エロ本制作現場 その1

そもそもSMのエロ、グロ、サブカルが好きで、大学の4年間彼女も作らずお金をためては池袋のSMクラブに行き、お金がないときは自転車を漕いで発散。池袋の西口公園でトゥモロー・ネバー・ノウズを合唱する同年代の大学生を斜めにみて、嗜虐性ばかりが肥大した僕は、絶対に受かることを確信して大学卒業前にSMスナイパーの編集部に面接にいった。4年間のSMクラブ通いを武勇伝風に語る僕に、当時の編集長がひとこと、「SMを物理的な性欲と結びつけてる人にこの仕事は務まらない」と言われ、僕の4年間を一蹴された記憶がある。そのときはなんだかよくわからなかったが、今性欲からだんだん遠ざかってきたこと、ガチのM嬢にはまったことなどをきっかけに、なんとなくわかるようにはなってきた(のちのち話す)。が……でもまだSMは嗜虐性をともなった、歪み切った性欲だと僕は思っている。現にホロライブでも、ちょっと歪んだ性癖がありそうなおかゆとか白上とかわためとか好きだし。

三和出版はカルテ通信を受けたけれども、これもなぜか落ちた。編集経験がないからだと思うが、いまだにあの面接の盛り上がり……女性を「XXXXXXXXXX」だという意見で一致……で、なぜ落ちたのかわからない。そんなSM落伍者を卒業ギリで拾ってくれたのが某SMビデオメーカーだった。

面接では特にSMクラブ通いをいうこともなく、しましこうの作品群やアングラな痴漢系ビデオ、歯磨きビデオ、外人のxxなどを見てます、的なことを散発的に言った気がする。採用理由は単純に当時流行りつつあったマッキントッシュコンピュータ(現アップル)の知識が多少僕にあったからだろう。

僕の家にあったマッキントッシュは、SMクラブの雇われ店長から激安で譲ってもらったものだった。通い詰めていたから、可哀そうになってくれたのだと今でも思っている。そのうち採用の電話があり、ビデオメーカーで僕は広報部に配属された。

とりあえずマッキントッシュの仕事は回ってこず、初日からビデオパッケージのキャッチを書く仕事が回ってきた。「SMスナイパーの読者だったらわかるでしょ」的な感じで、台本を読み、僕はうんうんいいながら悦虐だの、緋裂の吊淫縄痴獄だの、黄金の花吹雪だの、淫核狂嬲りだの、自分でも読み方がわからないいろんな造語を作った。

そのキャッチが印刷されたパッケージが店頭に並んだ時、僕は今まで経験したことのない興奮に包まれた。現場で撮影されたポジを切り出したり、パッケージの表紙になる写真を先輩と一緒に選んだり、デザイナーと打ち合わせしてイメージを考えたり、夜な夜なキャッチを考えたり。僕はSMより、なにかを作り出す工程に興味がではじめていた。

三ヶ月も経ったころのことである。撮影隊の補助の仕事が回ってきた。僕にとって初めての現場だった。


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