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「役目を持つという生きがい」

―中尾
ちょっと切ない話なのですが、うちに14歳になる柴犬がいて、実家で母と暮らしているのですが、その子がどうやら認知症になり始めたようなんです。
母も80代半ばに差し掛かるので、毎月1週間ほど、母と老犬の老々介護の様子を見に大阪に帰っているのですが、ちょうど私が帰っているときで、本当にいつも通りだったところに、突然にその症状が現れたです。
いつものようにお散歩に出かけたところ、突然すごい勢いで、飛ぶように走り出したのです。普段は、普通に歩いていても後ろ足がぶるぶる震えてしまうくらい筋肉が弱っているので、何が起こったのかと、本当にびっくりしました。とにかく彼の望むままに走ってついていって、いつもより少し長めの散歩を済ませて自宅に帰ると、まず玄関で口と足を拭くのですが、その時にすごい唸りだしたので、「あれ?いつもとちょっと違うかも…口に手を出さない方が良いかもよ」と母に言って、リードを外したら、いきなりまたリビングから寝室までをで何往復も全力疾走したのです。
何かにとりつかれたみたいだったので、ただただ立ち尽くしてみていたら、パタッと止まって、そのままうずくまってぐったりして、魂が抜けてしまったみたいになって、名前を呼んでも知らん顔…。柴犬は認知症になりやすいと聞いていたので、覚悟はしていたのですが、いやあ、始まっちゃったかなあと思いました。
それからおしっこが我慢できなくなって、これまでは一切家ではしなかったのですが、家中のいろんなところでするようになってしまいました。
本来ならば柴犬は猟犬なので、外で飼われて緊張感があっただろうし、昔は犬とか猫とかは死ぬときいなくなるって聞いたこともありました。人間の都合で家の中で暮らし始めたから、こんな風になってしまったのかなあと思うと、なんだか申し訳ない気がします。

 ―澁澤
重い話ですよね。でもね、決めつけない方が良いと思いますよ。
脳の老化と肉体の老化というのは、必ずしも同一ではないですし、温かく見守っていれば良いのではないかな。ご家族は大変でしょうけれど。
いずれは中尾さんも私もそうなるかもしれませんよね。

 ―中尾
そうですね。

 ―澁澤
私の場合は、母が認知症を患っていて、もう10年近くなりますけど、彼女は隣のアパートで一人暮らしで、最初は毎日私が通いながら見ていたのですが、段々火のことだとか心配になってきて、転んで大けがをしたことを契機に施設に入って暮らしています。犬もそうだし、私の母もそうですが、本人もわかるんですよ。昨日までとは違うなということが。だけど、どうしてよいのかわからない。本人も悲しいのですよ。それによって、本人も落ち込んだりするのです。
そんな中で、うちの母の場合は、昔のぬいぐるみを押し入れの奥から見つけてきたんです。それは、まだ私が小学生の低学年だった頃のことなのですが、珍しく父が、「家族3人でクリスマスパーティに行こう」と誘ってくれたのです。父がそんなことを言うのは珍しいのですが、財界人たちの集まりで、チケットか何かを買わされたのでしょうね。それは、最後のくじ引きの景品で当たった白いウサギのぬいぐるみなんですよ。

 ―中尾
何十年も前のことですよね。

 ―澁澤
何十年も前のことは覚えているんです。認知症というのは。
彼女はとてもその昔の家族を懐かしがっていました。彼女にとって一番良い時期だったのかもしれません。しばらくそれを懐かしがって横に置いていたのですが、ある日私が朝行ってみたら、そのぬいぐるみに自分の食べている朝ごはんを与え始めたのです。当然ぬいぐるみですから、食べません。箸で突っついて口のところに穴をあけてその中に食べ物を押し込んでいるのです。「それ、やめなよ」というと、「うーん」とか言って、ニコニコしていました。
その時は、私はぬいぐるみの中のものを引っ張り出して、口の周りを拭いて、ファブリーズのようなものを吹いてその場はやり過ごしたのですが、翌日行ってもまたやっているのですよ。
それでね、いよいよこれは大変だなと思い始めたのですが、ある日行ってみると、洗濯ネットに入れて、手洗いで洗っているんですよ。だから本人は、それはぬいぐるみだということはわかっているんです。だけど、やめようとしない。ドライヤーできれいに乾かしてね、乾いたらまた食事を与えるんです。だけどね、その時、彼女に表情が戻ってきたの。
認知症の患者さんって、うつの状態になって表情がだんだんなくなっていくのですが、彼女は生き生きとして、目がらんらんとしてくるのです。
それを見てね、自分の役目を見つけたんだということが、わかったのです。
私の住んでいる東京の世田谷区は基本的に税収が高い住民が多いので、老人福祉が行き届いていて、ヘルパーさんとか、ケアマネージャーさんやお手伝いさんやいろんな方たちが絶えず来て支えてくれます。要するに、彼女をケアしてくれる人はたくさんいるのですが、そればかりだと認知症は進むのです。なので、認知症になりながらでも彼女の役目を見つけなきゃいけない。今の彼女は、新聞が読めなくなっていて、上と下を逆に見ているのですが、それでも、毎日自分のところに配達された新聞をたたむことが彼女の役目なのです。きれいに折りたたむこと。それは施設に入って役目を見つけたの。だから、中尾さんのところの犬のタロー君もね、彼なりに何らかの、例えばお母さんの介護だとかで、彼も逆に人間をケアしていると思えると良いですね。その役目を、全うさせてあげることが彼にとっても幸せなんだと思います。

 ―中尾
そうかもしれません。
唯一良かったと思えるのは、毎月私が行くとベッタベタに甘えるのですが、私が帰った後1週間くらい大変なんですって。私の部屋の前で待って居たり、食欲がなくなってしゅんとしたり… ところが今回は、私のことが薄れて、帰るときも見送りにも来ないし、いつも一緒にいる母にしか目がいかなくなったみたいで、母が夜中にトイレに立つと必ず一緒に行くんですよね。それはちょっと良かったかなと思えます。

 ―澁澤
昔からね、哲学者だとか、聖人だとかいう人がね、一番苦労するというか悩むことというのは、「自我」…自分自身とどう向き合うかということなんです。

 ―中尾
最後に…ですか?

 ―澁澤
最後です。
宮沢賢治にしても、サルトルにしても、自我と向き合うのです。
じゃあ、「自我」って何だってことなんですけど、自分自身が縛られている「自我」というものに、大変皆さん苦労されるんです。逆に認知症になるということは、その自我が薄れていくという症状だと、私は思うのです。
ですから、タロー君も自我に縛られて、もっと甘えたい、中尾さんといつも一緒に居たい、そうしたら幸せだろうと思うその自我が薄れていくことで、お母さんと二人でいる環境に、なじんできているのだと思います。

 ―中尾
確かに、そういう意味では、二人の距離感がとても良くなっている気がして、それは救われますね。

 ―澁澤
人間同士も、年を取った老々介護といいますけど、その辺がうまくできると良いのですけどね。ところがさっき言ったように、からだの老化と脳の老化が違いますのでね。脳が先に老化していってカラダは元気なままとなると、介護者側にとっては「そんなきれいごとじゃないぞっ!」ていうことになるのでしょうね。

 ―中尾
そうですね。タロー君もあの走り方を見ると、からだは元気なんですよ。
それがこの後どう変化していくかという不安は少しありますね。

 ―澁澤
まあ、中尾さんも私もそういう年齢に差し掛かりますからね。
タロー君とさらに高齢のお母さんと一緒に年を取っていって、私たちもこんな風になるんだなあと学習しながら、生きがいを見つけていけるようになると良いですね。

 中尾
そうですね。今日はちょっと認知症の話で重かったんですけど、たぶんね、ワンちゃんが年を取って認知症になったという人多いんじゃないかなと思うので、こんなことも必要かなと思いました。

 ―澁澤
多いと思いますよ。ワンちゃんだけじゃなくて、日本中にこの問題がありますから。

 ―中尾
すべて高齢化が進んでいますからね。

 ―澁澤
こんなに肉体が長生きする時間というのは、犬も人間も初めてのことです。日本人の有史以来、初めてのことですからね。

 ―中尾
はい。なので、今日は認知症のお話を聞いていただきました。ありがとうございました。


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