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躁鬱(双極性障害)の人の気分安定の鍵

ある病院関係者と話しているとき、「この病気の人は能力の高い人が多いんですよ」と言っていました。その方が接してきた人達が能力が高かった、という体感なのか、何かデータがあるのか不明ながら、私のことではないと意識しました。

こういう言葉は、自分に話されると解釈を都合よく捻じ曲げて、「わたし、この病気だから能力が高いかもしれない」のような、間違った思い込みに繋がる恐れがあるので、真に受けてはいけないし、そもそも、「躁鬱=能力高い」とは言ってないですね。

能力が高いと思い込んでしまったら、「何かに秀でなくちゃ」とか「一攫千金ねらうぞ」といった、間違った方向へ努力し、失敗し自尊心が折れ、鬱になることだってあるかもしれません。

可能性にかけるとか、夢を追うのではなく、私の場合、1日の生活に目を向けて、できることを継続することで安定しています。

1日の生活に目を向けた時、今やるべき行動は

・夜同じ時間に寝る
・朝同じ時間に起きる
・3食同じ時間に食べる
・排泄する


これらが整ってなくて、仕事が・友達が・と悩んでも、前に進めないです。

そのほかには通院です。

病院に行っても治るわけではないし、先生が話をたくさん聞いてくれるわけでもないです。何のために行くか?といえば、まず「行く」こと自体が目的になります。これは考えてるだけとは違って、行動なので、躁鬱に向き合う行動を継続できている証拠、通えていれば自信になります。

表面上は軽く問診を受けて、薬の調整が必要ならしてもらうだけですが、最大の目的は私のことを、先生の客観的な目で観察してもらい、記録してもらうこと(私の情報を蓄積すること)だと思います。

先生との相性はそんなに重要ではなく(私の場合)、先生の人間性というより専門性に頼っている感覚でいます。

受診の際はパートナーにも同行してもらい、私の申告、パートナーからみた私、先生から見た私にズレがないか確認して、記録してもらっています。時間的には5分から10分はかからないくらいです。

躁鬱で自分を客観的に見るのはかなり難しいので、自分よりも先生の話を信用する、とあらかじめ決めたり、冒頭の話のような「あなたのことではない」話に気づけるように、普段から事実と推論を分けて考えるよう心がけています。

論理的思考や合理的判断が出来る人に相談したり、自分でも意識的にリアリストに寄せるのが、安定の鍵になっています。



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