思考の言語化のパターン

俺は俺の人生しかやったことないから俺が目立ってなかったら「おい、俺目立ってくれ俺も俺やから今のお前が目立ってくれないと俺が俺でなくなる!」ってなる。どういう感覚なんやろう。なんか目立ちたいって感情じゃなくて「おい!俺目立てよ。俺は俺の視点しかないから俺が目立ってなかったら今の俺はなんやねん」って感覚がある。この感覚の元をを考え詰めていくと日常の「癖」が影響してると思う。


常に頭の中で会話している。
↑公立落ちてるアホが天才みたいなこと言い出すなや



こういうこと。


常に自分がふと思って考え出して、その考えが言葉になった瞬間に「俺」と会話してる。いつも会話の始まりは俺に「俺」が茶々を入れる感じ。んでそっから会話が始まる。ここでの「俺」は常に俺が1番気持ちいい答えを返してくれるから話していて楽しい。たまにこれが他人と話してるときにも発生して「なんでこう返してくれへんねん!」て謎にキレてしまってる。とても良くないこと。


以外とこういう人(頭の会話おままごとをする人のこと)って多いと思う。

(失敗したコミュニケーションを後で頭の中で再現して取り返すし、俺やったらもっとヒーローインタビューでいい受け答えできてるし、自分にプロフェッショナルの密着がついている状態の素振り、取りますよね。僕だけじゃないですよね?自分にとってプロフェッショナルが何か考えてますよね?音楽流れ出してますよね?そこは信頼します。同じ人間なので。)

会話おままごとの例でした。

でもこの頭の中の思考の言語化の行方は人によってパターンがあると思う。

俺はもう1人の自分と会話するか
今の俺が昔、通っていた中学校の体育座りをしている生徒たちに語りかけてる感じ。演説まではいかんけど多目的室でみんなの前で話してる感覚。
ここで思っていたことをバーっと話すとめちゃくちゃスッキリする。ストレスをこれで発散しているかもせん。

俺がちょー好きな歌人の上坂あゆみさんが
歌集『老人ホームで死ぬほどモテたい』のあとがきで、「私の行動を冷ややかに抑制してくるひろゆきみたいな人格が頭の中にある。他にもいろんな人格が私の中であって、そいつらとうまいことやっていきたいし、最終的にそいつらと一緒に老人ホームに入ったときにそいつらに死ぬほどモテたい」と仰っていました。

めっちゃいいなそれって思う。

俺の中にも毒舌キャラだった頃の有吉、今の無敵な永野とかが俺の自意識を過大させてくるけど、往年のマツコが「まあ、若いしいいんじゃない?」って毎回言ってくれている。

俺はマツコデラックスにだいぶ救われている。お笑いサークルも有吉と永野がボロクソ言ってきててなかなか入らなかったけど、マツコの一押しで入れた。結果的にとても素晴らしい経験をできている。

引っ越しさせてきてもいいんです。
ええ人格のやつを。
次はアンミカを迎え入れようと思ったけど、おもんない奴らにこすりに擦られて、「アンミカて笑」的な感覚が生まれてしまっているのでやめておきます。

いろいろ話が脱線したけど
まとめます。


冒頭の感覚を文字にすると


過去の俺は「俺」ではないから目立っていなかった現在でもあり過去である俺を憐んでいる。んで単純に俺は俺を好きすぎる。俺が俺を好きやねんからお前らも俺を好きになれよ!!!



↑文字を太くしたってことはこのフレーズ、いいと思ってんなお前。きっも。

こうなると思います


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