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ご遷宮の仕組みにヒントを得た組織の話


―中尾
先日、NPO法人ちんじゅの森の総会がありました。
コロナでしたので、久しぶりに人が集まっての総会だったんですよ、3年ぶりですね。

―澁澤
中尾さんがちんじゅの森をつくられて何年になりますかね?

―中尾
もう21年になるのです。早いですね。

―澁澤
そうね、過ぎてみればあっという間ですね。

―中尾
でも、思い起こせば山のようにいろんなことがありましたね。

まず、私が39歳でしたから。このラジオでは、澁澤さんと出会ってからのいろんなお話をしてきましたが、31歳の時にご遷宮に出会ったのが、きっかけでした。その頃リオデジャネイロで世界初の環境会議が行われたんです。

―澁澤
あ~、環境サミットの時ですね。1992年。

―中尾
そう、その持続可能な社会をどう作るかということを日本で考えた時に、
1300年続いているご遷宮を通して、神社の方たちが伝えていこうということになって、当時の著名な先生方がお見えになって、3日間シンポジウムをされたんですけど、その会場となったのが、その年にご遷宮が行われた伊勢だったのです。

―澁澤
ずいぶん先見的でしたね。今考えると、その時はサスティナビリティなんて、持続可能なことなんて言っている人はまだいなかったですよね。

―中尾
そうですね。先見的でしたよね。
私は子供の頃から何度か伊勢には行っていましたけど、伊勢を持続可能な社会としてみたのは初めてでした。
この森が、というかここに神社を作るということから始まることさえ全く考えたことも想像したこともなかったです。

―澁澤
そうですね。神社ってなんだかもう最初からそこにあったように思いますよね。当たり前ですけど、実は人の手によってつくられて、神様をそこに安置して、神社が続いていくということは神社をお世話する周辺の社会が続いていくという、ある意味では本当に日本が世界に誇れる持続可能なモデルですよね。

―中尾
そうですよね。そこで、ずーっと暮らし方とか儀式とか、大事なものを受け継ぐということですよね。

―澁澤
そうですね。神社だけじゃなくて、塩を焼いたり、当然建物をつくったり、工芸品をつくったり、機を織ったり、ありとあらゆる生活のワンセットを続けていくという形でご遷宮が行われてきたわけですね。

―中尾
20年ごとにずっと作り続けるわけですよね。20年というのは職人さんが入れ替わる年代だから、20年ごとでないと引き継がれていかないというすごく良くできたシステムですよね。

 ―澁澤
そうですね。また、20歳になると子供を生んだり、次の世代がまたその次の世代にという、単なる技術の伝承だけじゃなくて文化の伝承をセットにして、くみ上げられている、そういうお祭りですよね。

―中尾
そうなんです。私はこの時から次のご遷宮までの20年間を見ていたのですが、ご遷宮が終わった後、しばらくはだんだん観光客も少なくなって、街がちょっと廃れたように見えたんです。20年って長いので、時代が変わりますよね。その頃はまだパソコンが普及していなかったけど、20年経つと、オンラインでイベントができてしまう。なので、その間、町が一見廃れたように見えたのですが、伊勢の場合、20年後にまたご遷宮が来るのがわかっているので、それに合わせてまた町が復活してくるんです。その3-4年くらい前からつぶれかけていたお店が一気に新しくなったり、街全体がコーディネートされていくわけです。
20年という決まりがあることが、こんなに街の新陳代謝を後押ししてくというか、ちゃんと作って行くというリズムができているんだなあということに驚きました。

―澁澤
良い着眼点ですねえ。
僕たちって時間は無限にあるように感じていて、なんかその中で自分の人生があって、死ぬときはポッと火が消えておしまいっていうような感じでいますけど、20年というサイクルでものを循環させていく、だけどその時、前の20年とは若干違う、螺旋階段を昇っていくように前に進んでいくという、世の中を的確にとらえていますね。もしもそれが意図をもってその祭りをやっていらっしゃったのならすごいお祭りですね。

―中尾
凄いですよね。しかもそれはそこで暮らす一般の人はもちろん、職人さんも、お店を営む人も、個人個人それぞれにご遷宮を柱とした20年間の過ごし方があって、一方で、街も同じご遷宮を柱とした時間が流れていて、それが社会で、それぞれが次のご遷宮で合体するわけですよね。これは素晴らしいと思いました。

―澁澤
20年でまた元に戻って一巡していくという、なんというか、いつもまた元に戻ってくるという安心感が、伊勢という町が人を呼び寄せる原因なのかもしれませんね。

―中尾
その町が循環していく20年を見て、その間に何度も現場にも行って、その移り変わりを実感して、さらにご遷宮が行われる8年間の行事を見て、とても素晴らしいと思ったんだけど、実はこの行事は宗教行事なので、学校では教えられないというのですよ。
それっておかしくないですか? 
宗教行事という前に日本の伝統文化じゃないの?…という気持ちが、私が初めて社会に引っかかったというか、心の気持ち悪さを覚えたのです。
こんなに人に伝えたいと思う、日本ってこんなにすごいんだよ!と思えることが、学校で教えられないというのはおかしいと思いました。
ならば、学校ではないところで、大事なことを伝えられる場所をつくりたいなと思って、どうしたらよいですか?って、澁澤さんに相談したのですよね。

―澁澤
そうでしたか。

―中尾
その頃はこんなに言葉を持っていなかったので、澁澤さんも困ったんだと思いますけど、「あなたが考えていることは社会的貢献みたいなことだと思うので、今はNPOという組織をつくることができるよ。その組織にすればあなたのやりたいことが当てはまるんじゃないかな」とおっしゃっていただいたんです。
それで、20年以上続いたわけですが、ご遷宮の意識もあったので、20年経ったら60歳でやめようと思っていました。澁澤さんにもそのようにお話しましたら、目的が達せられたら、惜しみなくやめなさいと言われたんです。覚えていますか?

―澁澤
辞めなさいというよりも、組織を閉じるのは良い。株式会社にしても財団にしても、組織をどう長く続けていくかということに経営者は躍起になるわけですから、それはつまらないので、個人がそういうことに気づいて、これを目的とした団体を作って、その時の目的を達したら、今度はそれを一回閉じて、また別の目的で次のものをやりますということでかまいませんよと。組織を維持するということに心を痛めないでほしい、それよりもそもそも何のためにつくったのかということをいつも見直しながら、前を向いていてほしいなと。組織を維持するということはどうしても後ろを向きながらやっていくということになりますので、その辺の苦労は会社経営だとか、NPOを先にやっていた人間として、ものすごく私は心の中にあったものですから、その辺は軽くしてあげたいなと思ってお話したことは覚えています。

―中尾
ありがとうございます。その時はそこまで理解していませんでした。
それで、60歳でやめるということはもう一貫して決めていましたので、そこに向かう2-3年前からは、若い人達にやる気があるのかないのか、あるならば、みんなでやるんだよと、私がやってきたことではなく、これからの形をみんなで作るんだよということを伝えようとしてきた何年かがあったんです。
たくさん若い人が入ってきているので、私的にはこれ以上幸せなことはありません。

―澁澤
素晴らしいですよ。それはね、自慢してよいですよ。20年間、若い人達が活躍できるベースを、まさにその場所を整えたのがあなたの役目だったし、社会からのそれなりの評価も得てきたし、その中に彼らが新しいちんじゅの森を作って行くのです。

―中尾
私はほとんど一人で決めて一人で責任を取るというやりかたでしたけど、次をつないでくれる人たちは、賛同して集まってくれた仲間がいるので、全員で、何もかも一緒に決める、みんなで決めてみんなで責任を取って、みんな同じ扱いでということが重要視されると思うのです。

―澁澤
要するに創業者から2代目になり3代目になると、だんだんと合意形成みたいな形の経営の仕方にかわっていくというのは、ありとあらゆる組織がそういうものだと思います。誰かが手を挙げて「この指とまれ」をやらないと組織はできませんし、まさに中尾さんが好きな神話の世界ではありませんが、混沌としたなかに柱が立って、日本という国ができていくというのと同じことだと思います。

―中尾
ありがとうございます。ちょっと恥ずかしくなりました。
今日は、私の話ですみません(^^;


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