見出し画像

NPOをつくる

2000年のミレニアムの年に、明治神宮の森が人工の森で80周年を迎えました。80年前、ここに100年後、200年後の森を想定した計画が立てられ、当時のボランティアの手によって植えられました。それが、今の都会で暮らす私たちのオアシスとなって、東京のヒートアイランド現象も緩和してくれています。
明治神宮の森を歩いていると、晴れた日は太陽の木漏れ日がレースのように美しく、雨の日は、霧に包まれた森に立ち込める雨と緑の匂いで心まで潤います。そんな森を歩いていた時、今度は私たちの手で、さらに100年後の森をつくろう!と思い立ち、森づくりのためのちんじゅの森チャリティコンサートを提案しました。 やしきたかじんさんのコンサートのお手伝いをしていなければ、自分でコンサートをしようなどということは考えもしなかったと思いますが、何のためらいもなく、明治神宮に企画を持ち込みました。 今の宮司さんが祢宜さんのお立場だった時で、私の話を熱心に聞いてくださり、なんと、企画を通してくださり、実現したのです。 もちろん簡単ではありませんでしたし、時間もない中、あんなにプレッシャーを感じて走り回ったのは初めてでした。結論から言うと、このコンサートはこの趣旨に賛同してくださった名のあるアーティストの方々がボランティアでご参加くださり、会場に設置した基金箱には多くの寄付が集まりましたが、コンサートそのものは大きな赤字を抱えてしまいます。 その落とし前は自分でつける覚悟でしたが、その時持っていた貯金をすべて使っても足りず、生命保険を解約して支払いました。 もう2度と、こんなことはしないと、終わった瞬間は思いましたが、その時いただいた1通のお手紙で心が動きました。
「余命わずかな息子と参加しました。芝生に座って森のにおいをかぎながら、息子が大好きな歌を聞けて、都会の森の中で雲が流れて、風がそよいで、ヒグラシがないて、だんだん日が暮れて、自然の大切さが心に沁みました。そこに息子といられたことが幸せでした。ぜひ、これからも続けてください」という内容でした。
大きな赤字を抱えてしまったけど、このコンサートをしていなかったら、この親子と私がつながることはありません。 
改めて、森づくりのためのチャリティコンサートを人工の森で行う意義や、伊勢で出会った風の神様のことや、ご遷宮という日本の大事な伝統行事のことなど、宗教的だからといって学校では教えられないことのなかに、実は人の心を動かす、大事な何かがある… そう確信して、この思いを形にするにはどうすればよいかを、ある方に相談したところ、
「それならNPOという組織があっていると思うよ」と教えていただきました。
その方はすでにNPOを運営されていて、作り方を教えていただき、翌年2001年に設立。コンサートも続けることにしました。
それから途中何度かお休みはありましたが、18年にわたって、コンサートを続け、エチオピアのフー太郎の森づくりに始まり、東京湾の森づくりや、東日本大震災の海の復興などに、寄付をして終了しました。
そして、赤坂の高台にある日枝神社では、当時の宮司さんが風の神様との出会いの話をとても気に入ってくださり、中秋の名月に特設される舞台を使ってもよいよとおっしゃってくださいました。 すごくうれしくて、舞い上がりました。 月が輝く夜に、この宙に浮かんだような境内でやってみたかったのは、神話でした。
現代を象徴する都会の高層ビルの真ん中に浮かび上がる、神社の境内で、1300年前と変わらない「月」を見ながら神話の物語を聴けば、古の人たちを身近に感じられる気がしたのです。 昔々のこの国の人たちは、なぜ、神様の物語を創ったのか、何を伝えたかったのか、時代が変わっても語り継がれてきた理由はどこにあるのか…若い劇団が創作し、演じたことで、これまで神話に興味のなかった若い人たちにも知ってもらえるきっかけを作れたと思います。なにより、演じた若い役者たちが、神様の物語を夢中で作ってくれたことがうれしかったです。その神話劇の脚本家である及川タケヒロさんは、古い夜と書いて「いにしえナイト」と読む素敵なタイトルもつけてくださり、なんと、銀座シックスの能舞台でもオープニングイベントとして、上演させていただきました。
また、NPOをつくるまで、悩んでいた8年間で出会った方もたくさんいて、その中の一人に、戦後30年もの間、たった一人でルバング島で過ごされた小野田寛郎さんもいます。小野田さんは日本に戻られてから福島の塙町に自然塾を作って、こどもたちに自然の中で生きることを教えていらっしゃいました。
私もご縁があって、ここでキャンプに参加しました。現地について山に入ると、最初に自分たちのトイレを作ります。穴を掘って、ブルーシートでかくして。それから、その夜に自分が寝る場所を探します。一人ずつ20m以上離れることが条件で、森でビバークする自分の木を見つけるのです。それから森の間伐をして、火のつけ方、飯盒の炊き方などを教わり、夕食を終えると、星の見方を教わり、夜遅くには森を歩きに出かけました。外灯一つない真っ暗な森なので、ペンライトを持って出かけます。森の奥に入って、持っていたペンライトを消すと、昼間に間伐して落とした木の枝の先端が青白い光を放って、あちこちでぼんやりと光っているではありませんか。その幻想的な風景を見たとき、
「かぐや姫」は昔々、真っ暗な闇の中で、こんな風景を見た人が作ったのかもしれないと思いました。 リンが光るのではないかとかヒカリゴケだとかいろいろ話す人もいましたが、科学的に解明されることよりも、想像して物語をつくって語り継がれることの方が楽しいと思い、風土から生まれた民話があるのではないかと思いました。ならば、全国を回って集めようと思いました。この時の経験は、Team励風という劇団が、創作し、ちんじゅの森の民話語りの活動となって、全国の神社仏閣、学校や幼稚園などを回りました。
そして、前回のご遷宮では、山口祭が始まった時から、伊勢と関わりの深い東京大神宮で、「はじめてのご遷宮」というフォーラムを八年にわたって行い、多くの方に「ご遷宮」を知っていただくこともできました。
東京大神宮では、アニメ宗教学などの塾も行いました。
こうして、「日本がもっと好きになる」をテーマとした、ちんじゅの森の活動を20年続け、20周年にあたる2020年、次の世代にバトンを渡し、還暦を迎えました。
 4回にわたって私のお話を聞いていただきましたが、今回で、私の自己紹介は終了します。お聴きいただいた通り、私はすべて人と人、自然と人のつながりで生きてきました。

「ちんじゅの森」は、新たに目白に「ほぐほぐ」という拠点を持って、活動しています。よろしければ、NPO法人ちんじゅの森のホームページものぞいてみてくださいね。

ちんじゅの森 https://www.chinju-no-mori.or.jp/

キツネラジオ https://www.youtube.com/watch?v=XQa9MwgyzMQ&t=6s


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?