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【外伝1】僕が上京した理由 後編

初めて入った関東の金物屋、後からすぐに関東圏でも大手の金物屋だった事がわかったのだが、 まぁ 活気のある事。
店内の人の多さも驚いたが、大阪と違って 表情が明るいのだ。
当時の大阪の金物屋と言えば 皆顔に生気がなくどんよりとした感じだった。店内の会話と言えば「また 単価下がったよ・・・」とか「仕事がなくてね・・・」とか いい話題はない。
逆に関東の方は店内の客層の雰囲気から「あ、こっちは大阪みたいな不景気じゃないんだな」と確信を持てたのは記憶から忘れることはないと思う。

大阪に返って住民票の転出転入の手続き、引っ越しの準備(段ボール20個郵送とボロボロの軽自動車で高速使わず下道で行くという始末) なんだかんだで決断したらあっという間だった。

あの時 周りは「誰も頼らず上京なんて失敗する」
「まだ未熟すぎる 一年持たずに帰ってくる」否定的な意見が大半で 実家の家族の送別回だけだった。

気分は野茂が近鉄からアメリカに行った時や新庄が阪神からメッツに行く時みたいに 『叩くだけ叩いてください』ってな感じで私のテンションは上がっていく一方だった、今にして思えば若さと馬鹿さがあったからできたことなんだが。

時は過ぎて18年、
20代のハナタレ小僧だった青年は今ではベテランというのは恥ずかしいが もうアラフォーのいいおっさんになった。

18年間の内容はここでは話すには膨大すぎるので割愛するが、あの時 大阪に留まっていれば今の資産は築けなかっただろう いや貯金2000万なんて大したことないけどさ。
それでもハナクソみたいな人間がここまで来ただけでも自分ではある意味奇蹟だったのかなと思う、紆余曲折 波乱万丈だったけどね。

いつの日かトレーダーとして成功して、今回の外伝の日記が読まれる事があったら嬉しい限りである。

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