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波乗りジャーニー/リンノスケ

 こんな世の中でも自然の摂理は変わらず、春は春らしくこの季節に訪れ、僕の耳にもサニーデイ・サービスが囁いてくれています。みなさんお元気でしょうか?先週の井上に続き今週はリンノスケがコラム的なものを書かせていただいております。

 日々変わりゆく混沌とした世界。まず僕の事を言うと、今年の舞台のスケジュールがどんどん中止になっていき、あと一つ残っていたものも、「今年の開催はなくなりました」と月曜日に連絡が来たところです。もう仕方ないことですし、一喜一憂もしないのもおかしいですが、ただわかりましたって感じです。みんなはどうしているだろうかとSNSをみると、プライベートとパブリックの境目も混沌としている。ただその混沌の中に真実はあるもしくはないとは誰にも言えない。

 今は一日一日を咀嚼し、陽の光を浴び、夜風に当たりながら過ごしていて、かつてのような何気なく過ごせた日々の尊さを瞬間瞬間に感じます。如何せん時間もでき、そのような行為ができる時間を得た喜びもありますが、一日の時間の中でどうしようもない寂しさに近い【波1】のようなものが押し寄せることがあります。

 もともと【波1】とはうまく付き合ってきたつもりだったけれど、今まで通りのパドリングでは大きくなりすぎたその波に立ち向かう事はできず、なんだか流されてしまいそうで。そんな時は知り合いがおすすめしてくれた映画や音楽や本を観たり聴いたり読んだりして、感想を言い合うようなことをしたり、ただ空を見つめ白昼夢を見たりして、心の所在を自分と他者との繋がりで見つけているのですが、そうすると収束後のことを想像するとこれはこれで尊いなと感じであろう【波2】が押し寄せます。この波は未来の波にもかかわらず、そこに押し寄せています。予測波とも言うべきでしょうか。しかし、この【波2】は【波1】のような負の要素を纏ったようなものではなく、かと言って正の要素含んでいるとも言えないようなものの気がします。

 これから生きていくなかで【波2】の概念は、自分にとって従来の価値観では感じ取りずらかった、繋がり、存在、時間、そしてそれらの尊さをもたらしてくれるパーツになり得ると感じます。この尊さを感じてしまうとつい過去のことばかり感じて後ずさりしてしまうように思えるけど、違う。「それで自分はどうしていくの?」というコンパスを手に入れたような、手のひらを見れば何か書いてあるような、自分という自分がもうひとりいるような、自己との対話のツールをきっと見つけたのではないかなと思っています。

 とは言っても今更生き方などは変わらずで、変わるのは行き方。つい目先のことばかり考えてしまって最短距離で行く時もあっていい、けど寄り道をして要素の1つや2つを纏って行ってもいいんだ。その行き方は一歩踏み出す前に深呼吸をして自分のコンパスを見て進む。どんな行き方であっても未来のことなんて誰にもわからんのじゃ。来る波に乗ってただ旅に出るだけ。

 最初の頃はこの状況が落ち着いたら何か1つでもできることが増えてたらいいなとなんとなく思ってたけど、春が毎年来るように自然の摂理は変わらずであって、やっぱり咀嚼しながら普通に過ごそうと今は思いました。

 金柑後味苦っ。

NHK北海道『3ROOMS〜かっこいい隣人』ご視聴の皆様ありがとうございました😊

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