林床の苔を眺めつつ、徒然に語る。
「林床とそこの苔の織りなす風景は落ち着くのう!」
「姫は、昔から林とその中の苔が好きですよね!」
「日本では、やはり苔寺のコケは最高じゃな、お公家の手が入っているだけのことはある。」
「林床では苔は、シアノバクテリアの一種なんかとも共生しているそうですね!」
「それ達が、森林を豊かな森にしていくのじゃ!燃えかすを燃料に戻す!」
「ふむ、いつもお深い。」
「妾、その存在がもう、植物みたいなものじゃからな!別に、食う必要も無く、自らでその老廃物を再利用して、持続可能な存在とかしておる!www」
「そう考えれば、植物の在り方って理想的かもしれませんね。」
「しかし、神は気まぐれで動物を作ってしまった!」
「ま、進化は偶然ですから!www」
「多様性を内在させているうちに、顕在化する表現ってのは、制御されている訳ではないからのう。結果から、”これこれこう!”って言う風には説明できるけど。」
「その説明がなるべく、数理的で、ソフィスティケートされているとかっこいいですよね!」
「カッコいいかどうかはは主観の問題じゃけどな、妾はそう言うのカッケーなーって思っているよ。」
「数学と数理科学とは、どう違うんですか?」
「数学ってのは、今では、ソフィスティケートされていて、数学内部で進化した概念を用いて創られる新たな数学の問題について、定理化して、数学的な証明をつけていくことが主務じゃな!」
「で、数理科学は?」
「4文字、分解してみるとわかるが、”数学”に”理科”が挟まっているじゃろう!?」
「ああ、なるほどですね。」
「つまり、数学的にソフィスティケートされた概念や議論法を用いて、様々な理科的なところから発生してくると問題(issues)に対して、その在り方や機能を、数理科学的な抽象的な構造から説明することじゃ。」
「理科自体とは違うんですか?」
「違う!個別と総体の矛盾的な意味でも違うし、興味の在り方も違う。」
「個別の機能の解説をするわけですよね???」
「それはそうなんだが、そこに内在している抽象的な数理科学的な構造の関与の仕方とか、在り方とか、要するに、抽象的な構造と具体的な機能の間の関係を、論理的な思考によってつなぐ合理的精神背のものが数理科学じゃな!www」
「説明が、姫にしては珍しく抽象的ですね。」
「ヒトの精神の在り方が抽象的なのでな?致し方ない。その中の数理科学的な抽象的な構造のあり方は、当然、機能の説明に寄与する。」
「そうか、具体的な機能は、それはそう言う風にあるものとして、ただ存在しているんだけれども、ヒトはそれを数理科学の枠組みの中で理解するんですね。」
「それそのものが数理科学の在り方なんじゃ。」
「理科のそれぞれはそれぞれで、それそのものの中にその在り方や事実や真実の認定の手法をもつ。個別に興味があるものもあれば、統一が好きなものもある」
「なーる!それらとは、とりあえず別個に、数理科学というものがあって、それはそれなりの在り方で存在しているってわけですね。」
「そう数理科学は、現在では、理科に限らず、その興味の範囲を広げてもいるしな。」
「でも、そういうことと、数理科学自体の存在の在り方とは別ですよね。」
「そうそう、わかってきたじゃないか!」
「何に応用するとか、何かに使われた!ってことと、数理科学自体の存在意義とは独立なんじゃよな。そして、現在のソフィスティケートされた数学(純粋数学や応用数学などを含む数学一般)自体ともその在り方が異なっている。」
「その乖離は、ますます広がりそうですね!」
「もともと、エジプト、ギリシャ・ローマでは、不分明に、かつ、しかしながらも、その両方が必要な在り方と考えられていて、合わせた概念を不分明に開発し、発展させ、そして、学んできた!」
「数学と数理科学は、その在り方や存在基盤が異なるものの、他の理科とも問題意識や固有の手法が全く異なり、よって、数学と数理科学を合わせて、等価な価値観を持って、平等、公正に学ぶことが必要だと思う。」
「やはり理系の学問体系の中では、数学が一番、近いんですね。」
「近いというよりも、古代から、数理科学的な思考法や証明法、その学問としての存在の在り方はあったんじゃが、その中でも、数学として独立して行ったのは、そのソフィスティケートされた概念構成やより工夫されていく証明技法などが、ある種のゲーム的に興味深かったものじゃから、だと妾は思うておる。」
「なるほど、春秋・戦国の”孫子”などには様々な戦いの手法が書いて在り、その存在の在り方も多様であったし、学ぶことも、具体的に適用し、その解説をすることも興味深かったけど、そこから、ある特殊な状況を抜き出して整理し、さらに、単純化と複雑化を同時に施して、厳密にルール化した上で、将棋やチェス、囲碁などのゲームが生まれてきたようなことと似ていますね!」
「在り方としてな。在り方というのは大切なんじゃよ。」
「ゲーム化すると、様々なプロも生まれるし、そこの内部だけで発展していくし、そこでの特殊な能力者ってのも、たまに出てきてね。自分でやるだけでなく、見てても面白いってことがある。」
「言われてみれば、生まれてきた状況は異なるものの、サッカーやラグビー、または、ゴルフ、野球などの球技もそうですね!」
「戦いのある側面を切り取って、抽象概念化とルール化をして、ゲームにしたんじゃ!」
「そういうのは、欧米や中国、インドなど、古代の文明の発祥地と関係がありますね。」
「ヒトがヒトのために自然に導かれたことじゃからのう!」
「しかし、ゲーム化以前のプリミティブな存在も、それはそれで、進歩・進化していく。そしてその営み自体も、大切なものじゃよ。」
「ヒトの理性的、論理的営みは、ゲームとして切り取られてしまったものの総体として集められたものだけではないですもんね。」
「どんなにそういうやり方で切り取られ、進歩するゲームたちがどんなに増えても、それ達の総合が理性の全体ではない。」
「もっと、プリミティブで、しかし、そこのところのちょっとドロドロしていたり、あんまりソフィスティケートされすぎないで、でも、あることが大切な”何か”は残り続けるわけか。それはそうでしょうね。」
「ヒトやそれを含む、社会、環境自体も変わるからなぁ。」
「なるほど、一時期もてはやされたけど、現代ではもう、見向きもされないゲームって山のようにありますね!」
「ヒトの立場から見ると、そういう切り取りとゲーム化は尽きないし、それそのものが存在する環境も変化していくし、そう行った総体が数理科学の在り方とも言える。」
「自然科学とはやはり違って、数理科学とは、まずはヒトありきなんですね!」
「ひとの合理的精神の在り方のコアそのものだと思う。」
「そして、そこからキリ取られて、生まれていくゲームも尽きない。」
「ひとがヒトで有る限り、限りない連続になる。」
「あと何千年かは続きそうですね!」
「そうじゃな!楽しいではないかのう。」
「御意にございます。」
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