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大人の流儀

中尾:
澁澤さんの周りでかっこいい人っていますか?
 
澁澤:
今周りにかっこいい人は何人かいると思いますが、中尾さんに逆にお聞きしたいのは、中学の頃かっこいい男の子ってクラスに何人かいたんですけど、それは女の子たちが「カッコイイ、カッコイイ」って騒ぐ男の子です。確かにバレー部のキャプテンとか、容姿端麗というのはいるのですが、中学時代って顔がいいとか、背が高いとかいうのはそんなに女の子たちにとってはカッコイイ対象ではなかったような気がするんです。
むしろね、例えば放課後の音楽室でベートーヴェンの「悲愴」を最大限のボリュームで一人で聴いていたとか、哲学書を読んでいたという子がかっこいいと言われたのです。
つまり、その時のもてない男の子たちから見ると、そんな彼らはとてもおませに見えました。
 
中尾:
なるほどね。それはとてもよくわかります。
 
澁澤:
ところがね、70歳でクラス会とかをすると、不思議なことに、もうおませもクソもなくみんな爺さん婆さんですよ、それでもね、クラスの女の子たちはその男たちを今でもかっこいいというのですよ。
 
中尾:
中学生の時に哲学書を読んでいたり、クラシックを聴いていた人たちは、今でも続いているのかしら?
 
澁澤:
いやあ、わからないですね。
 
中尾:
もしかしたらその時の感性を持っているだけで、大人になってもおじいさんになっても、ずーっとサラリーマンをしてきても、その感性を70歳になっても失っていなければ、カッコ良さは変わらないのかもしれませんね。
 
澁澤:
なるほど、そうかもしれませんね。その匂いを女性たちはかぎ取るということですね?
 
中尾:
もしくは、その人にあこがれた中学時代の自分が、今も変わらず生きているということですよね。彼があの時のままでいてくれれば、自分もそこに重ねることができて、あのときめいていた頃の自分に戻れるということじゃないかな。
 
澁澤:
そういえば、その頃流行ったフォークソングで、「あなたはあなたのままでいてほしい」というのがありましたね。
 
中尾:
ありましたね♪
 
澁澤:
それから社会の中でかっこよく生きようと思って、勉強をして、大学に入って、いろんな社会を見ようと思って部活に入ったり、サークルに入ったりするわけです。私の学校は受験校でしたから、みんなそれなりに良い会社、あるいは良い組織に就職をしていきます。それで70歳になって男性たちはみんな定年です。定年になって会社の名刺を持たなくなった瞬間です。女性でいうと両親を見送って旦那に愛想を尽きた瞬間、なんというか、普通のおじいちゃん、普通のおばあちゃんになるんですよ。
 
中尾:
それは枯れていくというのとは違うのですか?
 
澁澤:
枯れていくのではなくて、突然年寄りになるのです。顔も老けるし、普段何やってるの?というと、カラオケしかないとか、ちょっと年金が良い人たちは、ゴルフだとか、海外旅行の話をしますね。
 
中尾:
自分の世界に入ってしまうということですね?
 
澁澤:
そうですね。社会との接点を持たなくなると、急激におじいさんおばあさんになりますね。
そういう意味では、社会とか周りとかとの関係性の中でカッコイイという言葉はあるのかもしれませんね。
 
中尾:
澁澤さんの周りの人たちって、エリートコースですよね。
 
澁澤:
そうですね。世の中の表側というのかな、表舞台で活躍している人たちです。
表舞台というのは…例えば、会社の一流の社員というのは、会社がどこをめざしているかということに一番適応した人間が一番出世をしていきます。ですから、その適応すべきことがなくなった瞬間に、自分が何をしていけばよいかわからなくなる。なおかつ、その時輝いていた表舞台の価値観というのは、他の会社よりも勝ち抜く、売り上げをさらに上げるということの価値観であって、世の中の人たちを幸せにするという価値観ではないわけです。ところが今のこの年になって未来を語るようになってくると、本当にこの社会が幸せな社会なのか、たぶん今の小学生や中学生たちが真剣に大人に問いたい、ちゃんと答えてほしいカッコイイ大人でいてほしいと思うかっこよさではなかったということですね。
 
中尾:
そういう人たちほど、子供たちに応えられるカッコイイ大人であってほしいですけどね。
 
澁澤:
残念ながらそうではなかった。もっと目の前にある、人との競争や、給料を上げるためにがんばってきたのが、人生を一生懸命生きるということになってしまっていたように思います。
ただ、私たちの時代が良い時代だと思うのは、平均寿命が延びたということなのです。そういうことに気づいても、まだ30年、40年あるかもしれない。
 
中尾:
これからね。できることがまだあるかもしれませんよね。
 
澁澤:
もっと幸せな社会を創るために働けることとか、一歩踏み出すことができるかもしれない。その勇気が持てる人はカッコイイでしょうね。
 
中尾:
そうですね。頭のいい人たちですものね、カッコイイおじいちゃん、おばあちゃんになってほしいですよね。
 
澁澤:
でもね。組織の価値観に合わせるということをずっと一生懸命やってきた人間に、急に自分達の考えの天井も壁も床もなくなって、宇宙空間にポンと放り出されて、さあ自分らしく生きなさいよと言われてもとっても酷だし、とっても難しいことなんですよ。
 
中尾:
でも、澁澤さんはそこから抜け出されましたよね。
 
澁澤:
それは、私の親父が早く死んでしまったからかもしれませんね。自由な人生の素晴らしさも、危うさも、孤独も、若い時から嫌でも経験しなければならなかったからです。
逆に、中尾さんの周りのカッコイイ大人ってどんな方がいますか?
 
中尾:
私が今までに出会った中でカッコイイ大人というと、最初に浮かぶのが伊集院静さんなんです。
33~34歳くらいの頃に、麻雀番組をつくったことがあって、その時に、麻雀大会を見に来ませんか?って誘ってくださる方がいて、行ってみたら、その大会のゲストが伊集院静さんだったの。
「後ろで見ていても良いですか?」って聞くと「どうぞ」っておっしゃってくださったので、真後ろで、入ってくる牌、捨てる牌、全部見える場所で、背中にくっついて肩越しに見せていただいたのです。そしたらね、次から次へと凄い牌が入ってきて、捨てても捨ててもどんどん整っていくんですよ。上がるチャンスは何度もあって、役満もできていたのに、一回も上がらないの。不思議に思って、終わってから「なんで上がらないんですか?」って聞いたら、「今日はゲストだからね」っておっしゃったの。それはね、かなりかっこよかったです。
 
澁澤:
カッコイイですね。その話一つが、彼の小説やエッセイをそのまま表していますね。
 
中尾:
大人の流儀ですよね。
会話はそれだけなんですけど、この方が今まで人と接した時の距離感だとか、気の使い方だとか、いろんなことが見えた気がして、素敵だなあと思いました。
 
澁澤:
逆にかっこ悪い人ってどんな人ですか?
 
中尾:
はい、それははっきりしていますけど、鼻毛が出ている人です!
 
澁澤:
ハハハハハ
 
中尾:
子供の頃からね、うちでは鼻毛にうるさかったんです。
お父さんの誕生日とか、父の日と言えば、姉が鼻毛切を買ってきたの。私もその影響が大きいと思いますけど。
 
澁澤:
いやあ、私がまだ40代で中尾さんに初めてお会いしたころだから、中尾さんは30代くらいかな、まだ代理店にいらした頃、採用試験でね、みんなが良いって言った子がいたんだけど、その子鼻毛が出てるから落としましたっていう話を聞いて、のけぞるほど驚きましたね。
 
中尾:
あのね、わたしはもっとびっくりしたんですけど、あの鼻毛に気づかないの?あなたたちは!って…すごいびっくりしました。
普通ね、面接受ける前に鏡を見てちゃんと整えますよね。それをしてこないどころか、ネクタイが歪んでいるとかいう話じゃないわけですよ。鼻毛ですよ!
 
澁澤:
いや、ネクタイが歪んでいる方が… そうか…
 
中尾:
違う違う!!ありえないです。しかも1本2本ではないんですよ。誰が見ても、はあ?!っていう鼻毛ですよ!
それを男たちは気づかないことが私には驚きでした。
 
澁澤:
ということはね、先ほどの伊集院さんの話ではないですけど、相手が絶えずいて、一人一人がみんな違う人たちで、その人たちと瞬時にそれぞれの人たちとの距離感をさりげなく作って、不快ではなく、何となく温かみを与えられる人が中尾さんのカッコイイ人ですね?
 
中尾:
そんなにまじめに言われてしまうと…(笑)
その通りなんですけどね。
大人としてね、一歩引いていらっしゃる方…かっこいいですね。
 
澁澤:
そうですね。大人として…というのは難しいですね。この年になって言うのはおかしいですけど、自分が大人になった気はしませんからね。
 
中尾:
ホントですか? 澁澤さん、昔からめちゃくちゃ大人です!
自覚ってないものですか?
 
澁澤:
ないですよ。
 
中尾:
へえー、それは逆に意外でした。
ものすごくそういうことを意識して過ごしていらっしゃるのかと思っていました。
 
澁澤:
全然。

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