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賞味期限

 万年筆を持っている。10年以上前、人生のうちで最高にどうにもならない時期、何か良いものを持ったら少しでも何かが好転するんじゃないかと、奮発してこれまで持ったこともない万年筆を買ったのだ。名入れまでしてもらった。

 万年筆を手に入れて変わったことは、ペンが一本増えたこと以外になかった。習慣的に使うようにはならなかったので、使うたびに手入れをする羽目になる。

 何回か引っ越しをして、その度に自分の物を減らした。一番簡単に捨てられるのは賞味期限切れの食べ物の次に自分の荷物である。自分の決済されあれば良い。ある時期まではとても自分の荷物が多かったけれど、しまう場所を失った、今は使いきれない物たちがプレッシャーとなっていくのだ。そんなものをどんどん手放した。気持ちが軽くなった。

 インク瓶は引越しのたび持っていくものの、定位置がつくれなかった。いつでも適当な場所に存在していた。おさまる場所に落ち着けなかった。

 ある日、万年筆を手入れしようと思い立った。ペン先を紙コップに入れ水を注ぐ。水はゆらゆらと黒くなった。足そうと思ったインクの外箱に、今まで気づかなかった製造年月日が書かれていた。「製造 13.11.20」

 万年筆のインクの寿命は、開封してから2、3年らしい。人によっては10年経ったものも使う人もいるらしいが。

 もう重荷にしかなっていたインクに、お暇をあげる機会だと思った。

 私は何か負荷をかけないと生きていられない性分なのかもしれない。何も問題なく回っている時、あるいは問題がもう自分ではどうにもならなくなった時、自分から課題を探しにいく。負荷をかけることで、今のバランスを崩して次に進んでいくためだったり、他の問題に手をつけることで、従前の問題から目を逸らすためだったりする。

 そうしているうちに、もっと大きな問題にぶち当たるのだ。もっと大きな問題が起これば、それ以外の問題にはとりあえず手をつけられなくなる。私は問題が起こるのを待っているのだろうか。いや、心穏やかに暮らしたいはずだ。しかし心穏やかな暮らしこそ、想像ができなくて心がざわついてしまう。日々の生活が幸せだと感じると、地面がひっくり返るようなことが起こる。

 ペース配分なんてできない。始めたものは途中で止まる。でもやめたわけではない。何年か経つと、気がつくと色々なことができているのだ。

 全てのことは、未来になってから振り返らないとわからない。

 

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