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キモい=気持ち悪い=自分の価値観基準で許しがたく理解できない

キモいという言葉はあまり好きじゃない。思考停止ワードで底が浅い言葉だからだ。なんか良くね!?とかも一緒。自分にとって、どこがどう良くて、どう心を打ったのか。自分の言葉で拙くても拾い集めることで、自分という人間を理解できて、少し先に進める。お手軽な言葉で楽した分だけ、世界や自分の理解から遠ざかる。さて、そんなキモいという言葉について、タイトルの結論が腑に落ちたので、書いておく。



キモい=自分の価値観基準では許しがたい理解できない

キモいは、生理的に気持ち悪いという文脈をひっさげて使われたりする。生理的なのだから、生物として万人にとっての総意であるとか変に力強い否定の言葉に思えたり。はたまた、生理的なのだから気持ち悪いと思うことは、自然で避けられないことだ私が悪いわけではない!!という免罪符を振りかざしながら相手を叩きに行く狡猾さを感じたりする。本当にキモいとは、好きな言葉じゃない。


しかし、よくよく考えてみれば生理的に気持ち悪いがキモいではなくて、自分の価値観や判断基準から逸脱して、平気に過ごしている人を、許せなくて理解できなくて気持ち悪いとなるのだとわかった。



美意識の高い人は、髪ぼさぼさとか汗臭い人を、キモいと思うし。

容姿に敏感で気にする人は、顔の美醜でキモいと使うだろうし。

陽キャ陰キャ(外向的内向的)は双方に、相手の振る舞いをキモいと思うだろうし。

色んな人がいる場所で大声で話す人

店員とか立場の弱い人に、横柄な人。等々



余談だが、この話を書くきっかけは、上半身裸でランニングしている人を見て気持ち悪いと瞬間的に思ってしまったことだ。で、良く良く掘り下げてみたら、自分にとって、分不相応なこと(実態と外が乖離していること。虚飾していること等)、合理的でないこと、各自が好きなことをしていいと思うが、それを他者の前で、他者に干渉や見せびらかすような振る舞いが好きでないのだ。




終わりに

生まれ持った時から疑うことなく当然としてきた価値観に照らし合わせて、その対象や事物が逸脱していて許せないと、キモいし相手が悪いと思ってしまう。その当然でしょのところを生理的という都合のよい言葉で誤魔化す。

そうではなくて、キモい気持ち悪いという言葉は、好きと一緒でそれ自体に善も悪もない。その言葉の背景にある自分を理解する機会であり、相手を攻撃したり相手に向けて振りかざすように使う言葉じゃない。

まぁとはいえ、それで自分はこんな価値観を大事にしているんだなと理解できても、その先の、ではなぜ相手がそれをしているのかまで理解して納得して許容するのは難しい。人と人が分かり合うことは本当に難しい。

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