余裕のある人がすべきこと
―中尾
そろそろ夏休みですが、澁澤さんは、最初に自分の意思で行った海外って、どこだか覚えていらっしゃいますか?
―澁澤
自分の意思で行ったのはタイです。
私は6歳までタイで育ったと、この番組でもお話したと思いますが、
自分の意思で行ったのは高校を卒業する時だったかな、そのあとか、
少し時間があるときに、友達と二人でタイに行きました。
―中尾
それは懐かしかったからですか?
―澁澤
懐かしいということもありますが、自分の知り合い、それから父の知り合いがまだたくさんタイにおられました。観光旅行をしても旅行者の視点でしか見られないじゃないですか。ところが、そこに暮らしている人を訪ねていくと、生活者の視点で見ることができますよね。特に外国に行く場合、知らない土地に行く場合はとても重要だと思います。前にお話ししましたけど、高校時代学園紛争があって、那須の開拓団にお世話になった経験から、観光旅行と人に会いに行く旅行とでは、全然違うと思っていましたので、やはり知っている人がたくさんいることはとても重要でした。
それで、そんな関係を訪ねて行ったのがタイでした。
―中尾
その時、何か新しい発見はありました?
―澁澤
私はタイのバンコクで0歳から6歳まで育ったのですが、その当時の私の行動範囲というのは、タイのバンコクから車で半日くらいで移動できる範囲内でした。その時は、友達と二人でタイを全部見てみようと思って、夜行バスに乗ってバンコクから一番北のチェンライ、そしてその横にあるチェンマイという町、そこから南にずーっと下ってきました。泊りはホテルではもなくて、知人の家の石の床に、寝袋もなくてタオルケット一枚与えられてここで寝なさいみたいな感じ。だけど、その時のチェンマイだとかチェンライは面白い町でした。いろんなことがあって、夜店とかにもずいぶん行って。だけど圧倒的に衝撃を受けたのは東北タイ(タイ東北部)なんですよ。その当時はベトナム戦争の末期くらいだったのですが、アメリカがベトナムで戦っているわけです。そうするとアメリカの負傷兵たちが、その当時タイは中立でしたから、みんなタイまで送られてくるのです。だから東北タイに行くと野戦病院みたいなところに、けがをした軍人たちがたくさん送りこまれていました。
そこで一番必要なものは何かというと、生命維持のためのブドウ糖注射なのです。そのブドウ糖を取るためには砂糖がなきゃダメで、その時、日本の商社がアメリカ軍から依頼されて、米作からサトウキビに作付け転換を促す作業を行っていたのです。その当時東北タイには延々と水田が広がっている風景があったのですが、その農家を一軒一軒説得していく訳です。その商社の人に連れられて、私たちは東北タイを回りました。夜中になると、向こう側でドーンドーンという大砲の音が聞こえるし、どこから先は危ないとか、どこまで行けるかとか言いながら回っていきました。そうして目にしたのは、どんどんどんどんサトウキビ畑が広がっていく風景で、そんなところは気候まで変わっていくのですよ。水田地帯の湿潤だった土地がサトウキビ畑になると、サトウキビというのはたくさん肥料を吸収する作物なので、たくさん肥料をやらなきゃいけないし、尚且つ水も吸収します。だからどんどんドライになっていくのです。水蒸気が少なくなるので、雨も少なくなり、それで乾燥化していきます。それと同時に、何で彼らに作付け転換を促していくかというと、一つは「お金で買い取りますよ」と言います。今まで自給自足だったところにお金をもっていって、お金ってこんなに便利なもので、生活が豊かになるんだよという誘惑が一つ。そして圧倒的に大きい誘惑がね、ラジオなんです。ラジオだとかラジカセを持っていくのです。それとカブ。お百姓さんたちは、やはり貧しかったので、ラジオとバイクに釣られるんですよ。荷物を頭にのっけて、歩いて運んでいたのが、バイクにいろんな荷物を積んで、こんなに乗っけられるかというくらいのっけて運ぶわけです。本当に便利だったと思います。
それで、その東北タイの農村がどんどんドライになっていき、そのうち貨幣経済が入ってきますから、当然借金が出てくる。そうすると娘たちはバンコクに売春婦として売られていくわけです。男の子たちはとにかく朝から晩まで大規模サトウキビ畑で子供の頃から学校なんか行かずに過酷な労働を強いられます。そこから逃げ出した若者が都市でスラムを形成します。当然村社会は壊れていく。田舎というか、豊かな農村がどんどん壊れていくという過程を目の当たりにしたのがタイでした。
―中尾
それ、高校時代ですよね?
―澁澤
今思えば大学ですね。大学1年か2年の時。農大に入っていました。
ですから、農業というものをものすごく考えさせられました。
―中尾
凄い経験ですね。大学1年生で、農大に入ったとはいえ。
―澁澤
ベトナム戦争の大砲の音、今まさにウクライナがそうだと思いますけど、爆発する炸裂音、地面も揺れますし、テレビで伝わってくる恐怖感ではないくらいの恐怖感が絶えずありましたね。
―中尾
ウクライナにしても、テレビでもこんなに見ている人がいるにもかかわらず、だれにも止められないって何なんでしょう。
―澁澤
人間の最終的な性なのかもしれませんが、その場にいたら、今日一日どう生き延びられるかが全てになります。それから、その国の首都の大統領たちは敵国との戦争にどう勝てるかが全てになるのです。結局目の前のことが人間はすべてになるし、目の前の感じられること、目の前に見える場所でしか人間は判断できなくて、地球だとか人類だとか、あるいは自然だとかというものを知識としては持つのだけど、本当に追い込まれていくと、その場のことしか考えられなくなるというのが人間なんですよね。
ですから余裕のある人間が、地球がどうあるべきか、国がどうあるべきか、あるいはコミュニティがどうあるべきかというのは、その現場で大変な現実に直面している人たちではなくて、まわりの人達が考えて行動を起こしていかないと、あの戦争は絶対に止まらないと思います。
―中尾
それが例えば他の過疎の問題とかいろんなことを含めて結局当事者は考えられないから、余裕のある人たちが考えなきゃいけないのだけど、余裕のある人たちは余裕があるとは気づかないわけですよね。
―澁澤
余裕があるとは気づかない。
今の日本人は人類の歴史上、最も余裕のある人類ですけどね。
―中尾
ですよね。私が考えても仕方のないことかもしれないけど、人間としてこうありたいなとか、幸せとはこういうことじゃないかなということを考えるんですよ。だから、誰でも、切り替えるスイッチを持っていれば、いつでも切り替えられるんじゃないかなと思いたいのですけど。
―澁澤
そうだと思います。
東北タイのその後ですけど、また稲作地帯に戻そうという動きもあるんですよ。それをやっておられるリーダーがいらして、それはお坊さんなのです。お坊さんたちが村を回ったり、自分の村に帰って、もう一回「幸せとは何だろう」ではないですけど、村のコミュニティを作りなおして、それからみんなが支え合うという地域を作っていって、周辺を自給自足をベースとした稲作地帯に戻していくという活動が実際に起こっています。
―中尾
それは素敵ですね。
―澁澤
だけど、その一方で、タイはどんどん近代化していきますし、どんどん先進国に、安い労働力を提供する工場になってしまう。先進国の工場になってしまった瞬間に、そこで働く人たちの尊厳だとか、思いやりだとかが貨幣経済によってそぎ取られてしまう。その辺のつながりを日本人がどう考えられて、自分自身もそうですけど、本当は日本の中でそれを実現できないといけないのかなという思いもあります。
―中尾
今、日本が誇るアニメ業界が、逆に安く使われるようになっていますよね。
―澁澤
貨幣経済だけの社会で行くと、結局そこに行きついてしまうのではないかと思います。それ以外の軸を持たない限り、その人との縁だとかつながりだとか、あるいはお互いが寄り添うことというようなもう一つの価値の軸をつくらない限り、それはどんどんどんどん進んでいくでしょうね。
―中尾
そうですね。そういうことを考えられるラジオにしていきたいと思います。
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