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「京都工芸繊維大の現状と可能性」(建築・3回・松永康佑)

京都工芸繊維大学サッカー部に監督はいない。

部員は17人。サッカー部の人数としては決して理想的とはいえない。怪我人が続出すると、チームは一瞬にして危機に陥る。

監督もおらず、部員も少ない。だから、選手たちは自主的に考え、行動する。

一般的なチームにおいては、監督が戦術やフォーメーションを決めるのだが、京都工芸繊維大学サッカー部ではそれを決めるのは主将の役割である。部員が少数であるが故に、チームに軋轢が生まれることは絶対避けなければならない。だから、選手全員が納得できる戦術やフォーメーションが必要である。主将は監督の役割を担っているだけであって、監督ではないため、自分の哲学を押しつけるのは論外である。求められるのは、選手一人一人の意見に耳を傾けること、練習での熱量や試合に対する意気込みから思いや考えを汲み取ること、そうした要素を戦術に反映していくことである。

また、各選手には監督がいるチームの選手より多くのことについて考えることが求められる。監督がいるチームでは、監督の指示は基本的に絶対なものであって、その指示を正しいと信じて疑わずに、プレーに反映させていく。故に、その指示がどういった根拠に基づいて、導き出されたのかを考えようとはしない。ピッチでプレーしているのは選手たちであって、監督が操作しているわけではないし、一つ一つの動作に監督から指示が与えられるわけでもない。実際の試合では、選手自らの一瞬一瞬の判断がチームの勝敗を左右する。だから、サッカーについて自らがより深く考えていなければならない。また、そうして考えたことやトレーニングで感じたことを周りに伝える努力をしなければならないし、監督がいないチームにおいてそういった努力は必要不可欠である。これは選手全員に課せられた義務であり、伝えるべきことを伝えないのは謙虚や控えめといったことではなく、ただの怠慢である。

また、監督がいないことで選手同士の衝突も多くなるが、これは決して悪いことではない。自分の考えを持ってそれを伝えようとする努力が生む副作用のようなものだ。勿論、この衝突を上の立場から止めてくれる人はいない。だから、お互いが納得するまで話し合う。私自身、何が正しくて何が間違っているのかをわからなくなってしまう時があるが、そんなときは、真っ先に周りの力を借りる。チームメイトと話し合い、時には衝突しつつも、自分の考えを主張していく。こうしたことを重ねていくことで各個人の意見が洗練されていき、やがて一つの答えにたどり着く。そうして導き出された答えは、全員が納得している理想的な戦術であったり、チームの方針であったりする。

サッカーというスポーツにおいてチームワークや戦術は勝敗の鍵を握る重要な要素である。1人では決してゴールまでたどり着けない。故に、個人の力よりもチームとしての力が求められる。チームの選手全員が同じ指針の元、共通意識を持った状態が理想であるが、そのような状態を実現できているチームは決して多くはない。だが、京都工芸繊維大学サッカー部はそういったチームになれる可能性を秘めていると私は思う。

京都工芸繊維大学サッカー部に監督はいない。
それでも、
ピッチ上には11人の監督になりうる存在がいる。

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3回 主将 松永康佑

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