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二十歳の誕生日の思い出の話から始まったはずの話5

「もう、なにも書きたくないんです・・・・・・」
「想定外に文章を考えさせられたからってそんなにへちょけることはないやろ」
「よしよししてください元気になります」

明石海峡大橋は、明石市にはありません。
でも、「明石海峡大橋の景観」は明石のものです。
富士山が箱根名物なのと同じです。

歴史の話をしますと、律令国家成立時には明石国があり、後に播磨国に合わせられましたがこの時からずっと現在の垂水区、西区は明石と共にあり続けました。
明石藩がつぶれて明石群になり、その群を構成する自治体が神戸との合併を選択した(明石市自体も神戸との合併を検討しました)ために明石海峡大橋の起点たる舞子が明石市でなくなったわけですが、果たして舞子は明石でないのか。

ニッポニカで六甲山地と引きますとこんな表記が出てきます。

「西端は明石市塩屋海岸で」
塩屋海岸がどこにあるかというとこの画像の真ん中やや右です。
明石市の中心市街が左側の忠則塚あたりで、明石海峡大橋があって、五色塚古墳と呼ばれる遺跡があって、垂水駅前のイカナゴモニュメントがあって、滝の茶屋の絶壁と異人館があって、そして塩屋海岸があるわけです。

つまり、ニッポニカの記述に従えば、明石海峡大橋も五色塚古墳もイカナゴモニュメントも異人館も、垂水の主たるものは何もかも明石市内にあることになります。

そして忠度塚。

歌詠みで有名な平家の貴公子、平忠度が一の谷の合戦にて討ち死にした際の遺骸を祀るところとされています。それが明石と神戸長田とにある。

平家だけでない。「光る君へ」の源氏物語においても須磨と明石は源氏が藤壺との密通の罪を恐れて京を去り、そして明石の君(明石の中宮の母、つまりは皇太子の祖母)と結ばれる地であります。

本来この辺り一帯は一つのエリアとして歴史的に認識されてきたし、であるなら須磨まではすべからく明石と言えるでしょう。

明石は淡路岩屋との航路をもって淡路島一周ツーリングの皆様をお送りお出迎えしていますが、最近神戸は須磨から淡路島への航路を引こうとしています。

満州事変は、並行路線は爆発することを語っているのですがね・・・・・・

まあ、ここまでぐじゃぐじゃ語ってきた諸々のコンプレックスの為に、私は見事に「べっ別に神戸の事なんて好きじゃないんだからね!神戸なんてちょっとおしゃれでモダンで実は自然豊かで歴史文化にあふれてて食事がおいしいだけじゃない!」という感じのウザイツンデレムーブをかます人間になってしまっているのです。

以上!

「結局胸の話せなんだな」
「道教徒はまた動かすかも」
「さよか」

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