日記

文字書くのが楽しすぎる!!

最近になって文字をかくのが楽しすぎることに気づき始めた。自分で構築していく楽しさもあるんだけど、それよりも自分の考えをとにかく放出することが何よりも楽しい。

最近になって夢小説を書いている。占いツクールを最後にもう書かないと思っていたのに。地盤としてもうそういう性質のオタクなんだろう。
夢小説といっても、自創作キャラの、である。こんな需要を自分で生み出さなきゃならない創作なんて…超楽しいんだこれが。
今は短編夢小説を書き溜めていて、それを本にして販売しようと思っている。全部陰湿な話ばかりなので、買い手を選びそうだけど、とにかくやりきることが何か作品を作る上で大きく大切なことだと思うんだよね。

乙女ゲームで遊ぶことによって心の逃げ場ができた。現実的なことからふと離れてみたいなと思ったときに頼っている。実際にそのキャラと恋愛がしたいとかじゃなくて、今みたいな感じでちょうどいい。

本を読むのが楽しい。湊かなえさんの小説作品に最近はどっぷり。ミステリっていうかヒューマンドラマなんだよね。本筋とは関係のない話をいかに面白く書けるかっていうのは漫画家や小説家、物語を作る人の才能が表れるところだと思うんだけど、そういう部分が面白い。読了後ずんとくるのも好きだ。ページをめくる手が止まらなくて大抵1日のうちに読みきってしまう。

うちよそも楽しくて。やっぱり血で血を洗うような世界観が好きで、そういうところで芽生える絆や感情に萌える。キャラ設定だとか、最初のうちに練りきっていた方がいいのかもしれないけど、最初は穴ぼこ多めにしときがちなんだよね、それが相手にとってはやりづらいとかあるかもしれないんだけども...。相手のキャラと合わせたときに見えてくる回答が突拍子もないものだったりとか、自分で出した答えなのに新鮮味を感じるとかそういう発見が嬉しくてつい。なので、月日が経っても新しい発見があったりして、そういうのが楽しいねー。そういう点、うちよそって化学なんだよな。

同時に不安感を抱えている。詳しく書けないが、人に自分が味わっていた同じだけの苦痛を味わわせてしまうかもしれないことが予定としてあって、それが嫌だ。そこで私の無能さ加減を自分で思い知るかもしれないというのが...…これらは私のネガティヴもあって誇張しているようにも感じるが。
あるかもしれない恐ろしさ(それは「ないかもしれない」にも関わらず)にナーバスになっている。というか、この恐ろしさは今に始まったものではなくて、私の性質として抱きやすいのだけども。心配損なんだ。もっと瞬間瞬間を楽しく生きれることに目を向けられたらいいのにと思って、今楽しいことを日記として書いた。
なんか、なんか、メンヘラとか言われたくないけど、そんな可愛いようなもんじゃないから、私が頑張ってることって何だったんだろうとかって今すごくそんな気持ち。こういうこと書かれる方が、私と関わる人はショックなんだろうなって思ってもいるんだけど。誰かを加害したいわけじゃないんだけど。じゃあどうしたらいいですか?
いつまでこんな痛々しい人間でいるんだろうね。30代も40代も50代もロリータを着ていてもいいのかな。そしたらおまけに私のよくわかんないとこも全部キャラクターとして認められるかな?

ただみんなが楽しくいれて私も楽しいならそれでいいと思うんだ。けど、他人の目を気にしたり他人の心配とかでこんなクチャクチャな気持ちになるならもう少し自分を優先して愛したほうがいいのかな。
なんかもうよく分かんなくなってきた。心がぐちゃぐちゃしてる証拠だな。


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