涯を独り身で過ごし、そこに女性の影というものは見られなかった。
「性癖をこじらせた陰キャ」という言葉の意味を、そろそろ理解できたのではないかと思う。
ドガは伴侶を持たず、愛人を持たず、そのうえで「華やかな舞台に立つ少女と、それをネッチョリした視線で品定めするエロオヤジ」の絵を描き続けたのである。これはもう、そういう性癖だからとしか言いようがない。巨匠というのは何かしらのヘンタイであり、突き詰めればネジの外れた性癖の持ち主であることには変わりないとは思う。だが、ドガのこれに関して言えば、あまりにも現代に通じすぎるというか、さっきも言ったが、pixivにいそうな感じがすごいのだ。
ドガの持つ、屈折した芸術家気質、陰キャっぷり、そして友人モネとの性格の対比。そのすべてが、このドガの性癖を味わい深くしているエッセンスになっている。
ドガは83年の生涯を独り身で閉じたわけだが、これを「孤独」と断ずるのはちょいとばかり傲慢というものであろう。だが、もし現代に生まれることができれば、彼は同好の士と共にアイドル物のNTR同人誌を描くことができたかもしれない。あと願わくば、純愛ものとかも描いてほしいと思った。
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