親不孝者
1年ほど前から職場で虐められていたと、母は言った。もう辞める事にしたと。
なぜもっと早くに言わなかったのかと、問うた。そんなこと分かりきっているのに。信用されていなかったのだ、私が母を信用していないのと同様。
貴女は気にしなくて良いからね、と母は言った。家庭は少し大変なことになるけれど、仕送りは要らないと。貸した学費いつ返せる?でも無理せず自分の為に使いなさいと。
なんて聖人なのだろうと思った。家庭のことは全て1人で何とかするつもりらしい。つくづく信用されてない。
ドロドロの職場で1年耐えた挙句手に入れた地位を捨て一家を養う為に一からやり直すつもりらしい。
思い返せば、3年ぶりに実家に戻った時の母は別人かと疑うほど丸くなっており(精神的な意味で)、空恐ろしくすらあった。虐めはちょうどその頃だったのだろうか、言葉に棘が無くなっていた。老いたからかなと勝手に思っていた。
自分はなんて親不孝者なんだろう。東京の大学に通う為に上京したきり殆ど顔も見せないどころか連絡もせず、借りた1年分の学費を未だに返さず、3年ぶりに帰ったと思ったら顔を合わせれば激しく言い合い、改善すべく距離を置いたら全く話さなくなり、急にまた上京するとか言い始める娘。
楽しかったのだ、一人で生活することが。
お小遣いが無かったため、上京するまでまともに買い物をした事が無かった。スーパーマーケットの全ての野菜と値段をメモし金銭感覚を身に付けるところから始めなければならず、トマトの高さにびっくりした。今まで買い物をまともにした事が無かったせいで苦労していると伝えた時、母は、お小遣いが無くて良かったでしょ?と言った。そのお陰で今までお金を使い過ぎること無く生きてこられたのだと、言いたいのだろうか。
お小遣いが無いと友達に言うと、良いなあ、欲しいって言ったら買ってくれるんでしょう?と言われた事がある。欲しいものが何一つ手に入らない生活の存在が、友人には理解できなかったらしい。いやなに、そこまで辛いものではない。望んでも得られないと物心ついた時から知っているのだ、早々に何かを欲しいと思うことは辞めた。
しかし必要不可欠なものは絶対にある。ノートが欲しいと言ったら、この前貰った自由帳で代用しろと言われた。仕方が無いので使用済みノートの余白に板書を写して乗り切っていたが先生にバレてこっぴどく叱られた。小学生の私は理解ができなかった。
中学に上がりカラーボールペンが必要になった。欲しいと言うと会社名が書かれた貰い物を渡された。そう、あのやっすいやつ、超掠れるよね。途中でインク出なくなるし。6年間、安物のペンを使い続けた。
私抜きで部活メンバーはピクサー展やディズニーに行っていた。母に言ってもお金を出してくれないだろうと思っていたので予め断っていた。昼下がりに洗濯を手伝いながらふと、今部活の友達はみんなディズニーに行ってる、と誰にともなく呟いた。行かなくて正解だったでしょ、と母は言った。私は私の感情が分からない。母の感情も分からない。私にできるのは、手に持っていたシャツを下ろして無言で立ち去ることだけだった。
ピクサー展、今になって後悔してる。行っとけば良かった。どちらにせよ行けないことには変わりないんだけど。
お陰で今も物欲は薄く、好みもほぼ無い。
つまらないものである、と言いたいがコレがノーマルなので今更何も思わない。
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