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究極のところ必要だと思うもの

―中尾
旅に出たいなーと思った矢先、またコロナでなかなか移動できませんね。
なので、今日はちょっと懐かしい旅の話をしたいと思います。

ずいぶん前になりますが、澁澤さんが「日本にもチベットみたいなところがあるの、知ってる?」っておっしゃって、行ってみました。

―澁澤
長野県の遠山郷ですね。

―中尾
ものすごく急な山でしたね。

―澁澤
そうですね。斜度38度と言いますから、スキーやスノボをやられる方はお分かりになると思いますが、上から下を見るとほぼ直角。自分の足が見えないようなところですね。

―中尾
そうでしたね。急な谷になっていて、急斜面というか崖のようなところに家が建って居て、しかも向かい側の山が正面に見えましたよね。

―澁澤
目の前に集落が見えるというか、家がぽつんと一軒あるのですが、生まれてからずーっとその家を見て育ったけど、その家の人とは会ったことがないと、その村の区長さんはおっしゃっていましたね。

―中尾
そうですか。お家の建て方も後ろ半分くらいが山に埋まっていて、背中側は崖なんですよね。

―澁澤
そう、背中は崖をしょって、両脇の壁は三角形で、半分は外に出ているけど、半分は土を削って、そこに建てているという家でしたね。

―中尾
今では水道もありますけど、昔はその谷を降りて水を汲みにいったとおっしゃっていましたよね。

―澁澤
そうですね。ああいう集落って、日本中方々に結構あるのです。共通しているのはフォッサマグナといって、中央構造線が通っているのですが、その付近は崩れやすい岩肌なので、崖が深いのです。

―中尾
崩れやすいんですよね?そこに建てるというか、住んでいるのですよね?

―澁澤
崩れやすいですが、岩をはがすことができますから。その代わり、そういうところは木や作物はよく育つのです。

―中尾
あの時は、小さいジャガイモのようなものをいただきましたね。

―澁澤
はい。ニドイモというジャガイモですね。大人の親指大ほどのお芋がたくさんつきますね。
あのお芋をこっそり持ってきて、下で育ててみたら、普通の男爵イモでした。

―中尾
大きいってことですか?上だから小さくなるの?

―澁澤
そう、特別な品種ではないということですね。
自然は平等じゃないんですよ。みんなそこの自然を受け入れて、その場所に長く暮らしてきたんですね。

―中尾
どんな所でも、そこに生まれた人にとっては、そこが自分の住む場所であり、生きる場所だと感じるのですね。

―澁澤
そう思いますね。今の時代ですから車ですぐに出ていくこともできるし、バスも通っている。だけど、ここが自分の故郷だと思うという人間の不思議な感覚ですね。

―中尾
だから、みんな帰っていくのですね。たとえ地震があっても、そこに戻って暮らしたいと思うんですよね。

―澁澤
特に、霜月祭りといって、12月から1月にかけて神様がお湯に入りに来るという「千と千尋の神隠し」のモデルになったお祭りがあるのですが、これが夜神楽なんですね。前の日のお昼くらいから始まって、一晩中神楽の演目が延々と続いて、明け方に神様がお帰りになって、それから村人と動物とでそのあとを楽しんで、そして動物もいなくなって、村人がかまどを閉めて、翌日の朝の10時くらいに終わります。まさに24時間延々と神楽が何曲も何曲も続くという祭りです。

―中尾
私も一度見にいきました。
建物の中、神社の障子の中で行われるんですよね。

―澁澤
寒いですからね。宮座、人々が集まる場所が神楽殿で、そこで行いますね。

―中尾
はい。その拝殿とつながっている建物の中にかまどがあって、そこで火を焚いてお湯を沸かすのですが、建物の中で薪を燃すので、すごい煙の中で、トランス状態みたいになるんですよね。
子供達もこの日は一晩中起きていても良い日で、寒くなるとその中でおしくらまんじゅうが始まって、眠そうな子供も起こされちゃう(笑)

―澁澤
村人のためのお祭りなんですよね。限界集落でこんなところになんで人が住むのか、という村が、そのお祭りのためにエネルギーを総て費やして、尚且つお祭りが終わったらすぐに来年のお祭りのための準備が始まる。その祭りで神楽を舞うということはどんな社会的なステータスよりはるかに上なわけです。その村では総理大臣よりも上の人です。神様と一体となって舞を舞うわけですから、その舞い手になることが子供の頃からの夢で、リズムはDNAに沁み込んでいる。それが、どんなに不便なところであっても、その村、自分の故郷に住むことの一番大きいモチベーションいうか、意味合いなんですよね。

―中尾
都会に住む私から見ると、危険な場所で暮らしていらっしゃるように見えるので、神様と一体になるということが、あまりにも実感がわきすぎていて、感動しました。

―澁澤
だけど、そういうところで作物を作ってみると、虫もこないし、病気にもかからないし、日照時間も足りているし、寒暖差も大きいので、おいしい野菜ができるんですよ。その代わり、水もないし平地もないので、お米はできませんから、雑穀と、おいしい野菜のつつましやかな暮らしですが、そうやって暮らしてきたんですよ。

―中尾
暮らせるんですね。

―澁澤
神楽があって、人間関係があって、暮らしてきたのです。

―中尾
私は、こういう仕事をするきっかけとなったのが「千年の森」というシンポジウムだったんですけど、当時、「千年続く森をつくる」ということをみんなで話し合ったときに、全然実感がわかなかったのです。百年後でも、全然時代が変わってしまって、それをイメージするのは無理だよと皆さんおっしゃったのですが、よく考えてみたら、今日生まれた子が、100年後生きているかもしれませんよね。その子がどんな暮らしをしていたらよいだろうかと話し合ったのです。究極のところ、食べるものがあって、安心して飲める水があって、そして、何でも話せるコミュニティが、家族でなくても、近所の人でもお友達でも、とにかく一緒に暮らしを分かち合えるコミュニティがあれば最低生きて行けるねということになりました。

―澁澤
その通りなんですけどね。
宮沢賢治が「雨ニモ負ケズ」という詩を書いたのですが、あれは賢治がそうあったという詩ではなくて、本当に死ぬ間際に、自分がこうありたいと思って書いた詩ですよ。あれが賢治の宇宙観というか幸せ観だと思います。だけど自分はそれを目指して生きてきたけど、そうはなれなかったという絶望も含めて書いた詩ですね。
だから、中尾さんがおっしゃったのは、都会で暮らす中尾さんがこうありたいという「雨にも負けず」なんでしょうね。

―中尾
そういうことなんでしょうか。仕事とか、お金とか…またお金いらないって話?って言われると困りますけど、究極のところ、人間関係と食べるものと水があれば大丈夫かなって思いたいかな。
澁澤さんはどうですか?

―澁澤
それはそれで大切にすることはとても重要だと思います。
ただ、私の場合はね、そうなった時の最大の喜びは知っているんですよ。
それはね、植物を育てるということをやってきたから。
動物のようにすぐには育たないのですよ。すぐに大人にはならない。
植物って手間をかけすぎると絶対に枯れちゃうんですよ。水をやりすぎたり、肥料をやりすぎたり。
だけど、植物に寄り添って、枯れない程度に水を与え、植物が何を言っているかわかろうとするという喜びは何ごとにも代え難いのです。

―中尾
なるほど。それが人それぞれにあるということですね?

―澁澤
人それぞれにあるんです。
全部違うそれがある。

―中尾
それが人だったりするわけですね。

―澁澤
そう、それが人だったり、動物だったりもします。同じではないのです。同じことの繰り返しではないのです。だから、循環循環とよく言いますけど、循環ではないのです。どちらかというと、螺旋(らせん)なんです。少しずつ変わっていくのです。

―中尾
それがしなやかに生きるということでしょうか…

―澁澤
しなやかに、微妙に変わっていく。その気配を感じられると幸せ。

―中尾
私は大阪なので、それを植物ではなくて、麻雀で覚えたんです。

―澁澤
なるほど。

―中尾
長い時間人と交わって、勝ったり負けたり、顔色を見ながら心を読んだりして楽しく遊んで、結果、プラスもマイナスもなく終われたらそれが最高に楽しい時間だったなと思えました。

―澁澤
子育てもそうなんです。ところが子育てはチャラ以上を親は求めるんです。

―中尾
深い話ですねえ。(笑)

―澁澤
そこで親子の間のいろんな問題が起きるし、夫婦間で求める利息が違うのです。

―中尾
なるほどね~(笑)
こんなふうに、ちょっとずつ紐解いていくのも良いですね。
旅に行けない時は、こんな話で楽しみたいと思います。

 

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