20230402存在の証明
インスタのアーカイブ投稿を見直していると、もつ煮込みうどんの写真にこんな文章が添えられていた。
富山に行って、たくさんの友達に会ってきました。出会い方はいろいろ、どんな友達も大切だし大好きです。たとえ誰が何と言おうと。そして彼らもまた、ぼくが自分で自分を否定しなくていいことの証明。
投稿は2017年の6月末、大学2年の頃。
ぼくは高校生の頃から「踊ってみた」が大好きだ。高3の頃に初めて富山のボカクラ踊ってみたイベントに行き、以降大学生になってからは、名古屋・大阪・北陸の踊ってみたイベントによく顔を出した。そしてそこで、たくさんの踊り手・ヲタクの友達ができた。
そんな友達こそ、ぼくをぼくたらしめる要素なのだ。
高校時代、他クラスや後輩に知り合いが多く、文化祭準備のために、放課後クラスメイトと一緒に教室から体育館まで向かっていたが、道中色んな人と喋るもんだから一向に体育館にたどり着かなかったため、「お前どんだけ顔広いん」と突っ込まれたことがある。
広く浅くもしくは広く深く関わるのがぼくの人付き合いのモットーである。
インターネットの世界はそんな僕にうってつけの場所だ。
2023年3月25日、ぼくはパオちゃんズの仲良しみんなとゲストハウス貸切でお泊まり会をした。
あなたたちがぼくを認めてくれるから、ぼくはそこに居られたんだよ。ありがとう。ぼくは何者でもないぼくだよ。ぼくがぼくでいられる場所。ぼくの存在を証明してくれる人たち。大好きだよ。
インスタ投稿するならこんな感じ。
お泊まり会の2日間は、最近自分が感じてたしがらみをとっぱらってただただ楽しめた。年齢も住みもまるで違うみんなと変に気を遣わないでくつろいで過ごせるのが心地よかった。LINEのグループ名に「ふぁみりー」と入っているだけあって、ひとつの家にみんなで住んでいるかのような感覚があった。
ぼくについている肩書きを気にしないで、ぼくをぼくとして見てくれるから、心地よい。ぼくが仮面を外して素でいられる場所だから、心地よい。ぼくが生きていられるのはこの人たちが羽を伸ばさせてくれるからだな、と感じる。
ぼくにとって大切なものは何より広い交友関係と素でいられる人たちの存在。ぼくがぼくとして存在していることの証明は、この人たち。
(2023/04/02 9:16)
追記:今回はいつにも増して駄文
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