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散逸構造と数理生命医学のことについてのお話。


「大きなお題ですね。」

「大きな話はせんことにしてるんだけどな。ちょっと思うところあって、こう言う御題となった。」

「”散逸構造”って言うとプリゴジンですよね???」

「ああ、そうだよ。彼は、1917年、ロシア帝国生まれの物理学者だけどな。が、ロシア革命を嫌ったのか、1921年に家族でベルギーに移住している。」

「あー、物理学者なんですか?ノーベル賞は、確か、化学賞・・・・・・・。」

「それな!彼の散逸構造の研究はマクロな構造を問題にしているように見えるからね!それに、その時期、原子核物理が華やかだった頃で、熱力学は、一昔前の物理って感じもあったに違いないね。さらに、彼は芸術家肌で、分野の細分化された縦割り行政には興味がなかったとも思うな。そういう「大きなこと」を天才肌、芸術家肌の人がやっていける時代でもあったしな。パラダイムシフトが起きて、50年以内くらいまでは、そういうことが起きうる。」

「しかし、彼の先見の明は確かですよね。1953年に日本の高校生たちに”これからは、物性だ!トランジスタなどのデバイスの研究が流行る”っていって、その講演を聞いた子達の多くが後、日本の物性研究、特に、半導体研究の基礎、応用に貢献する人たちを多数生み出して、大学に残って基礎研究を続けるばかりでなく、東芝などへいって、のちの半導体日本の基礎を作ったのも有名ですよね。」

「東芝なぁ・・・。今は昔だなぁ・・・。国策会社が、ハイエナだのハゲタカだののヘッジファンドの餌になってるのを見てるだけの政府はもう、いらないなぁ・・・。」

「その話はやめましょう。また、機会があれば、ね!www」

「あ、そうそう、閑話休題して、な。で、散逸構造を言った。これについては、例えば、WIKIPEDIA:



が短くよくまとまっている。」

「へえ、アシュケナージュ(父)に習ったピアノの腕も相当だったんですね。」

「芸術家タイプの人は、往々にして、科学を逸脱して、余計なことを言いすぎる傾向があるが、プリゴジンもその例に漏れない。当時流行っていた、素粒子物理の深化・進化の方向性については、ものすごく懐疑的だったし、といって、ボルツマンのような多自由度系の制御不可能性みたいなものについても、それを否定的に批判している。」

「ま、大きな御題について研究できる時代でもありましたよね。で、天才と呼ばれる人たちも多く出た。」

「そう言う言い方もできるね。時代の枠組みってのは、個人個人の能力や才能のあり方を逆に規定するところがあるね。」

「今となっては、ってことも大きいんですが、それはこの駄文の主題ではないので、以下:






あたり、読者個人の興味に合わせて読んでみてくれれば良い。妾などが何か言う問題のレベルを遥かに超越している。」

「数理生命医学との関係として考えていることってのはなんですか?」

「今では、非線形非平衡開放系って言われているものは、ものすごく広範で、数理生態学や人口動態学みたいなものまでこの文脈で語る人がいるね。」

「熱平衡状態からは遠く離れているにも関わらず、ある種の秩序が保たれたり、パラメーターの変化で、ある種の秩序の遷移や分岐が起きたりすることがものすごく、広義に解釈されているってことでしょうか?」

「そうそう。それはある意味、的を得ていることもあるように思う。物事の作用機序に、このような系のダイナミクスが契機になって次のスイッチが入るとか、それで入ったことがさらなる契機となって、って言うようなことが、一見安定なものごとの在り方に関係していてもおかしくない。」

「数理としては、非常に小さな部分を切り離して議論することになりますよね、でも。」

「ああ、そうだよ。それしかない。大きな哲学のようなものを議論する時代は、半世紀くらい前までにいまのパラダイムではやり尽くされた感あるしね。」

「小さな部分といっても、例えば、数理的なモデリングとその結果得られる、例えば、非線形偏微分方程式系の解の構造解析などを厳密にやって得られるにはまだまだ、かなり複雑ってことも多いですよね。」

「そうだけどな。それはそれで、新たな工夫や研究方法の開発自体もありうるから専門家としては、まだまだ、遊べるところも多くあると思うね。」

「生命科学も、代表的なモデル生物のゲノム計画はとっくに終わって、その後のタンパクの網羅的な研究と、個々のタンパクレベルでの”機能と構造”の研究も大きく進んで、この後は、一つの方向性としては、それらがよりたくさん寄り集まった時のシステムの振る舞いのダイナミクスを研究することで、これはこれ、素粒子物理がともかくも深く進んだことで、物性の研究が、次にきて、そして、進んだこととアナロジカルに考えても良いかな?くらいの気持ちだなぁ。」

「プリゴジンの時代と、似ていることが生命科学で起こっていると言うことですか?」

「起こっても不思議ではないし、そこで、数理科学としての数理生命医学というものの役割もある程度あると思う。」

「隣接する科学としては、生物物理みたいなものもあって、確かに、数理の拡大の時代があるかもしれませんね。」

「哲学的というか思想的というか、大きな問題を考える時代が終わったことが大きい。個々のレベルで、より個別の問題をなるべく厳密に考え、遷移や分岐など、しっかり考えて、個別の厳密な研究結果を集めることと例外や条件外の事例をしっかりとみて行くことが次のパラダイムシフトについての大前提となって行くと思うよ。」

「で、シアノバクテリアとか考えているんですね。」

「それも、あんまり大きな問題にいかないようにしている。」

「それが数理科学としての”数理生命医学(数理解析)”にとっては、大切なんですね。」

「わかることをなるべく厳密にきちんと考えて行くのは、思ったより、はるかに時間もかかるし、リソースも食う。しかし、そこが専門としては肝心なことだと思っているわけよ。きちんとやっておけばおくほど、リベラルアーツの世界にも、より確固とした指導原理や思想の核を与えることができる。」

「そうすることで数理科学としての研究は、その隣接する様々な分野に影響しうるんですよね。」

「そう願っている。そのためにも、数理科学のあり方については、しっかりと考えておく必要もある。」

「ま、しかし、世紀単位で起こる大きな時代的深化・変化のようなものは個人の人智を超えて起こるんでな。逆にいうと、考える必要はないね!個々の研究者は自分の興味にしたがって、研究すれば良い。できる範囲でな。」

「的外れや無駄もあっても良いと?????」

「200、300年と経てば、自ずから残るものは残って、次の時代のパラダイムを構成する。」

「無駄も的外れも肥やしになると!」

「そういうことかな?知らんけどな。」

「無責任ですね。」

「そういう無責任は悪くないんだぜ。」

「与えられた範囲でやっている限りにおいては、ってことですね。」

「ま、そういうことかな?」


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