社会人1年目にもなれなかったわたしへ。

なにをもって社会人1年目と定義したらいいのだろう。

毎年春先、
新入社員の若々しさに出会うたびに、
選んでこなかった
パラレルワールドについて想いを馳せる。

演劇ばかりやっていて、
大学を1年留年して5年目で卒業した春。

2011年の3月だった。

通っていた大学はマンモス校で、
余震への対策として
卒業式は行われなかったことは、はっきり覚えている。

1年留年していたわたしは
仲の良い同級生もおらず、
家族と大学に出向き、殺風景な講義室で
記念品と証書を受け取って帰宅した。

袴は前から用意してしまっていたので
袖を通したけれど、

同じように袴を着た女子学生と
着慣れないスーツに身を包む男子学生が
ぽつんぽつんと点在するキャンパスは
不自然さが際立って、
卒業の実感がないままに、
わたしは大学生活の幕を閉じた。


そのまま飛び込んだ2011年春の〈社会〉は
とほうもなく混乱していて


安心、安全、保証、


なんて、
どこにもないのかも、という不安が渦巻いていた。


どこで笑えばいいのだと皆迷い、
仲間たちの演劇公演は自粛になり、
地震だけでは終わらなかった大事故を
好きなアーティストが揶揄って歌い上げ。

連日友達と電話した。

当日なにをしてたのか、
家族や親戚は無事なのか。

これからどう生きるのか、
なにをしていくか、なにができるのか。


やりたいことをやりきって生きたい


そんな言葉がみんなの意識に
浮かんでは消えていたと思う。


わたしの体感では、
あの年を境に、女性の結婚する年齢が高くなっていった気もする。

いろんなかたちが認められていった気がする。

どう生きるかが問われていった気がする。


あのとき。
社会に飛び込んだあのときが
あのときだったから、

わたしはそのあともがいてもがいて
自分にしかできない仕事を探して、
見つけられたのかもしれない。

それぞれの世代に起こった時代の波は
必ずそれぞれの無意識に刻み込まれている。
だからこそ年代が違えば価値観も合わなくなるし
考え方なんて合うはずがない。

だけどね。

それすらも、
大きな視点で見たとき、きっと意味があって、
それぞれが違うからこそ、
生まれていくものがあって。

役割を生きていない人なんて、
きっと一人もいないのだと、そう思うようになった。

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