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Virtual俳句週刊誌『歌想句感』Vol.3 木・金曜号「先生の俳句① 〜空蝉や〜」

 コンコンちゃ〜!
 俳句系千年狐Vtuberきつネつきです(🤘🏻・ω・)🤘🏻
 Virtual俳句週刊誌『歌想句感』 木・金曜号は、俳句にまつわる内容ということで、今回は僕の先生の俳句のお話をば。




1.先生の俳句を読み返す

 さて、前号で触れたように、僕には二人の先生がいた。そして二人目の先生は、俳句を詠む人だった。今回はその二人目の先生が詠んでいた俳句について。

 前にも書いた通り、二人目の先生がせっかく俳句を詠む人だったのに、当時の僕は俳句に興味を示さなかった。そんな余裕がなかったとはいえ、今でも後悔している。だから先生の俳句も、今になって改めて読み返すことが出来たものだけしか、紹介できない。本当に悔しい。
 かと言って、先生の遺した句を全て取り上げるわけにもいかないので、今回は先生の句集の最終巻から、いくつか取り上げようと思う。句集と言っても、執筆の際に書き損じた原稿用紙の裏紙に書き付けられた俳句たちを、詠まれた日付の順に、先生の甥っ子さんが先生の死後にまとめたもの。皆さんは先生のことをよく知らないと思うが、この年月日まできちんと書き付けているところ、本当に先生らしいと思うのである。

 まずはこの一句。

 ◇われの生きた証は何ぞ草の花
          風前亭燈火

 先生が亡くなったのは七月。この句はその前年の秋、十月に詠まれたものだ。風前亭燈火(ふうぜんてい とうか)は、晩年に先生が名乗っていた俳号。病に罹ってから使い始めたもので、読んで字のごとく「風前の灯火」から来ているのだろう。 自らの命の儚さをただ嘆くだけに終わるよりも、ええぃ!この際名乗ってしまえ!という、ある種の開き直りのようなものを感じる。どこか正岡子規に倣った名付けのような気もする。
 さて、肝心の句について。僕は衝撃を受けた。何せこの句が最終巻の一番初めに書かれているからである。甥っ子さんは一体なぜ、製本の際にこの句を一番初めにしたのか。もちろん、年月日順なので偶然かもしれない。甥っ子さんも今は亡くなっているので、詳細は不明。
 草の花(くさのはな)は三秋(秋全体)の季語。秋には名も無い、それこそ雑草と呼ばれて一括りにされてしまうような草たちも、可憐な花を咲かせる。その季語と取り合わされているのが「われの生きた証は何ぞ」という措辞。先生はいつも口癖のように「自分のような者が」と口にしていた。そのことを考えると、名も無き草たちでさえ花を咲かせるというのに、自分は一体何を成し遂げただろうか、という意味に思えてくる。自らの命にぼんやりと終わりが見え始めた折、自分自身が成し遂げてきたと思っていたものにさえ疑問を抱き、焦燥にも似た感覚に襲われたのかもしれない。
 先生は「我」「我が」という表現をする際、必ず平仮名表記で「われ」「わが」と書いていた。少しそのことにも触れておこう。

 凡そ世の文学者や文学に携わる者達、俗に先生と呼ばれるような方達は、自身を呼称する際に「我」等と申しておられるようだが、自分のような者がそのように自身を呼称することは些か憚られる。しかし俳句なるものに触れ、これは字数の限られた世界であるから、如何しても「我」と使わざるを得ない場面が多々生じてくる。そうなつた時に自分は、喉元にぐつと上がつて来る嫌な物を押さえ込みながら、平仮名で「われ」とするのだ。そうすれば微々たる抵抗ではあるが、自分自身に驕り高ぶる感が和らぐ気がするのである。

先生の著作より

 中々に挑発的というか、「我」と自称している人たちを真っ向から斬る文言である。しかしこれはあくまで、先生自身にとって「我」という呼称は不相応であるという話で、使うに相応しい方々を否定する気は恐らくない。先生は誰よりも、他者に対する敬意に厚い方だった。


2.先生の辞世の句 〜空蝉や〜

 先生の句集、最終巻の最後の句。言うなれば先生の辞世の句となった俳句がある。

 ◇空蝉やわが命なほ八日目を
          風前亭燈火

 読まれたのは六月中旬、先生が亡くなったのは七月頭。亡くなる半月前から意識も朦朧としていたため、この句が図らずしも辞世の句となってしまったのである。
 季語は空蝉(うつせみ)。蝉の抜け殻のことで、晩夏の季語である。 取り合わされているのは「わが命なほ八日目を」という措辞。八日目という言葉、蝉の季語と取り合わせるには近すぎる気もする。しかし当時の先生の病状を考えると、とにかく素直に今の想いを書き記したように思えるのだ。
 蝉は地上で一週間、七日間しか生きないとうたわれてきた。実際はそうではないことも多々あるだろうが、詩歌ではそのように扱われてきた存在である。この句もそれを前提に詠まれている。八日目となれば、何故か死なずに生きている状態と言えよう。そう、それはまさに、先生の当時の状態だったのだ。

 ここで季語について考えたい。本当にこの句の季語は、「空蝉」でなければならなかったのか?という点だ。俳句の世界で言う、いわゆる「季語が動く*」のでは?という部分を考えてみようと思う。

*季語がその句の主役になれていない、他の季語でも代用できるという、季語選択の失敗、俳句の良くない状態のこと。

 たしかに、季語「空蝉」と「命」「八日目」という言葉は比較的、ありきたりと言える。よく似たような句を、ひょっとしたらどこかで誰かが詠んでいる可能性だってある。類想かどうかは今はさておき、僕はこの句の季語は、「空蝉」でなければならないという結論に至った。それはこの句集の最終巻の最初の句、「われの生きた証は何ぞ草の花」があるからだ。晩年の先生にとって、自分自身の生きた証というものが何なのか、それをきちんと遺して逝けるのか、というのが大きな気がかりだったのだろう。その想いを、「空蝉」という季語に託したのではないか。
 繰り返しになるが、「空蝉」は蝉の抜け殻のこと。元々「うつせみ」という言葉は「現せ身」と書き、現し世の身、すなわち生きている人間のことを指した(これだけでも先ほどの句にリンクしてくる部分が大いにある)。しかしこの言葉は、のちに「空せ身」と書かれるようになり、「魂の抜け殻」という真逆の意味を指すようになった。それが蝉の抜け殻のイメージと重なって、「空蝉」という言葉が生まれたのである。つまりこの言葉の成り立ちを踏まえると、ただの蝉の抜け殻という意味にとどまらないことは理解できるだろう。
 僕はこの季語に、「命の痕跡」という意味を見出した。抜け殻、空っぽ、何も無い。たしかにそうだ。しかし抜け殻があるということは、そこから一匹の蝉が、ひとつの命が、そこから飛び立ったことを意味する。今はその姿がなくとも、そこに命はたしかに存在したのだ。先生がこの季語を選んだ理由は、まさにそこにあるのではないか。八日目をなお生き続けている蝉のように、いつ消えてもおかしくない自分という存在が、それでもたしかに存在したのだという証を、痕跡を、何か遺すことが出来るのだろうか。そんな想いがあったのだと、僕は思う。

 僕はこの活動を続けていくことで、僕自身が、先生の生きた痕跡となりたい。


◆きつネつき 今週の一句

 青き踏む来世はきつと人として
          きつネつき

【解説】
季語 : 青き踏む(あおきふむ) 晩春
 春に芽生えた青い草を踏みながら、野山を遊ぶこと。青々とした草原を踏みしめることで、そこに芽生えた命とともに、それを踏みしめている自分の命を実感する季語。

 やはり狐である自分にとって、この季語に対する実感は、人間よりも弱いように思える。青きを踏むことは狐にとっては何てないこと。命の実感はあまり得られていないのではないか。来世というものがもしあるならば、人間として、青きを踏んでみたいものである。



 今週はここまで!次回もお楽しみに!
 最後までお読み頂き、ありがとうございましたm(_ _)m


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