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大熊町での人間関係ー約束のいらない関係が二つ、三つ。

写真は、大熊町大川原地区の私のいやされスポット、S邸。ざる菊の名所として知ってる人は知ってるが、ざる菊があってもなくても私にとっては素晴らしいアミューズメントパークだ。「いい天気だな」「なんか私、疲れてんな」「そろそろあれの見ごろだな」と思ったら、てくてくと歩いていく。「いますかー」と声をかけ、いたらお話する。大体昼でも夜でもビールとつまみが出てくる。いなくても、適当に目的通りSさんの創作にあふれた庭を散策して帰る。

とーぉっても、ありがたい関係性である。
前に、「うちの町民には3種類いて、私は移住者で…」うんぬんと書いたが、それでいうと、Sさんは帰還した3.11前からの町民である。
私は大熊町だからこそ実感したり、意識したりする「町」にまつわるもろもろで悩むことを楽しんでいるが、Sさんちに来るときはそんなことは考えてない。人生の大先輩として、Sさんが好きで、この庭に来たいだけだ。


この日は、庭の自作の東屋で、前日の大熊町ふるさと祭りでもらった芋を炭火焼きしていた。

Sさんと話すと、ホッとする。私の日々の考えなんて、当たり前の日常の中ではどうでもいいことだと思う。基本、私がふらりと歩いて行って遊んで帰るが、たまにここぞという見どころが庭などに現れたときにはお誘いの電話がかかってくる。特定の目的を持っていそいそと出かける、それはそれで、うれしい。

長崎の実家で、子どもの頃から見聞した人と人の交流も、大体「おるねー?」とピンポンも鳴らさずに、会えることを期待しつつ、いなくても仕方ないというものだった。こういう目的や約束のない人間関係は、今の私には少ない。Sさんのほかに大熊に2軒ほど、約束があってもなくてもいい人がいて、ひとつはやはり大先輩、ひとつは同年代のおうち。それで充分だという気もする。

Sさんは、先日、NHKの「被災地から」みたいな、スケッチブックに今の気持ちを一言書きこんで発表する番組に出たそうだ。芋が焼けるのを待ちながら、「へえ、なんて書いたの」と聞くと「はやくみんな、帰ってこ、って書いた」と。
そっか、私はてっきり、Sさんは大川原での自分の生活を取り戻して、復興の枠組みを終えているのかと思っていた。ああ、Sさんはここで、みんなを待ってるのか。

自分の浅はかさを思いつつ、ふんふんと話をしていたら、避難先から町民が訪ねてきた。彼らのために芋を焼いていたのかな。先に食べちゃったよ。ほんの5分ほど一緒におしゃべりして、席を立つ。このあっさりした感じも、約束や目的のない関係性の、いいところ。


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