昨日の自分はもういない。
私にとって大切なものを書き出した紙が、私の部屋には貼ってある。
ポスターくらいの大きさの紙に、ズラッと自分の指針が並ぶ。危ない宗教にでも片足を突っ込んでいるようにも見えるものなので、あまり人前には出さない。何が書いてあるのかも、あまり人には言わない。またパッと見ただけでは、読めないように書いてある。
表題には「私が今日を幸せに生きた証を残すための13のルール」と書かれている。
これを書いたのは、高校生の時だ。私の学校は大変自由な学校だった。週に一回、自分で行き先を決めてその報告をレポートにまとめるという授業があるほどだ。先生たちは私達を信頼してくれていた。決して個人としての価値観を押し付けなかったし、ルールも最低限しかない。
だから私は、自分の正解を自分で見つけることにしたのだと思う。
その時の私は、本当にやたらめったら本ばかり読んでいて、沢山の人の影響を一気に受けた時期だった。だから、自分にとって大切なものはなにか、という質問を大真面目に投げかけてそれを紙にまとめきるエネルギーがどこから来たのか、全く覚えていない。やりかたも、いくつかの本を参考にした。
10冊くらいの本に後押しされて、私は、私にとって大切なものがどこにあるのかを、考えて考えて考えて、一枚にまとめきった。
さて一方、現在の私である。大切なものは一年ごとにリニューアルするつもりでいたのだが、高校生の時からほとんど更新されていない。一度書き直したのだが、全くしっくり来なかった。そして、今日まで何度もリニューアルを試みているのだが、高校生の時と同じように書き出してまとめることがどうしてもできない。
まだ20代なのに、昔のように出来なくなったと思うことが既にいくつもある。夢中で本を読めなくなった。がむしゃらになれなくなった。誠実さに欠けるようになった。
そして、小説を書けなくなった。
壁に貼られたルールの中に一つだけ、極端に守れていないものがある。「小説家になる」というものだ。
その項目にはさらに「完成への進歩を毎日欠かさない」「進歩の内容はネタを集めること、アウトラインを決めること、本文を書くこと」などなど、細かく注文が書かれている。
そして「抽象的すぎて伝わらないことを、具体的に伝える」と締めくくられていた。
これを書いたときには、自分が小説を書かなくなるなんて思いもしなかったのだろう。進歩の内容まで細かく決めてあるが、実際のところどれくらいできているかというと、ネタ集めだけ、未練がましく続けている。
こんな話を書きたい。そう思うだけで、満足してしまう自分がいる。
昔の私にとって小説は、苦しかったことや、悔しかったことや、人に話せない自分の感情を物語として昇華させる方法だった。「なんかモヤモヤする」と、言葉にしてしまいそうなところを「なんか」と「モヤモヤ」の正体が分かるまで突き詰めていく。そして完成したものは、なんだかやらたと生々しくて見せるために書いたもののはずなのに、恥ずかしくて見せられないものになっていった。
以前の私にとって、小説は私の一部だった。小説だけでなく「私のルール」に書いてある全てが私という存在の中から自分なりに大切にしたいところを取り出したものだ。でも今は、エッセイが私の一部となり自分の伝えたい気持ちを書き出す方法として取って代わっている。
「自分にとって大切なものはなんだろう」
夢中になって、真剣に考えられた私。今の私は、どうにもそれを考えることに興味が湧かない。昔できたことなのに、今日はすんなり行かないというのは、なんだか自分が退化しているような気分になる。今日できることが、明日できるとは限らない。
私は、そんな自分と付き合っていかなくてはならない。積み上げられたできたものを振り返って「……これ、もっかいやれって言われたら多分無理だなー」と他人事のように思うこともある。
今日まで30個、身の回りにあるものだけでエッセイを書いた。その事実だけが残る。明日も同じようにできるのか、それは分からない。
私のルールの中には「始めたことは諦めない」という類のものはない。高校生の時の私も、自分のことはなんとなく良くわかっていたのだろう。その代わり別の言葉を書き足した「一日一つだけでいいから、生きた証を残すこと」。
ひどい自意識だと思う。でも、私の行き着いた幸せはきっとそれなのだ。自分が死んでも、なにか残るものを一つくらい置いていきたい。
私が死んでも大丈夫。気休めでもいいから、そんなふうに思えるものを一つだけ残して眠りたい。
一つだけ、一つだけ。そんな風にして一日を積み重ねてきた。身の回りにあるものには、一つくらい何か語れる話がある。
コップにも、ペンにも、ズボンにも。じっくり見ていると思い出すエピソードが一つくらいある。
何故か目に留まるもの、何故か足を止めたこと。
「なんで、今私はこれが気になったんだろう」
たまたま引っかかってしまったものの「たまたま」に含まれるものを知りたい。
私のルールを書き出した紙に目を留めたとき「こんなにたくさん書いているのに、私は私を全部知らない」と、ちょっとした失望が心に引っかかったことを、今、思い出した。
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今回のテーマ「自分のルール」
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