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トーマス・ロックリーの浅薄な嘘

「”日本人が信長の頃、黒人を奴隷にするというのを流行らせた!”という大ウソを流行らせたトーマス・ロックリーという人が話題になっていますね!」

「ああ、日大にその嘘の論文で採用されたと噂の人ね!」

「彼が嘘で採用されなら問題だけど、それ以上に、欧米圏では彼の嘘をマに受けて、ハリウッドでは映画まで作るらしいよ。」

「まずいね!それは。信長のところに、”弥助”と呼ばれた黒人が献上されたりしたのは本当で、信長公記にも、その記述があるようですね!」

「あんまり別に、武将としての能力があったわけではないようだね!」

「司馬遼太郎さんが、どっかに書いていたけど、信長は面白がって、そばで小姓のような感じで身の回りのことをやらせたらしいけど、それ以上に世に出ていないところをみると、武将的な能力はなかったみたいだね!」

「信長さんって人は、人をその機能面でのみ評価、使用する殿様で、その人が、軍団を任せたりはしていないね!身の回りで、いろいろやらせたりしただけですね!」

「金平糖のように面白がっただけみたいだね!」

「彼は奴隷だったとか、武士だったとか、侍だったとか、ね。歴史の専門家が聞けば、おかしなことだらけだね!」

「武士というのは、奈良時代の”墾田永世私有令”にその起源が遡るのは、素人でもわかるね!」

「それまでは、公地公民制ですね!」

「で、ね。この墾田永世私有令で、開墾領主というのができてきた。」

「当然、周りの荒くれたちは、自分で新たに耕すことができる場所がなくなって行くと、弱っちい奴のところを略奪し始めるね!」

「で、武器を持って、自衛始めたのが、武士の始まりだね!」

「で、平安も後期になってくると、強いもの同士が、ある程度の”荘園”を持って、対峙しあうようになってくる。」

「跡継ぎで揉めたりもしたでしょうね!」

「そういう時、人はどうすると思う???」

「さあ???権力や武力が拮抗した荒くれ同士は、自分の方が正当であるなどと言い争い、訴訟になって行くような気がしますね!」

「そうそうそれで、天皇の御落胤だの何だのが重宝されるようになる!」

「なーるほど、源何某とか、平のカニがしなどは、皆それで、祭り上げられて行くんですね!!!」

「武家の棟梁だね!それは、京都の公家が落ちてきたような人たちだね!」

「で、その人たちに自分たちの土地を差し出して、その人たちの権威で守ってもらう。そして自分たちは、軍団を組織して、その貴種を護衛するようになるね!」

「ああ、サブラウものたち、ね、それが侍の語源ですか?」

「そうとも言われている。」

「どっちにしても、開墾領主が起源で、自分たちの土地の権利を守ってもらうために、京都の貴族起源のものたちを棟梁に担ぎ、自分たちは、軍隊と警察をかねたような組織を作って行く。」

「平安末期の”源平合戦”というのは、それが行くとこまで行った極限形ですね!」

「まあ、そういうことだね!特に、関東から、以北はそういう気分が横溢していたと思うね!」

「そういう組織化と同時に、在地の国人、地侍というものたちも、自分たちの系譜を飾るようになる。」

「実際に、貴種の末の養女を嫁にもらったりして、氏や素性があるものとなって行く。」

「信長の頃は、それはどうなっていたんですか?」

「武士、侍がこのような権威であった最後の時代で、それを壊して行ったのも、信長だ。」

「信長の織田家というのは、もともとの尾張・美濃から北陸までの広大な土地の守護大名(室町体制)だった斯波氏の尾張の守護代の織田家のさらに、家臣の家で、そういう門地から言えば、かなり低いね!」

「それでも、一応、織田の家があり、平の姓もはっきりしている。」

「姓というのは女系、それに対して、氏というのは男系だね!」

「ただし、日本には、もともと姓というのはなく、飛鳥時代から奈良時代にかけて、中国の姓を真似て、創作したものだね!」

「その話、しましたね!前に!!」

「ま、それでだ。正当な家臣団というのは、一応、氏も素性もあるということになっている室町後期の話だからね!」

「そうでないものはどうなったんですか?」

「正当な家臣団というのは、もう、門地、藩閥があり、宿老などは、新入りをそう簡単に、正当な家臣(武士、サムライ)としては認めてくれない。」

「信長なら、秀吉などですね!彼は、なんかよくわからない野盗団(蜂須賀党)だか、山賊だかの使いっ走りしていたんだよね!」

「軍才があり、信長が引き上げて行く。」

「こういう時、小姓というのは、便利なんだよね!」

「権力者自身のそばにおいて、能力を見定めると同時に、使えそうなら、新隊を任せて、物頭などやらせてみる。」

「で、戦上手であれば、だんだん頭角を表すものもいるということですね!」

「そうだね!信長は、そうして、専門の軍事集団やその頭を作り、軍事だけで、給料を払った最初の殿様だね!」

「それまでは、そうではないんですか?」

「室町後期でも、例えば、武田軍団とか、上杉軍団などは、基本的に平安末期の”武家””侍”のままだよ。普段は、自分の土地におり、田んぼや畑をやっている。」

「川中島なんて、何度もやっていますけど、確かに、農閑期だけ戦って、田植えとか始まると講和して、帰って行くんですよね!」

「だから何度も戦う羽目になったとも言えるね!」

「まあ、しかし、足軽などが出てきた時期なので、専門の軍事従事者を養える素地と環境ができてきていたんだね!」

「特に、信長は、貿易を好み、その利益で、武器も購入し、また、軍団を一年中そのためだけに仕えるものとして、雇っていた。」

「その棟梁は、信長5軍団では、明智光秀、羽柴秀吉、柴田勝家、滝川一益、丹羽長秀と務めさせている。」

「軍団を任せても勝てる戦wできるものだけですね!門地、血縁・地縁関係なく命じている。で、佐久間信盛など、能力が武将に向いていないと感じたら、放逐しているね!佐久間家は、代々の門地なんだけどね!」

「旗本的なものもいますよね!有名な森可成(イケメンで、爽やか、物凄くモテたらしい!)とか、林秀貞とか・・・。」

「連枝衆もいるけど、信長の織田家は、信長以外は、その軍事的な才能を受け継いでないね!むしろ、趣味人みたいな人、アーティストみたいなのは結構いて、有名なのは、織田有楽斎とかだな!」

「ああ、武将には絶対ならずに、茶の湯や陶芸などに没頭てして、そのおかげで江戸時代まで生き延び、家康にも上手く取り入っていまの有楽町に屋敷ももらって、生涯、気楽に暮らしていますね!」

「有楽町って名前が、そもそも、その有楽斎の屋敷があったことかついた名前だからね!www」

「で、小姓ってのは、なんなんですか?」

「信長が個人的にそばで追い使ってみて、使えそうなら、抜擢して行く可能性のあるやつだな!」

「前田利家や羽柴秀吉などは、小姓上がりですね!」

「そういう可能性もあるということだね!」

「なんていうか、能力が無かった時も融通聞かせやすいんだよね!ずっと厩の面倒見る係りとかにも回せるし、ボディガードのようなこともさせられる。」

「なるほど、その弥助さんは、膂力はあるが、言葉が話せないので、軍団を任せたりはできないから、大きな槍か薙刀、刀など持たせて、私的なボディガードを任せていたんでしょうね!?」

「どうもそうらしい。少なくとも、信長公記ではそう!」

「武士や侍ではありえないですね。。。」

「そだね!でもね、小姓というのは、正式な家臣団の埒外のものたちではあるけれど、場合によっては能力次第で大名にも旗本にもなれるんで、信長が、それなりに見込んだものだから、奴隷などではありえないですね!」

「小姓上がりに、羽柴秀吉、前田利家など出てますもんね!w」

「武士や侍と農家がはっきりと分けられるのは、秀吉の刀狩り以降で、(太閤)検地をやって、農民からは武器は取り上げた!そして、その後、江戸期に、身分制度が完全に固定され、武家諸法度、禁中並公家諸法度などが定められ、農民は農民らしく暮らせ!ってなって行くね!」

「戦国では、そんなにはっきりとは別れていないということですか?」

「戦時体制なんでね。特に、信長って人は、人を機能面からのみ見て追い使う人で、膂力や基本的な運動能力はあっただろうけど、日本語が不自由だった”弥助”は、軍団長などは任せられず、ボディガードを任せられて、常にそばにいたようだね!」

「屋敷や俸禄など、かなり優遇されていたようですね!」

「側に置く人は、感謝されていないと危ないしね!w」

「本能寺で一緒に死んでますね!忠義の人だな!」

「まあ、奴隷などではありえないよ。信長は、面白がって側においていただけかもしれないけれど、優遇はしたみたいだね!」

「まあ、そうですね!冷遇する意味もないし、ボディガードには、十分な棒給を取らせて、しっかりと働かせたろうね!」

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