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教養豊かな人だけど、うっとうしいと思う理由。

教養豊かな人、知識がある人、本を沢山読んでていろんな視点や知識や引用を関連付けて話せる人、そんな人をnoteで見つけてためになるなぁと思いつつも、半分ぐらいうっとうしいなぁという気持ちも抱えた。多分それさえなければ、もう少し花咲くろうに。反面教師にして、そうならないべくタイトルの事について考えてみる。


結論から書くと、無駄が多いから、うっとうしいのだ。


無駄の列挙

1、蛇足(知識のひけらかし、見下し、御託)

本を一万冊読んで全部に共通する1つの考えとかなら、一万冊という数字と言葉に意味はある。しかし、私はこれまで一万冊以上本を読んできましただとか、私の蔵書はこの図書館より多いだのとかそんな話で引き合いに出される数字や言葉、自慢、権威づけ、自分を大きく見せようとか、相手をしたにみてるそういう態度が無駄で、うっとうしい。目の前の何かの本題を理解したり、解決したり、自分の興味関心を前進するなんの助けにもならない。無駄だ。

思うに、知識を得て賢くなると同時に、賢くなった自分として自意識も肥大するのだろう。だからこんなに賢い私!と誰かに誉めて認めて欲しがってるわけだ。構ってちゃんでうっとうしい。



2、回り道や脱線

自転車しかない人は、自転車で行く道しかない。しかし、車やバス、電車と様々な手段や経路を持つ人はどんな道も選べるし、それぞれのメリットデメリットも理解している分だけそれを誰かに説明するとなると、色々長くなりがちだ。それよりもシンプルに丸々しろといわれた方が聞く方に響くことがある。つまり、読者(お客)と読み物(商品)のニーズと提供のギャップの話である。読者にしてみれば回りくどいそんな知識や話や機能はいらない!!と無駄がられているわけだ。

但し、これは、コミュニケーションや営業力といったお客のニーズを汲み取る能力か、あるいは、商品や読み物として作品として先に形にする場合なら、読者の想定や設定が甘い、読者の求めるものに合わせて必要な情報を取捨選択してまとめる設計やパッケージ化(編集)の能力の話になる。

知識があってあれこれ気が回りすぎるからこそ、回り道のように見えているだけで、多分ここは無駄ではあるが少しうっとうしいぐらいかもしれないし、能力なのだから、改善も容易かもしれない。




3、解決しない

知識があって、色々な視点や答えを持ち合わせているが、相手の望む答えを引き出せない場合。上の2にも近いが、ニーズとあっていない場合、散々色々なことを聞いたけど、結局はどういうことだったんだ?それらしいことをいうから期待してたのに裏切られた、解決していない。うっとうしいとなるのだろう。



4、導かれない 知ったかぶり

答えを知るが、答えのだし方を知らないとか教えられないとかそういう場合だろう。話の流れや途中で、詳しくはこの本を読みなさいはありなのだけど、本や人の出典紹介ばかりだと、その記事やその人自体の価値がうすれる。この人は本当に知っているのか、わかっているのかと疑念が生まれる。丸々をしろという指摘やアドバイスは明快だが、端的すぎてその答えに至る背景やその答えを得るまでの方法論の獲得も大事なのに、そこを軽視している。以上より、導かれてはいないという印象を受ける。いわゆる知ったかぶりと発言は一緒になってしまうのだ。知ったかぶりはうっとうしい。



5、主体性がない

それだけ物事を理解して、知識があるなら、自分から率先して人を助けに行くとか、その知識を有効活用してほしいと思う。しかし、口ばっかりで、結局それっぽいことを言ってたけど、実際実務においての足しになったか??実益になったか?というわけで、うっとうしい



6、自分への指摘がうっとうしい

あなた不勉強ですよとだけ指摘するような、それは足りてないと提案なく批判するような、相手のことを気遣ってない関わり方の場合だ。本来指摘事態が、疎ましくおもわれがちなところに、土足で配慮なく踏み込んだら、人によってはそりゃ面倒がられるだろう。指摘そのものは自らの前進のために有意義なものだけれども、そこに邪心が混じると、それは露骨に即座にやはり伝わるもので、うっとうしさになる。




終わりに

反面教師として、まとめておこう

偉ぶる的な発言、蛇足を極力省く。
相手のニーズに合わせて語る、または、読者を想定して設計編集する視点を持つ
記事のゴールや構成、結論部を明確に意識する
できるだけ掘り下げて誰が読んでもわかるようにかき、誰でもゴールまで到達できるように書く
実務実態においては、口より手をまず出す
相手への配慮を持ち、真摯にコメントレスをする。

といったところに気を付けようと思う。

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