わが子の熱性けいれんを経験したら、世界が一変した。
フルタイム復帰を果たして、わたしはどこか浮かれていた。子供の病気はいつも現実に引き戻してくれる。
初めての熱性けいれん
6/11(日)深夜、リキの苦しそうな寝息で目が覚める。身体に触れると、かなり暑い。夫を起こして、30分ほど様子を見ていたとき、痙攣が始まった。
急いで救急車を呼んだが、痙攣自体は1分ほどで治り、救急病棟でも「熱源は不明ですが、熱性けいれんで間違いないでしょう(脳炎などとの鑑別)」と言われて帰宅。
2度目の熱性けいれん
6/27(火)夫が帰宅した20時半ごろ、発熱に気づく。38度を超えており、痙攣どめの坐薬を入れるか悩んでいるうちに、2回目の熱性けいれんを起こしてしまった。
2回目だったので、すぐに救急車を呼んだ。電話をかける夫の声が震えている。わたしは必死で動画を撮った。
今回も手足の動きは2分程度で治り、泣き声が聞こえたと安心したのも束の間、なんだか様子がおかしい。
泣いているけど、表情がない。目線が斜め上で合わない。ママの呼びかけに反応しない。驚いて抱き上げるが、手足が硬直して反り返ってしまう。
救急隊が到着した、すでに10分が経過している。「今月2回目?」「目が合わないね…」という隊員の言葉に不安を覚えながら、わたしとリキで救急車に乗り込む。パパと別れるとき、リキの泣き声が一際大きくなったので、意識はあるのだと確信した。
車内で、相変わらず反応のない息子に話しかける。
「リキの好きな救急車だよー」
「ピーポーピーポー聞こえるかな?」
「もうすぐ病院着くからね」
「ママが着いてるから大丈夫よー」
「パパも後から来るから安心してね」
「ピーポー、かっこいいねー」
「ピーポー、すごく早く走るねー」
「ガタガタ揺れるね、ママにギューしてね」
サイレンの音に耳をすませるように、リキの泣き声が小さくなる。そのうち、手足の緊張も緩んできた。
リキの顔をのぞき込んだ救急隊員が「目線合ってるよ、もう大丈夫」だと教えてくれる。少しホッとする。
ここまでで15分、まだ言葉を発さない。園でも1番おしゃべりだと言われる息子、声が聞きたい。
救急病棟のベッドに寝かせる際、嫌がって泣く。同時に、大声で「パパ!」と叫んだ。20分が経過していた。安堵を通り越して、思わず笑ってしまう。
死んだように生きていた
リキはあまり熱を出さない子だった。自分がフルタイムに戻ったことで、無理をさせてしまったのだと思う。
2歳になったばかりで、8時〜19時過ぎまでの園生活。
そりゃ、キツイよね。大人だってしんどいわ。お迎え、早く行くからね。
同時に、我が子と思いっきり遊んでこなかったことを激しく後悔した。どのくらい楽しい経験をさせてあげられたかな。いつも暗い顔していたな。
平日はもちろん、土日も遊びすぎないようにしていた。疲れて熱を出すと仕事に支障が出るし、わたしが面倒を見ることになるから。滅多に遠出はせずに、パパが近所の動物園に連れて行くだけの単調な週末。
意識のないリキを抱いたとき、命って儚いと思った。こんな幽霊みたいな生活で、なんのために生きてるんだ。
いつまでも省エネしていないで、人生楽しむと決めた。わたしの育児の目標は、良いお母さんになることじゃない、仕事と育児を両立することでもない。週末にリキと全力で遊ぶこと。もっともっと体力をつけなきゃ。
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