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世界の終わりはコストコのディナーロールと共に

コストコが好きだ。

無骨な倉庫然とした広大な店内に並ぶ生活雑貨から食料品、衣料品、アウトドア用品にクリスマスやハロウィンなど季節ものの大がかりな装飾。何もかもがここにあるような気がする、そして何もかもがビッグサイズの会員制倉庫型スーパー、それがコストコである。

小さな私の体では操縦が少し難しい、これまた巨大なカートにもたれながら考える。宇宙からの放射線や未知の細菌、神様のきまぐれなんかで突然街中にゾンビが現れるとする。もちろん日本は火葬の国なので、腐りかけのイカした死者は墓穴から甦ったりはしない。(私のお墓の前で泣かないでください……だってそこには壺に入ったバラバラの骨しかないからね!)

日本のゾンビは恐らくその辺でポックリ死んだ人間が急速に腐り始めたりして、何やかんやで起き上がるタイプの即興ゾンビだ。老若男女がそうなるので、大槻ケンヂの『ステーシー』のような儚さや悲哀性、情緒もないがこの際仕方がない。とにかく街中にゾンビが溢れることとなった。そういった有事の際に必ず必要なものがある。

ショッピングモール、あるいはそれに準じた大型スーパーマーケットだ。
しかし、ちょっと待ってほしい。その役目、コストコはいかがだろうか?

確かにショッピングモールのような入り組んだ通路などはないためスリル性には欠けるが、広さも申し分なし。何よりも食料品の貯蓄がたっぷりある。工具や植栽用具なども売っているから武器の調達もできるはずだ。

コストコは広いので、エリアごとに統治者が現れるかもしれない。肉と魚の王、野菜と果物の王、食糧と同じくらい権力のある薬品の王も生まれる。そこは物々交換によって取引が成立し、時に争いが起こり、ゾンビ由来ではない死が訪れたりする。怪しげな宗教でもって人々を先導しようとする者が現れたら『ミスト』の経験を活かし、早めに処断を考えよう。

しかし、こういった暮らしはだいたいほんの少しのことで終わりを迎える。たとえば見張りが居眠りをしていたり、扉のロックを締め忘れていたり……危険を冒して外に出て行こうとするグループとの内乱が起こるのも定番だ。

室内にいてもダメなら、ずっと外を移動していれば良いのでは? そう考える人もいるし、確かにそういったジャンルも存在する。それでも私は、「ゾンビアポカリプス時における巨大店舗での立てこもり」に惹かれずにいられない。そして、それがコストコだったらいいなと思っている。

煌々と輝くLEDの下、平常時であれば禁止されている高い商品棚の上にのぼってディナーロールをかじる。見下ろすフロアには、霜のついた肉の塊。鮮やかな野菜とお菓子。バーベキューグリルにペットシーツまで。世界の縮小図のようなこの場所で、世界の終わりを過ごしたい。

――――なんてことを考えながら、新しい洗剤をカートに入れる。会計をしたらフードコートでホットドッグを買って、平和な日常に帰ろう。ゾンビがいないのは、ちょっぴりつまらないけどね。


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