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異常気象から考えること

*昨年8月15日放送のYouTube「キツネラジオ」を文字起こししたものです。

中尾:
集中豪雨が半端ないですね。
 
澁澤:
そうですね。異常気象ですね、完全に。
 
中尾:
しかもすごい数ですよね。これまでも、地形によってとか、毎年どうしても大雨が降りやすい地域とかはありましたけど、それも大変ですけど、今年は福井も新潟も山形も青森も、あらゆる場所で被害が出ていますね。
 
澁澤:
そうですね。50年に一度、100年に一度というのが毎年のように来ますね。
 
中尾:
テレビのニュースではずーっと「見たこともない大雨だ」「命が危険だ」って言ってます。
 
澁澤:
確実にね、急に始まったというよりも、海の中、あるいは自然界から少しずつサインは出ていたのだと思います。それを受け取ったにしても流してきたし、それに対して敏感ではなかったし、科学技術の発展によって解決するんだろう、誰かがやってくれるのだろうと思っていたら、いよいよ切羽詰まってきたという感じですね。
 
中尾:
そうですね。これでもわからないかと自然に言われているように思えてきました。
 
澁澤:
この異変って地球の歴史から見れば非常に短いスパンで急激に自然環境が変わってきたということは、明らかに人類の暮らしがその原因ですから。そこにもう一度ちゃんと冷静に目を向けて、やれるところからやっていくという、運動ではないですけど、全員がそれをやっていかなければいけないという時期にいよいよ来たなという感じ、腹をくくるということですね。
 
中尾:
今まで見たこともない自然現象がこんなにたくさん起こることを目の当たりにすると、もう他人事ではないですね。
 
澁澤:
そうですね。だけど一方で、「異常気象で熱中症になるから気を付けてください。クーラーを使ってください」といっていて、また一方では「エネルギーの使い過ぎで地球環境を破壊していますよ」と同じニュースで言っているわけですよ。その辺の矛盾というのがはっきり出てきましたよね。まあ矛盾とも考えないでアナウンサーの方は読んでいるのかもしれませんけど。
 
中尾:
そうなんですよね。意図的に話をすり替えているとしか思えないようなニュースもありますよね。例えば、この夏はあまりにも暑すぎて、子供たちを外で運動をさせることは危ないんじゃないかという、そもそもはそういう話なのに、甲子園が良いかドームが良いかという話にかわるわけですよ。そもそも、なぜそれを考えねばならないか、この暑さは異常だということなのに、別の話になってしまうのは何故なんでしょう…やはり本質を避けたいのでしょうかね。
 
澁澤:
避けたいんでしょうね。さっきも言いましたけどニュースでもね、「熱中症のニュースです。さて次のニュースです。日本各地で異常気象のニュースです。さて次はコロナがこれだけ感染者が増えました。」という、縦割りというか短冊状に切っていって、その間は関係ないと言わんばかりで、聞く方も頭を切り替えていますけど、本当は全部つながっている話ですよね。
 
中尾:
昔ね、イエローモンキーの歌詞に「外国で飛行機が落ちました。ニュースキャスターは嬉しそうに乗客に日本人はいませんでした(といった)。僕は何を思えばいいんだろう」という歌詞があったんですけど、それを思い出しました。日本の人たちに、日本人の乗客がいなかったと知らせることはもちろん大事なニュースですが、嬉しそうに…が引っかかる。日本人がいなかったことにほっとしている自分の心がざわざわしたのを覚えています。
日本人さえ無事ならよいのか?ともう一人の私がそう感じたんです。
じゃあそう思ったことによって何かを変えたかというと、何もしていないので、何とも言い難いんですけど。ただ、今のこの環境問題の現状を考えると、今はまだ私自身は影響を受けていないけど、確実に日本も海外でも、この地球上が人間の生活によって変わってきていることを見ないふりをするわけにはいかないのではないかという気がします。
 
澁澤:
あとは地球の時間がどれくらい残っているか。こればっかりはなかなか科学者でもわかっていない。SDGsではあと8年、2030年までで後戻りはできなくなるよという話をしていますけど、逆のことを言えば8年しか残っていない。「消費は美徳、それによって経済が発展してみんなが幸せになるんだ」ということを、この8年間で捨てられるかということですね。結構大きい話でいえばね。
 
中尾:
幸せを経済で考えると、全部狂ってきますよね。判断が鈍ると思います。
 
澁澤:
狂ってきます。経済の中には地球環境だとか、温暖化、異常気象というのはありませんからね。
 
中尾:
だからそこが変わらないと、何も変わりませんよね。しかもそれは国が決めることでもなくて、みんなが価値観を変えないと変わらないということですよね。
 
澁澤:
一つ言えることは、コロナでみんな移動が少なくなって、地球全体の経済規模が縮小したわけです。その間、明らかに環境が良くなっているのです。
 
中尾:
なるほど。移動しないだけで?
 
澁澤:
移動しないだけで。
 
中尾:
その効果はあるわけですね。例えば、普通に暮らしていて、電車に乗るとお腹の大きい若いお母さんがいて、小さい子供もつれていてとっても大変そうなんだけど、一生懸命生きている姿を見ると微笑ましいですよね。私たちがそれを微笑ましいと思える大人になったように、その子供たちもそういう大人になれると良いなと思うんです。そのためには、災害も少なくなって、穏やかに暮らせることが大前提なので、そう思った自分から始めなければいけないなと思います。
 
澁澤:
そうですね。そういう風にみんなが思って行動を始めないと世の中は本当に変わらないと思います。
 
中尾:
ちょっとしたことですよね。
 
澁澤:
ちょっとしたことを積み上げるしかないです。
昔の…というのも変ですけど、日本人の特性の中に「清貧」という言葉がありますよね。貧しくても清く生きていくという、それが日本の社会で美徳だったわけです。確かにそれを美徳としたのは武士道だったり、儒教だったり、思想的な締め付けがあった時代の言葉だという人もいますけど、基本的には多くの日本人がそれを価値としていたということだと思うのです。清貧というのは今の言葉でいえば、経済規模を限りなく縮小して、足るを知るということを覚えるということですから、そんなに人類にとって初めての挑戦ということではないと思います。
 
中尾:
わかります。私は一番好きだったドラマが「北の国から」なんです。あれはまさに、離婚して小さい子供を連れたお父さんが、東京から生まれ故郷である北海道にいって、お金もないから電気もガスもライフラインのないところで、川から水を引いたり風車をつくったりして一から家を建てて暮らしをつくっていくという話だったので、ものすごくエネルギーをもらいました。
 
澁澤:
あのドラマは倉本さんが、現代の消費社会、浪費社会というんですかね。それに対して、自分はそんなことが幸せじゃなくて、こういうことこそ幸せだと思うぞということを全力で現在の社会にぶつけられたのですよね。そんなドラマだったと思います。
 
中尾:
そうでした。私はビデオも買って何度見たことか。これが幸せというか、生きることだと思ったし、あの中に感動が山ほどあるので、そんなことをもう一回見直すといいかなという気がします。
 
澁澤:
朝ドラなどを見ていると、サクセスストーリーが多い気がするのですが、「北の国から」はサクセスストーリーではありませんよね。一生懸命生きたということ、あるいはいろんな社会情勢もあったけど自分で人生を切り開いていった、そのもがいている人たちの「もがき」そのものに価値があるんだというような作品になっていますね。
 
中尾:
そう、もがいている人を、その周りの人たちがちゃんと見ていてくれる温かさとか、その人たちの関わり方とか、そこですよね。素敵なのは。
 
澁澤:
もがけば必ず成功するというわけではないんですよ。
 
中尾:
そう。もがいている中に幸せがあったり、人との付き合い方とか、価値を共有するとか、そんなことを見つけるのが大事なのかなという気がします。
 
澁澤:
先日飛島のフリースクールの話をしましたけど、あそこもそういうことですね。現在の価値ではない価値。それで一生懸命生きれば、それが価値だよと信じている人たちがいるということ。その人たちが今はマイナーだけどメジャーにならなきゃいけないし、まだまだ教育現場では、子供が現代社会のメジャーの側になる教育をしているというところがありますけど、もっともっとそうではない価値がそれぞれあるんだよというところからスタートしないと、遠回りかもしれないけど、地球温暖化の解決とか、異常気象の解決にはつながらないかもしれませんね。
 
中尾:
やはり、澁澤さんがおっしゃるように、環境問題は心の問題ということですね。
 
澁澤:
そうですね。環境問題は心の問題です。環境が傷つく以上に人間の心がすさんでしまっているのだと思います。
 
中尾:
私ももう一回今の暮らしを見直そうと思います。

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