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ふらんす的魔性について

「はぶさんに襲われました」
「そりゃな。前回の沖縄に対して凄く失礼な内容を自己批判する言葉が『キオス島の虐殺的オリエンタリズム』やったからな」
「柳田民俗学的に沖縄は一種『日本文明揺籃の地』なのでつい…」

注意:以下の文章はアルセーヌ・ルパンシリーズ中の1作品、「813」のネタバレ要素を含む可能性があります







ファムファタル(以下FF)について話したいわけです。

因みにまだ永井荷風先生の「ふらんす物語」は読めてません!
私が読んだのは「濹東綺譚」と「ナナ」です。それ以外にも「ナジャ」「さかしま」経由で「悪の華」を回収したり澁澤龍彦訳「閨房哲学」に手を出したりはしました。

が、そういうのはいったん置いといて、私自身にとっては、FFのいる作品というとどうしても「813」と「三銃士」(少年少女名作全集系のバージョン!)になるんです。

以下作中の固有名詞は出しませんが、いずれかの登場人物がFFであるってだけですごくカンのいい人なら登場人物が出そろったくらいで黒幕がわかる可能性も結構あります。女性の登場人物少ないし。

と、いうわけで、改めてご注意ください!手遅れだったらすみません!!!

両作品とも所謂男をダメにするFFとしての側面はかなり薄いです。小学生向けに出版されてますから当然かもですが、そことは別に私にとっては凄くエモーションを掻き立てられた側面があります。

それが、共通する構図として
①か弱めの存在として登場
②徹底して黒い正体が明らかに
③自殺もしくは断罪で死亡
がある所です。

①から②へ、②から③へ行くときに、力学的逆転が発生するわけです。
最初は能動的な主人公陣営に付き従う存在だったのが、主人公を絶体絶命の危機に陥れようとする存在、主人公を守勢に回らせる存在へと変貌し、結局は主人公の力によって討ち果たされ、主人公は能動性を回復するわけです。

この過程自体は少年向けストーリーには割とあるあるなんだと思いますが、私のとって最初期の悪女像がこの形を取って現れたことは、結構私の嗜好を決めちゃている感があります。例えば「閨房哲学」を読んでもサン・タンジュ夫人×ドルマンセが①→②で、ドルマンセ×ウージェニーが②→③ぽいな~となりながら読んだわけです。

幼少期の食事は一生の味覚を規定する、という話しでした。

「フランス書院文庫と文庫クセジュを交互に読む企画とか言ってたよな?」
「クセジュさん結構性関係の本多いので面白いかな~と思ったんですが、私オールハッピーでノンバイオレンスじゃないと読めないのでなかなかいいのが見つからなくて…」
「ん~ナポレオンと美少女が現存してりゃよかったかな?」


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