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『エレガントな毒の吐き方』 中野信子 2023 日経BP / 『教養悪口本』 堀本見 2021 光文社

本日は二本立てです。

「エレガントな毒の吐き方」 概要

「京都をのぞく時、京都もまたこちらをのぞいているのだ」

p1

 京都人が相手にわからないように言う嫌味のことを「イケズ」と言う。
 彼らは相手が自分の発したイケズを感じ取るか、無視するかで今後の付き合い方を決める。こうして、ストレスなく適度な距離感の付き合いができるようなる。
 つまり、イケズとは相手の言語理解力を測る手段であり、防衛手段でもある。

ポイント

 論破することと互恵関係を築くことは二項対立として語られる。
 もし流動性が高く、インフラが整った環境が続くなら、論破するのが有利である。
 しかし、長期的な人間関係が半ば強制的に続き、他人の助けを借りなければ生き延びるのが難しい場合は、互恵関係を維持することが有利である。

 コミュニケーションも関係性も一時的なものではない。嫌な相手でも完全に縁を切らず、曖昧な形のままにしておけば、状況の変化に応じ、コストやリスクを最小限に抑えて関係を再構築することが可能となる。

 イケズとは、戦略的に曖昧さを残し、余白と緩衝地帯を巧みに使いこなすという「エレガント」な人間関係の知恵である。

感想

 筆者は由緒正しい5代は続く江戸っ子で、京都人の操る「イケズ」に大いなる恐怖と尊敬の念を感じて執筆されたようだ。
 とりわけ京都で洗練されてきたとはいえ、東京と比較すれば流動性の低い全国各地に「イケズ」と同系統のコミュニケーションはあると思う。私はそう感じる(千葉出身)。
 イケズを習得することは不可能でも、それがどのように運用されているかがわかれば、こちらも要らぬストレスを感じずに済む。なぜなら「イケズ」の目的は相手との関わり方を判断するためだからである。
 ちなみに「流動性の高い、インフラが整った環境」として挙げられているのが東京のような都市や「インターネット上」である。論破が流行るのがネット上というのは頷ける。

 そしてこの本を読みながら、ずっと自分の頭にあったものが次の本である。

「教養悪口本」 概要

 悪口には「つまらない悪口」と「面白い悪口」がある。
 知性とユーモアが宿れば、悪口は面白くなり、嫌なことや不快なものを笑い飛ばす原動力になる。
 不快さを、楽しさや知的好奇心に変えられるのが「正しい悪口」である。

ポイント

ヴァレンヌ逃亡事件じゃないんだから

p72

 上記は「余裕ぶっこいたせいで遅れる人」(p73)向けの悪口である。

 筆者は「インテリ悪口」を書き続けることで、専業のインテリ悪口作家となったという。継続したことは才能になると、前回紹介した「中学生のためのテストの段取り講座」にも書いてあった。私も継続しよう。

 この本は「エレガント」というよりは、かなりアグレッシブな、というか私の感想をストレートに言葉を選ばず表現するならば「ゲスい」(褒め言葉として)悪口集である。
 「エレガントな〜」がイケズを発する主体=京都人を、江戸っ子の目を通して、外から観察して書かれた本だとするならば、この本は発想の主体が筆者なので、その距離感も反映しているだろう。
 しかし、誰かの一言によって緊張した空気へ一石を投じる威力はある。「イケズ」と比較したら相当リスクが高い感じはするけれど。

何が言いたいかというと

 テニスのラリーをしていて、打ち込まれたくないところに打ち込まれた時、それでも返球できた時はとても嬉しいものである。
 この手のイケズ・悪口を、意図を読みとった上で、自分の返答の意味を違えず入れ込んだ上で(二重以上の意味にとれるとなお良い)、さらに上手い返しをできたときは至上の喜びがある。
 たとえテニスボールの代わりにウニが飛んできた(cf. 南国少年パプワくん)ところで、それでもお構いなしにゲームが続けられるのであれば、それは好敵手としてかけがえのない相手となろう。

 サウイフモノニ ワタシハナリタイ


※本の要旨と感想を、1000文字以下でまとめることを目標にしています。
※あくまでの私のメガネを通した見解に過ぎないので、ぜひ実際に本を読んでみてください。

※こうやってわざわざ注意書きまで記して、フォーマットを決めて書こうとしているのに、どんどん逸脱していくのですが、これは筆がのっているということなのだろうか。
※2冊紹介したから、1000文字を逸脱して2000字までならもいいだろうか。
※「イケズ」と「ゲスい」をずっと見ているとゲシュタルト崩壊が起こりそうです。(20230611)

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