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キツネに騙されなくなったのはいつからか

―中尾
9月に入って、このラジオを始めてから、なんと半年が経ちました。早いですね。
段々聴いてくださる方も増えてきて、『そもそもなんでキツネラジオなの?』と聞かれることが多くなってきましたので、今日はキツネのことからお話しますね。(ちなみに、写真は2019年に絵本作家のあべ弘士さんからいただいた直筆のバースデイカードです。)

キツネというのは私の会社がオフィスキ・ツ・ネと言いまして、「気持ち・つながる・ネットワーク」の頭文字をとって「キツネ」としたのですが、そもそもキツネが好きなんです。なぜかといいますと、私にないものを兼ね備えた動物だなあと思っています。吊り上がったキツネ目で、うりざね顔で、しなをつくるような仕草が色っぽい女性のように美しい動物で、私のあこがれなんです。

―澁澤
ふーん。いろんなところに出てくる妖怪になるキツネも女性として描かれることが多いですよね。

―中尾
そうですね。化けるということもあって、化粧をする女性として描かれることが多いですね。
そもそも「来つつ寝る」という言葉が語源になっているようなのです。
平安時代に由緒正しいお生まれの男性がお嫁さんを探して荒野を歩いていると、今まで見たこともない美しい女性に出会います。早速男性は「どちらに行かれるのですか?」と声を掛けます。するとその女性は「良い人を探しているのです」と応えます。
男性は、「それならば、ぼくの細君になりませんか?」といいます。
それを聞いて女性は「良いですよ」といって一緒についていくことになります。
そんな風に出会ったにもかかわらず、お二人はとても仲睦まじくお暮しになって、男の子まで生まれます。その家には犬が飼われていて、その奥さんはどうしてもその犬と仲良くなれないのですが、男の子が生まれた日、なんとその同じ日に犬も赤ちゃんを産むのです。
一見、縁がありそうにも見えるのですが、それでも犬はやはり奥さんを見ると吠えるので、奥さんはご主人に、「その犬を殺してくれ」と頼むのですが、ご主人は聞いてくれません。
ある時、やはり犬が吠えたのに驚いた奥さんは思わずキツネの姿になってしまいます。
驚いているご主人に、奥さんは「私はもうここにはいられません。野に帰ります」と言って出ていこうとします。
するとご主人は「いやいや、僕たちはこんなに仲良く暮らしてきて、子供までもうけたではないか。あなたがいなくなると僕は寂しい。じゃあ、夜だけでも戻ってきて一緒に寝においで。寝て帰りなさい。」といって、「来つつ寝る」となり、キツネという名前になったそうなんです。

―澁澤
ほう、色っぽいはなしですねえ。

―中尾
でしょ?! 私は今までいろんな方にお会いしましたが、「女性ホルモンが足りない」といわれることが多くて、以前お話した女医さんには「中尾さんは女性ホルモンが足りないからザクロジュースを飲みなさい」と言われたりしたほどなのです。それもあって、キツネと名付けることで、あやかりたいと思って「キツネ」としました。それがラジオの名前にもなったというわけです。

―澁澤
私が子供の頃、家の周りには動物がたくさん棲んでいました。私の家は東京の世田谷ですが、イタチもいましたし、小動物・タヌキとか…キツネはいなかったかな。だけど、キツネは人里の近くに棲む動物ですよね。人が住むと、農耕が始まって、ネズミが増えて、それを餌とする動物が周辺に棲むようになる。ですから、山奥に、人間世界と関係なくいる動物ではなくて、人間の里の周りにいて、人間と一緒に歩んできたというか、生活してきた動物ということなのでしょうね。

―中尾
江戸でキツネの物語を探していた時、九段下には女性に化けたキツネが出るという話がありました。王子のキツネは浮世絵にもなっています。お稲荷さんはどこにでもあります。一番多い神様ですよね。

―澁澤
稲の神様ですから、稲をネズミの害から守る一番の神の使いはキツネだったのでしょうね。

―中尾
今はお商売の神様ですよね。

―澁澤
要するに、お米が蔵の中にたまっていく。稲作になってはじめて、「ためていく」、「所有物を増やしていく」という概念が、たぶん日本人の中に増えたのですね。それまでは採集とか狩猟ですから、すぐに腐ってしまったり、なくなってしまったりしたので、ベースとしては所有よりもシェアをしていくという感覚の価値観だったのが、そんな中で所有という概念がとても強く出てきた。それを守ってくれるのがキツネであったのでしょうね。

―中尾
そういえば、キツネに化かされるということが聞かなくなりましたね。

―澁澤
哲学者の内山節さんが、「日本人はなぜキツネに騙されなくなったのか」という本を書かれていて、いろんな理由を挙げられているのですが、なかでも時代が変わった時として、「1965年」を挙げています。キツネだけに限らず、私たちの暮らしが変わった年として挙げられています。
1965年はどういう年かというと、1964年に前回の東京オリンピックが開かれて、それからまさに日本の高度経済成長が突き進み始めて、農村では耕運機が入ってきて、牛や馬がいなくなりました。結局、人間が自然の中の一員として生きてきた、それが日本の長い歴史で、その中では動物も人間も一緒に暮らしてきたのが、ある意味で人間が人間だけで生きられると思いあがった時代が始まった。それと同時にキツネに騙されなくなったということかもしれませんね。

―中尾
人間関係も、動物と一緒に暮らしていた頃と、キツネに会わなくなった高度経済成長期に入った頃からとではちがってくるのでしょうね。

―澁澤
今の僕たちは、目の前にいる人たち、つながりがある人たちだけが、自分の人生を歩いていく社会のすべてですけど、それまでは、そこにご先祖さんもいたし、そこに暮らしている動物とか、吹いてくる風だとか、水だとか、自分のカラダを生かしてくれるすべてが自分と同じものであった。「キツネに騙される」ということが悪いことではなくて、当たり前であり、例えばわからないことはキツネに騙されたといって、みんなが納得をしていた。世の中のことは人間だけで分かるとは、誰も思っていなかった。それが、地球のことも地域のことも、全部人間だけで考えるようになってしまったので、キツネがいなくなり、いずれは中尾さんの嫌いなお化けもいなくなるのかもしれませんね。

―中尾
それは、残念な気もしますね。
何というか、答えのないことがあるということを知っていなければいけない気がします。

―澁澤
私たちはなんでこうなったかということを見失っているのかもしれません。
生きるということを心配しない、それが全てでなくて生きられるという時代を日本は迎えている。僕たちは肉体をもって生まれていますから、肉体が生まれたその場所、そこでの自然、あるいはそこに培われてきた文化とか風習とか、ご先祖さんとか、そういう自分が認識できるすべての中で、どう自分らしく自分の幸せを見つけられるかということが人生なのかもしれない。
ところが、会社でノルマを与えられたり、学校で宿題を与えられたり、自分が考えなくても向こうから課題を出してくれて、それをクリアしていくことが、自分を生きるという世界の中に今の日本人のほとんどはどっぷりつかっているので、自分が何でこんなに幸せなのか、何百万年もかけて人類が望んできた楽園のような生き方をできていることに気づけないのだと思います。
昨日も、企業の方が訪ねてこられてお話をしていたのですが、「渋沢栄一という、とんでもないスーパースターが現れて、この国を、こんなに会社を作って発展させてくれたんだ」とその方はとらえているのですが、実は、最もバランスが良く、環境と社会と経済のバランスをとりながら、すべてを自然再生エネルギーと自分たちの作った食べ物で賄いながら、250年の安定した時代を築いたというのはまさに江戸時代。たぶん栄一は、そんな理想的な社会に作られた「士農工商」っという身分制度を壊したくて、経済という全員にとって平等なシステムをその中に入れただけであって、金儲けの仕組みをたくさん栄一が作ったということではなく、栄一がつくりたかったのは、平等で豊かな社会です。決して、会社を作ってお金を儲けます、だからえらいです、という価値観ではなかったはずです。明治以降、ずっと発展して今日に至ったのだという考えを、もう一度見直す必要があると思います。発展っていったい何だったのだろう、何を望んで私たちはこういう社会を作ってきたのか、そして、その望んできたものは本当に必要だったのかということを問い直す時代がきたのだと思います。

―中尾
その時の身分制度に対して行われたことと、今の時代はもう民分制度はないわけですから、違ってきていることをちゃんとその都度見極めて判断しなければいけないということですね?

―澁澤
目的をもってそれに向かうというのは人間にとってとても重要なことですけど、いつまでもその目的にしがみついていると、本筋のその先にある本来の目的が見えなくなるのかもしれませんね。


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