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退屈と眠さの関係

 運転免許証の更新だった。試験場の近所に住んでいたことがあるので、ぼんやり歩いても着くだろうと思っていたら1ブロック間違えた。
 今回は残念ながら違反者講習である。2時間の講習が課せられる。着いてから講習開始まで一時間待たされる。何年か前もここに来たことを思い出す。
 硬い椅子に座り講習を受ける。だんだん眠たくなってくる。教官の語りは、聞けば真っ当な話である。誰もぶつかりたくないし、ぶつかられたくない。殺したくないし、殺されたくない。ルールは守りましょう、そりゃそうだ。しかし眠たい。隣の人の貧乏ゆすりがひどい。別の席に行きたい。でも席を移るわけにもいかない。

 なんで眠いのだろう。内容を期待してきた講習会ではない。これは新しい免許証を貰うための通過儀礼なのかもしれない。儀礼は退屈なものだと言われるが、「退屈だと眠くなる」というフレーズを何の疑いもなく受け入れているということはどういうことか。退屈とは何か、そしてどういうとき人間は眠くなるのか。

 Wikipediaによれば、退屈とは「なすべきことがなくて時間をもてあましその状況に嫌気がさしている様、もしくは実行中の事柄について関心を失い飽きている様、及びその感情である。」らしい。
 受動的であり続けることを要請されることに不満を持っているということだろうか。講習会の内容ではなく、ご褒美=新しい免許だけに興味があるので最早飽きているのだろうか。
 いまそこで語られていることばは、だれかに向けて伝えようと思ってなされているものではないのかもしれないと、ふと思った。内容に注意が払えないのは、宛先不詳のまま一方的に語られ、かつそのノリ(ノラナイかもしれない)に乗れないからだろうか。そうなると、受取り手の問題でもある。あっ、隣の人スマホいじり始めちゃった。
 では眠くなるのはどんな時か。夜になったら、体が疲れたら、眠たくなる。ある程度安全が保障された時は安心して眠れるのかもしれない。ところで赤ん坊はストレスがかかると寝落ちするとも聞く。動物の仮死状態と近そうだ。だとすると、安全でも安全でなくても眠ったと観測されるような状態にはなりそうである。今度は眠たくなることと眠ってしまうことと眠っていることは微妙に違うような気がしてきた。誰かの携帯が鳴っている。
 今起こっていること。注意を払えないことを聴き続け、身動きもできない状態で長時間拘束される。字面だけだとそれだけで危機のようにみえる。安全な環境であれば眠たくなる説は、これに当てはめていいのだろうか。立ち歩いたり私語をしたりおやつを食べることを禁じられて、毎日同じように同じことを繰り返しているであろう教官の言葉を、誰に向けてかもわからないその言葉を、聞いているふりをしながら、狸寝入りのごとく自分を守るために気絶する。それが眠気の使い道なのだろうか。

 DVD視聴の時間になった。教官がリモコンを操作している。メインメニューには大きく「優良運転者向け」と「初回・一般・違反講習者向け」の二つのバナーが表示されていた。優良運転者向けの方がやや放映時間が短いらしい。
 動画が終わっても、教官は部屋に戻ってこなかった。5分ほど遅れて、教官が部屋に戻ってきた。そのあと、準中型免許が新設されたとか環状交差点の通り方とか、最近の道交法改正について説明があり、お開きとなった。

やっぱり免許の更新は儀礼で、つつがなく終わる、ということが大事で、渋滞中も居眠り運転しちゃだめだよ、ということを伝えたかったのかなぁ、と思った。


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