見出し画像

岡田育さん主催 哲学対話茶会「片想いとは何か」に参加①

文筆家との出会いは、出版物に限りません。


岡田育さんの文章に初めて触れたのはTwitterでした。きっかけは2018年の「ミュージカル『タイタニック』」


2015年の初演に続いて出演していた我が推し俳優。
(※普段、推しという表現はしませんが、敢えて)

我が推しを讃える言葉を探そうと、"タイタニック"でパブサに励んでいた時、2018年版の新キャストである石川禅さんを推す、岡田育さんに出会いました。


この一連のツイート、観た人間なら三日三晩アルコール片手に読み返せるし、観ていない人間には「なぜ観なかった・・・!」と臍を噛ませる内容なのですよ。全員読んだ方がいい。

素晴らしい。私は今後もこの方の文章を読みたい(秒でフォロー完了)


そこから2年弱。
Zoom上とはいえ、よもや対話の機会を頂けるとは。

哲学対話茶会とは何ぞや。

しかし第一回、第二回のレビューを読むにつけ、この場で語られる言葉を浴びたい気持ちが押さえられず( 話したい<<<<<聞きたい ) やらないよりやって後悔・・・と呟きつつ深夜の勢いで応募DM完了。
哲学対話の未経験者を優先、という条件にフィットしたこともあってか、参加用のURLを頂けた時は我が家の中心で奇声を発しました。

テーマは「片想いについて」
前回までの「推し」「ファン」という内容を踏まえて、恋愛に限定せず、とのこと。

何を隠そう、私には大きな存在の推しが3人います。

①【神と崇める不可侵の推し】1992年~
②【勝ち目のない消耗戦を共に戦った推し】1995年~
③【好きが高じて距離を詰めすぎ(合法的に)、ケンカ別れに至った推し】2004年~2012年

すべて宝塚=同性ですが、この圧倒的片想いの歴史は、私のヘテロ恋愛観にも色濃く影響しています。間違いなく。

そんな確信を背負い、
でも言語アウトプットは苦手領域なので、文字で整理し(←対話の会に立候補した人間のすることだろうか)
ただ、Zoomは得意だ!!と自分を奮い立たせて、6月12日(金)20時を迎えました。


哲学対話には、共通のルールがあるそうです。

◯問い、考え、語り、聞く
◯本名を捨てる
◯自分の話を完結させず、問いかけをリレーのように回す
◯必ずしもその問いに答える必要はない
◯飲食・離席OK、飲酒・余所事はNG

大きくは、このあたりだと把握しました。運営される方やメンバーによっても手法は少し変わるようです。本名を捨てるので、そこに居るのは何者でもありません。なので、

岡田育様が!!同じ場にいらっしゃる!!!
というテンションにはならないのです。(冒頭こそやや思いましたが)


全員が、自分とは異なる意見を持つ、仮の名前をもった他者。
心から同意する話もあれば、未知の考え方もあり、自分の価値観を揺さぶられることも。

問いを重ねることは、共感を重ねるコミュニケーションより苦しい面もあり、しかし思考の範囲が広がる実感を得られる、まさに"筋トレ"のようでした。そして散々この場で考えたのに、その後も自分の中ではずっと問いが続く無限スパイラル。

哲学対話とは、その場で終わるものではなく、そこが思考と視点の転機となる場所なのかと初心者なりに考えました。

問い、考え、、そしてアウトプット欲が止まらない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?