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私と蒸気

ウェイパーウェイヴは死んだ。

私がツイッターを始めたのは2018年頃だったか。
その頃は空前のウェイパーウェイヴの流行りが絵描き界隈に確かにあった。初めてツイッターに来たそこは異国であった。最新の情報を見ているはずなのに、流行りが逆行しているのだからそれは新鮮だ。
ウェイパーウェイヴとは素材の加工と切り貼りだけで制作されるまさに蒸気のようなつかみどころのない音楽のことである。さらにそのアートワークもVHSスチール、旧式コンピューターによるCGなど古いもの、また古さを感じられる加工をほどこしたサイバーパンク風味のあるものである。
一度衰退したはずのものがまたイラストで復活して一時的に流行となった。
むろん私もその流行に乗った一人である。独特コラージュによるその正解の無さ…というよりむしろ混沌を美とするところや、どことなくなつかしさを感じられるのが好きだ。

ウェイパーウェイヴというよりかは、レトロに対する憧れが強かった時であったともいえる。実際に大手イラストレーターでもレトロ調を売りにして本を出していた人もいたし、「エモい」というワードが生まれたのもおおよそこのあたりである。
(ちなみに私はエモいがモダンレトロなものに対しての誉め言葉というのは釈然としない。どちらかというと私にとっては裏路地のネオン街などの方がずっと「エモい」。)

何事も初期衝動の方が美しく感じられるものだ、だから私はツイッターの良かった時はその頃を思い出す。しかし流行に過ぎず、何とも言えない独特なその良さは徐々に蒸気となり死にまた向かうのだが。

そのとき繋がっていて仲良かった人たちのことを思い出す。何時間でも話せた人、この人とならずっと面白い尖ったラリーが返し続けられそうだと思えた人、この人とずっと絵の交流ができるんだろうと思えていた人。
今は違うジャンルに行ったり、他に仲のいい人ができたり、仕事をして生活が変わったり、アカウントを消したり。そういうこともあって誰とも話すことも無くなってしまった。思えば6年経つのだから仕方がないよな。

今何してる?
それくらいの軽い話題で、人の批判なんかでバズるなんて性格の悪いコンテンツじゃなかったころまで死んでしまったんだろうか。

6年あれば相手から見ても私も変わったんだろうか。私も気づけばウェイパーウェイヴを捨てていた。

レトロへの憧れというのは無くしてしまったものがまた手に入れることは難しいから一層欲しく思える欲求の表れもあるよな。

でもそれらって完全に消えたわけじゃなくて、どこかに地続きになっていることを私は信じてる。
バターみたいに、元は個体だったけど、溶けて薄く薄くのばされて、どこにあるか分からなくなったが確かにそこにバターは塗られているのだ。

そんな感じ。だからどっかでまた私のことを思い出して楽しかったなって思ってもらえたら、いいなー。

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