見出し画像

私たちは「やることがいっぱい」だ

「やることいっぱい」と大きく書かれたトートバッグを下げている女性がいた。大手町駅のホームだった。

その女性は、トートバッグ以外にもたくさんの荷物を肩に、腕に、提げていた。確かに「やること」がいっぱいそうだ、と思った。

私たちには、やることがいっぱいある。

朝に目が覚めたらベッドや布団から起き上がらなくちゃいけないし、顔を洗ったり歯を磨いたりしないといけない。朝ごはんを食べて空腹を満たして、学校や会社に行くならその準備をする。

学校では勉強や体育、ホームルームや部活、合間に友人とお喋りをしなきゃいけない。会社では仕事、いかに昼休みを有意義に過ごすか、早めに仕事が終わっても定時までなんとか「仕事してるフリ」もしなきゃいけない。

帰ったら帰ったで、いろいろと、やることがある。大変だ。私たちは1年365日24時間ずっと、「やることいっぱい」だ。

私は、家で仕事をしている日は、だいたい19時くらいにはすべての作業を終えてお風呂に入り、ご飯を食べる。そうするとだいたい20時くらいになっている。たまにびっくりするんだけれど、家の横にある公園では、その時間でもまだ人がいる。塾帰りの小学生か(それとも、まさかこれから向かうのか)、目的がわからない若者の集まり、たまに若くない人も集まっている。

私の部屋の窓は、その公園に面しているので、集っている人たちの話し声がよく聞こえる。塾に行きたくないなあとか、明日の学校いやだなあとか、ママ友同士のたぶん文句とか愚痴とか、たまに猫の鳴き声とかも聞こえる。

それらをぼんやりと聞きながら、みんな、やることがいっぱいあるんだなあと思う。いそがしい。せわしない。慌ただしい。せかせかしている。小学生も中学生も若者も若くない人たちも、やることをいっぱい抱えたまま、苦しそうにだるそうに「行きたくないなあ」と喉の奥から絞り出しながら、それでもどこかへ行く。

みんな、えらいよ。よく生きてるよ。税金は増える。給料は増えない。むしろ減る。なんでかわかんないけどインボイス制度も取りやめにならず施行されるみたいだし、絶望。望みが絶たれるって、相当なことだぞ。

こんなにやることがいっぱいあるのに、どれとどれとどれとどれが報われるか、なんて考えていたら発熱したみたいに頭がぼうっとしてくる。私たちは、死ぬために生きているのだ。そんなことを誰か、偉い人が本に書いていた。生まれた瞬間から死ぬことが決まっているのに、やることをいっぱい抱えて私たちは、生きていかなきゃならない。

私たちには、やることがいっぱいだから。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。サポートいただけた分は、おうちで飲むココアかピルクルを買うのに使います。