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真のオタク、偽物のオタク、うざいオタク、卒業するオタク、逃避のオタク等々

オタクについてかかれた記事を見て、オタクについて整理しておこうと思った。世の中には間違った、ずれたオタクが多いように思う。




オタクの定義と解釈

オタクとは、以下のように定義できると思う。

興味関心のあるものに、自らの可処分時間と可処分金銭をできうる限り捧げて、その分野や物事に精通上達している人のこと

本来的な意味では、アスリートや達人とか研究者と呼ばれるようなそういう人へのイメージが真の意味でのオタクだと思う。

常人では計り知れないほどに、自分の道を進むのに余計なものを切り捨て、より遠くに行くためにできうる限りの労力をさき、より良さを追求して突き詰めていく姿勢。その道を理解できなくても、そのストイックさや成果に畏敬の念を覚える。(マツコの知らない世界に出てくるような人たちもここに該当する)

しかし、そうではない誤った、ずれたオタクも多くいる。





オタクにおける姿勢の誤り

自分の道を勘違いしている

趣味とは、自分の心の奥底から湧き上がり求めてしまう原型と採用の現象だと思う。理想的な ̄人間や人生の在り方、時間の流れ方、充実感、満足感の在り方が明確にあって、それに合致する趣味興味関心が、採用されるという現象だ。

過去にサーフィンの魅力について書いたことがあるが、私にしてみれば、一人でマイペースにできて、高難易度を着々と挑戦してこつこつ成長を実感できる。下手でも楽しいし危なくない、人に迷惑かけないしどんな人も共存できるみたいな心の原型があって、そこにサーフィンがドハマリしたとそういうことだ。

漫画やアニメが好き!みたいなよくある一般的なオタクの人は、本当は漫画やアニメの”物語性”が好きで、人間の心の機微に興味があって、純文学や心理学や哲学やそういう方面への興味関心があるのかもしれない。しかしそこに気づかずに、その人に、より合致する他の道があるのに、漫画やアニメを採用してしまうようなことが、誤ったオタクだ。あるいは、音楽や声優の演技など、音や声への興味関心が強いのに、それをただ漠然とアニメや声優ラジオを採用している場合などもそうだろう。他にも色々、この誤った、安直なオタクは存在するだろう。

なぜこんなことが起こるかと言えば、アニメや漫画が安価で手軽なコンテンツだからだ。自分の心や興味関心と真剣に向き合う前に、50,60点でそこそこ満たしてくれるそれにすがってしまうわけだ。





周りに合わせている、キャラづくり。

これは、本人もある程度自覚しているケースだと思う。帰属する仲間集団において、みんなMステを見てる、○○のアイドルが好きとなれば、自分も話が合うようについついそっちに引っ張られてしまう。本当に興味がないなら多分手を出さないのだろうけれども、30,40点でも自分の心に合う部分をみつけて、なんとか採用している場合だ。

あるいは、オタクという属性を自己紹介や、キャラづくりに使う場合もある。私は○○だという特徴的でキャッチーなものがある方が、自分を紹介したり、新しい集団内に溶け込みやすい。なので、記号的に、私は○○です!と用いて、そう言った手前、一貫性を保つために、その○○を続けてしまうような場合だ。(真にオタクの分野をそのまま紹介できる猛者ならば問題にならないが、普通は、万人に言ってもいいレベルのオタク分野を採用してマイルドに言うような場合に起こる。)





ウザいオタク、キモイオタクの誤り

ウザイ=他人に迷惑をかける

キモイ=他人の価値観では、理解できない 許容できない

ついつい自分の興味関心に集中していると、世の中のルールや一般常識や他人の目を見失うことがある。そういう場合にウザイのレッテルを貼られてしまう。ただ、法律違反で人に迷惑をかけるウザイレベルでなければ、そこは、まぁしょうがない場面も多々ある。鉄道オタクが、写真撮影のために私有地に入ったり私有地で用を足したりするケースはアウトだが、アイドルオタクのせいで、その日だけライブ終わりの電車が激こみで、一般人からしたらうざいみたいな、どうしようもないレベルもある。

キモイもまぁしょうがないケースが多々ある。キモイ=理解されない。なのだから、その喋り方を平気でできる心理がわからないとか、その服装でいられる心理がわからないとか、その・・・と、結局はその人の価値観と許容の話でしかない。どうすることもできない。この辺は、以下の記事を読んでもらうと伝わりやすいかもしれない。キモイはどうしようもないので、ウザイオタクになってしまっていないかだけ、省みる必要があると思う。





堕落する陳腐化する、オタクの誤り

ライフスタイルの変化(学生から社会人になった、恋人ができた、子供ができた、仕事が忙しくなった、転勤して場所が変わった等)によって、興味関心にさける可処分時間や可処分金銭が変わってしまう場合がある。そういう場合、人は減ってしまった時間とお金でも、なんとか自分の興味関心分野にすがろうとしてしまう。

アイドルオタクの人で、応援する、推す、美しさに惹かれる、周りと一体になって盛り上がる、そういう心の原型をもっていてアイドルライブに行きまくっていたのに、時間やお金が減ってしまったせいで、Vチューバーでいいや、今の趣味はVチューバーです!みたいな場合だ。70,80点のものから、資源が減った中でも手に入る40,50点に今は熱中していますという場合だ。

より安価で手軽なコンテンツで心を満たすことは、堕落や陳腐化で、自分の心の原型を軽視しているように思う。まぁとはいえ、心の原型と、その時の実体実務現実世界のバランスをとることも、必要でしょうがないことなので、この辺のさじ加減は難しい。安直になっていないか、流されていないか、惰性になっていないか、陳腐になっていないかは、常に自分の心と向き合うべきだと思う。

そして、あまりにも時間とお金が枯渇すると、その趣味から卒業(引退)してしまうこともありうる。

堕落したままその安楽さと居心地の良さに、資源が回復しても、もう戻れなくなることもある。心が情熱が枯れたのだ。折れたのだ。




格好つけている、逃避しているオタクの誤り

一番扱いに困る、一番複雑で闇が深い話のように思う。

オタクっぽいことをサブカルというように、メインのカルチャーがあって、サブのカルチャーがある。3次元のアイドルや芸能人が好きです、おっかけてますというメインのアイドルオタクのカルチャーがある中で、私は二次元(2.5次元)派です。普通のアイドルじゃなくて、アイマス推しですみたいなサブがある訳だ。あるいは本当に超絶可愛くてパフォーマンスも凄い○○アイドルじゃなくて、あえて地下アイドルの○○が好きです!みたいなのも同様だ。メインとサブ。多数派と少数派、光と影。

本当に明確に心の原型として、近い距離がいいから地下アイドルとか、現実の女の子ではない、理想的で非現実の美に惹かれるとかでサブ(少数派)を推しているのならば一向にいいのだが、そこに格好つけや現実逃避が過分に混じっている場合がある。

ガチ恋勢というか、同じファン!!!の中で、他のファンに負けたくない、自分は特別でいたいという恰好つけから、あえて少数派(小規模集団でなら自分が一番になれる)を目指したりする。サブ側にまわろうとする。他には、現実での辛さや過酷さから、現実の嫌な部分から逃げて、異世界モノや、ハーレムモノに浸るような場合も、オタク活動というよりかは、現実逃避活動になっている場合がある。

他には、同じファンとして、あういう輩と同じものを好きだと認めたくない、思われたくないという心から、逸れたりする。陽キャ陰キャ。文化系と体育会系。光と影。メインとサブのように、嫌悪心からそれる場合だ。




終わりに

こういう誤ったオタクたちが、ウザさや気持ち悪さを産んで、他のオタクたちにも迷惑をかける。

一番最後に述べた、格好つけや、逃避や、嫌悪から道を逸れるオタクは、根が深い問題で、簡単には認めたり解決できない話だ。誰にでもわかる心だし、仕方のない部分も多少はある。

年を取るにつれて自由な時間も金も減るので、若いうちは無理してでも、小さくまとまるオタクでなくて、本当に心の原型と合ったオタク像を追求してほしいものである。

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