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言い訳について 整理完全解決 格好悪くも、必要なときもある

私は言い訳を格好悪いとか、必要ないと思う方である。しかしそういうケースばかりではないと思うので、整理したい。



言い訳にはまず2つの大別がある。

自分への言い訳、相手への言い訳の方向性による大別がある。

自分への言い訳とは、自分で決めたことを守れない。自分ルールを都合つけて破るようなことである(結局いつも守らなくなる)。自分への言い訳は誰の得にもならないし、そのうそぶいてプライドを守ろうとする様が不快ですらある。嘘や欺きは不誠実であるし、次の機会への反省や改善に思えないからである。

一方で、相手への言い訳は、やや複雑だ。ある出来事の結果や過程に、誰かが不満を指摘した場合、その相手の不満への弁明や状況説明をするのが相手への言い訳だ。そこには様々な要素や視点がからみ、絶対言い訳が悪にはならない。ほとんど悪にはなるが…。




相手への言い訳の関連要素

第一、話を聞くあなたの立場、相手との関係

第二、謝罪と原因責任追及(ミスの詳細とその謝罪)

第三、今後の対応、反省改善の態度

第四、愚痴(感情的吐露や問題の矮小化)、同意共感

要点を理解するために例を2つ用いようと思う。



例1 カレー屋

引継ぎのミスがあり食材を1つ入れ忘れたという状況。

あなたがもし、お客さんの立場ならどうだろう。店員からぐだぐだとミスの詳細を聞きたいだろうか。それより、簡潔で明快な謝罪と、求めている要望を叶えて欲しいと思うだろう。時間がないし味にこだわりがないなら、ミスはいいから早くだしてよとおもうだろうし。食材の分あるいは迷惑分、少しサービスしてくれればそれでいいと思うかもしれない。あるいは、人気店で順番待ちの末にたどりついたのなら、次来たときは並ばすに席に通して欲しい!と、要求するかもしれない。

あなたがもし、店長の立場ならどうだろう。上述のお客さん対応について頭を悩ませると共に、従業員教育として、ミスの詳細確認や、ミスをした人の謝罪や反省や今後の抱負を聞いて、今後の円滑な運営につとめたいと思うだろう。

あなたがミスした人の恋人ならどうだろう。少し気落ちしている相手の愚痴やなんで気落ちしているか、その心情や出来事をただ聞きたいと心配して耳を傾けるだろう。




例2 交通事故の現場

双方のミスもあって、車同士が衝突して道をふさいでいるという状況。


あなたが、事故直後に通ろうとした通勤者ならどうだろう。事故をしたことでいさかいあっている二人の話なんて全く聞きたくもない。一刻も早く車をどかして自分の車を通してくれ!!と思うだろう。

あなたが、保険の審査員ならどうだろう。過失割合の算定や保険の支払いのために、双方の話を細部まで聞いて事故状況や原因、双方の落ち度や原因責任を徹底的に確認しようとするだろう。

あなたが、事故者に同乗していた先輩や上司ならどうだろう。その後輩や部下は、悪友に話すように、始末書1枚で済みますよね?と発言してくるかもしれない。スピードが出すぎていたせいもあるとあなたは思っていても、本当についてない!と運のせいにする発言をするかもしれない。あなたはなにか言いたくなるだろう。

あなたが事故者の恋人や家族なら、どうだろう。身の安全に喜びつつ、事の次第を聞きながら、頭のどこかでこの人の運転技能は大丈夫なのだろうか、信頼できるのだろうかと、内心値踏みしているかもしれない。





コミニュケーション不全の問題

こうして整理してわかるのは、言い訳とはコミニュケーション不全の問題であり、聞き手が望む会話や内容や答えの答弁ができないときに起きる問題で、話を聞く人の立場や状況にかなり依存することがわかった。

立場によっては、詳細なミスの原因責任追及の内容も聞きたい、聞く必要があると思うし。ミスを踏まえて、反省している様子や今後の改善を言葉で報告してもらい、再発防止、彼彼女の成長に繋がってほしいとも思う。相手の喜ぶ顔、気分が晴れた顔が見たいから、うっ憤やぼやきみたいなものでも、吐き出してほしいと思う時もある。

しかし、聞く立場と相手の発言がかみ合ってないと、擁護・弁明ばかりしていて見苦しいと思ったり。原因追及が甘くて、また同じことが起きそうだとか、事態をうまく把握できていない!と思ったり。問題を軽くとらえていて反省していない!等と思ったりするのだ。つまり、言い訳であり、見苦しいと思うのである。




立場の整理

上述の例の通りで、その原因責任や利害関係に無関係な第三者(お客や通りすがり)ならば、謝罪と自らの要望の話になる。余談だが、クレーム対応、効果的な謝罪の心得みたいなテクもあるので、気になる方はお調べください。

原因責任に関連するが、利害関係はないならば(警察官、弁護士、保険の審査員等)、原因責任追及だけの話が欲しい。

原因責任に関連し、利害関係もあるならば(会社の同僚や先輩後輩、管理職等)原因追及はそこそこに、謝罪と反省と今後の方針を聞きたい。多少の問題の矮小化や茶化し(愚痴やぼやき)も許されるが、いき過ぎると、反省していないように見られる。

因果関係も利害関係もほとんどなく、感情的関係にあるならば(友人や恋人等)原因追及でも、謝罪でも反省でも、何でも聞いて、愚痴でもボヤキでもなんでも吐き出してほしい(どんな答弁も言い訳にならない)のである。





終わりに

言い訳としてやり玉にあがるというか、巷にあふれるケースは2種類だと思う。お客さんや被害者にえんえんと私は悪くないでしょ!すべて詳細に話します!私のことをわかってください!みたいな、真実事実かもしれないが、弁明にも聞こえる言い訳がましいと思われるケース。謝罪の場と、原因責任追及の場を履き違えているケース。

少しは親しさもあるゆえに、感情的関係のように履き違えて、同僚や先輩や上司やらに愚痴やボヤキのような問題の矮小化(私を慰めてほしい)をしてしまったりするケースのどちらかだろう。

ここまで書いてみて、この構図は他のコミニュケーション不全にも通じるものだと思った。自慢話といわれるものもそうだ。本当に尊敬している人の話ならば、自慢話とは思わないけれど、尊敬していない人の過去話は、無駄な自慢話と思ったりする。当該事柄を題材に、抽象的な学術的答えを探す話をしようと思っても、そこまで細かく考えないよ。次はないよ。そんな絵空事を語る前に反省したら?と思われたり。何を言うかではなく、誰が言うかとはまさに真理だと思う。


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