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(10)家族への言葉

「あなたの幸せを願っています」

「応援しています」

そんな言葉を毎年、毎年、受け取った。

幸せを祈るのなら、何が幸せか聞いて欲しかった。応援するのなら、私が何に夢中なのか知ってほしかった。そして、夢中になって周りが見えなくなった私のそばにいて欲しかった。

私と向き合おうとして、言葉を尽くしてくれた友人たちがいる。恩師がいる。今や同僚もそこに含まれら上司や、年上の友人も私の言葉に耳を傾けてくれる。

人と向き合う労力は、家族だからという理由で省略することはできない。お正月、誕生日、文化祭、卒業式、クリスマス、結婚。節目の度に、家族と温度差を感じた。

家族でいられる条件は、幸せであることのように思えた。楽しそうに遊び、美味しそうに食べ、時々喧嘩をし、ちょっと照れくさそうに家族写真を撮る。私は、そのどれもがうまくできなかった。

記念写真を撮る。お祝いの手紙をもらう。

感謝の気持ちはゼロではない。しかし、彼らの笑顔もまた、今日だけのものだ。

「また、この言葉を信じて、本当に苦しいとき、彼らはなんと言うだろう。気持ちを言葉にしたとき、真っ先に何をするだろう」

そしてその度に、家族を拠り所にしていない自分に気がつく。言葉を信じていない自分を見つける。

「もう、応援しないでください」

父と母に、そう告げた。

学校へ行く代わりに、家にいることを認められる。学費を払ってもらい、家事も全てやってくれた、両親が私に費やしてくれているものはあまりにもたくさんあった。

ゲームを買ってもらい。

旅行に行き。

外食もした。

抱きしめてほしいとき、抱きしめてもらえない。しかし、日々私に注がれる愛情は、決して私には返しきれない量になっていた。私は本当に何も不自由がなかった。

それなのに私は、あの家の鍵が開いていて、父や母や妹が「おかえり」と言ってくれると、心から信じられない。でも、両親は迎えてくれるつもりでいるようだった。

「家にいたい!」と必死で伝えたのに、外へ追い出した人々は「私達はあなたの幸せを願っている」というのだ。笑顔で「ただいま」と言えなければ、あの扉をくぐれない気がした。傷だらけになって帰っても、ガチャンと扉が音をたてる気がした。

彼らの応援の代わりに、私が返せるものは何もなかった。

これまで私にかかったすべての時間とお金を、返せば楽になるのではないかと考えたこともある。しかし、私に積まれた時間とお金は、シャレにならない量だった。宝くじでも当たらないかと思ったが、その手のギャンブルに手を染めることはなかった。

勉強をして、社会人になって、貯金をした。

私は家族の誰からも心を支えてもらうことはできないし、誰かの心を支えてあげることはきっとできない。それでも、なにか返すものはないか探した。

しかし、ある日、父の年収を知った。

目がくらむ金額だった。宝くじなんて当てなくても、私の父は着実に堅実に、誠実に稼いだ。そして母は、そのお金を大切に大切に貯めては、しかし使い所ではきっちりお金を使った。

もし、誰かが病気になったとして入院してしまったのなら、私は一ヶ月も、家族を支えてあげられないだろう。そもそも、そんな準備は保険という形でとっくに終わっていて、私の出る幕などない。

悔しくて仕方がなかった。何を持ってしても、相殺できない。一生かかっても、返しきれない恩がある。

でも私はそれらを全部棚に上げて「もう応援するのはやめてください」とお願いした。

生活面と金銭面において、多大な支援を頂いたことは本当に感謝している。しかし、その条件が家族であることであり、幸せであることだった。また、不満を述べないことであり、約束を守ることであった。

そこから一度逸脱した私は、もう、家族でははなくなったのだ。一度不幸に身を落とした私に。些細な不満をこぼす私に。

「幸せに気がついていないだけだ」と、言った。

確かに、私は、今の環境によって受けられた恩恵をすべて網羅し、理解しているわけではない。

ただ、苦しむ私にその言葉を私に向けるのは、応援ではない。

自分の幸せの形を押し付けるのは、応援ではない。

他人の不幸と比較するのは、応援ではない。

私の話の理屈を聞かずに「決めたならそうすればいい」わかったような口をきいたうえ、あとから「話を持ってきたときにはもう勝手に決めてたから」と言うのは、応援ではない。

抱えた気持ちのほとんどは言葉にはならなかった。

しかしとにかく「やめてほしい」と伝えた。

返ってきた言葉は、怒りであり、悲しみであった。私は再び口を閉ざした。

そしてまた、翌年、私が元気なときだけ貰える、幸せで形作られた言葉をかけられた。

溝は、毎年、節目ごとに広がっていった。

伝えたい気持ちを口に出し、話すべきではなかったという、後悔と共に終わる。そのたびに、こちらまで助けに来てくれるのではないかという可能性を限りなくゼロにするために、私はこの溝を広げていった。

「もしかしたら飛び越えられるかもしれない。飛び越えてきてくれるかもしれない」

そんな期待をしなくなるまで、私が諦めるまで、溝は深まり広がっていった。あの爪先も入らないほどの小さな溝は、時間をかけて深まっていった。

言葉を簡単に信じてはいけない。

戒めのために、開いた溝だ。

届くと信じて進もうものなら、かつて裏切られた日まで叩き落され、その日のことを思い出す。別にわざわざ落ちなくても、溝を覗けば結果など知れている、と、思い直せる。扉なんかあるから、開くと思ってしまうのだ。

それなのにまた私は書いている。結局ロープを付けているかいないかの違いで、底まで降りて這い上がってきた。

私はまた渡ろうとしたのだ。この溝を。

実家の鍵はまだポケットの中にある。

妹がディズニーランドにいったお土産にと、私にくれたキーホルダー。ハロウィンのシーズンだったのか、ガイコツの姿をしたスティッチがくっついている。

私はまだ何かを信じているのだろうか。

例えば実家はまだ、私の見知った場所にあると信じている。家が燃えたら流石に悲しいだろうか。私の部屋から、物がきれいに無くなっていたら、やはり悲しいのだろうか。

育てた側と、育てられた側という関係。

その事実以外に何が、私たちをつなぎとめているのだろう。もし、今日初めて出会っていたら、私たちは、友だちになれるだろうか。

少なくとも私は理想の家族の一員ではなさそうだ。ところで、あなたの隣りにいる「家族」はもし、明日あなたが幸せでなくなったとき、支えてくれる人なのだろうか。

失業したとき、夢破れたとき、不幸な事故に巻き込まれたとき。家族はあなたを、責めないだろうか。

あなたが何か大きな間違いを犯したとき。

「きっと、やむを得ない事情があったのだろう」と心配し、帰ってきた時には出迎えてくれる人々なのだろうか。

私だけが、今これだけ離れた場所にいて、実は、私が知らないだけで、苦しみを一緒に乗り越えたかけがえのない仲間だったりするのだろうか。

確かに私は愛情を注がれた。だから、ここに鍵がある。鍵を束ねるキーホルダーがある。

もらって嬉しかったものだけは、きちんと手元に残っている。でももう、そうした話をする機会が今後訪れるかはわからない。



大人になるにつれ、家族と接する時間はどんどん減っていった。沢山の友人と知り合った。今でも一緒にゲームをする友人もいる。

そして、今私は25歳だ。

今は自分の話をすることも、友人に「私自分のこと話してるよね?」と聞いて回ったときよりは、上手になっているのではないかと思う。 

しかし、外出や旅行にはまだ抵抗がある。一緒に人と何かをするのは苦手だ。

いまでも、友人が悲しそうにしていると、おせっかいを焼きたくなる。しかし、人の手を借りるのは苦手だった。

溝があることそのものは問題ではなかった。誰との間にも溝はある。飛び越えられなくても、声は届く。エッセイを書き始めてから、声が届くことの嬉しさを感じるようになった。

「読んでるよ。エッセイ」と、友人が言う。

「なら、スキ、つけてよ」と私は言った。

「評価の影響を受けて、その話しか書かなくなったら困るから、やめとく」

「なんだよそれ」

その友人の判断は、ある意味で正しかった。気に入ったエッセイはリンクを送ってきて感想をくれた。それに、恋人のエッセイを書くととても評判がいいので、その話ばかり書いていた時期もある。

でも、私が話したいのは、心温まる話とかではなくて、もっとしょうもないことなのだ。私が気にしなければ、誰も気にしていないこと。でも「あ、それ私も」と言われたら、仲間を見つけたような気分になる出来事を書きたい。そうそう起きることもないけれど、ただ素直に「ありがとう」とか「あれムカついた」とか「苦い」とか言うのにも、私は練習が必要だった。

昨日何を食べて、どんな服を着て、休日の寝ているとき以外の話をする。それの何が面白いんだか分からない。でも、その一つ一つに理由や、きっかけがある。手元においてあるコップにも、今使っているスマホにも、履いている靴にも、理由やきっかけがある。

誰かに聞かれなければ、思い出せないような、小さなきっかけが重なって私の一日は出来上がっている。

かつて、とても小さかった頃の私は、そのへんの石や履きたい靴が、どんなに素敵なものなのかを話したくて仕方がなかった。何でもかんでも「聞いて聞いて」と言っていた時期があったのに、いつの間にか私は口を閉ざしている。

私が今の私になった理由やきっかけも、どこかに埋まっているはずだ。

それをずっと探していた。

「私の話なんて、誰も聞いていない。今聞いていても覚えているほど興味はないだろう」

「私の気持ちなんて伝わらない。いつもどこか屈折して伝わってしまう。言葉のままの意味しかないのに、そのまま受け取ってもらえない」

そんなふうに、思うようになったのはいつからだったのだろうか。人と人の間にあるこの溝は、どんなふうにしてできたのか知りたかった。自分の気持ちが届かなかった体験を何度もしてきた。そして、私自身も、自分が何を思っていたのか、声に出したり文字にして初めてわかることがある。

「知ってほしかった」

「聞いてほしかった」

ただ、言葉のまま、文字のまま、じっとそれを受け止めて欲しかった。そしてただ一言「そうか」と言ってほしかった。

そして、今私たちはそう簡単にはそれができないのだと、知って欲しかった。

ここに大きな溝がある。それは、私が幸せから目を背けているからではない。確かにここに、溝がある。

あなたと、私の、間には、溝がある。

私はあなた達の一人ひとりは決して嫌いではない。そして、ひとりひとりの間に違った形の溝がある。

辛かったことも、悲しかったことも、幸せも、嬉しかったことも、全てその深い溝の中にある。

その溝に「傷ついた過去」と名を付けて、いつか癒えると言い聞かせて目を背けている限り、私の幸せを知ることは決してできない。

そして、幸せは、意外にもあんまりキラキラしていない。場合によってはちょっとグロテスクなこともある。

私はそれをこうして書き綴り、人に見せる趣味がある。この10編を読むのは苦しかったかもしれない。でも、私はこういうことをして、過ごしている。

いろいろな溝に躓き、落ちて、いつからこんなところにあったのか、見つめて書くのが好きなのだ。

「そうか」と、言ってくれるだろうか。

文字には一つ、利点がある。

言葉より長く残るということ。ときに、私の寿命より長く残るということだ。

私は聞いて欲しかった。

「そうか」と言って欲しかった。

ただ、それを見つけたことを伝えるためにこれだけの文字を費やしてしまった。

そして、この文章はあなたが頷くまで、辛抱強く、ここにある。

私は、一人で居るのが好きだ。

文字を書くのが好きだ。

溝を覗くのも好きだ。

そしてそれを聞いてもらうのが好きだ。

私は大きな溝を見つけた。あなた達を含めた沢山の人達と関わって、出来上がった溝だ。

私はそれを見てほしい。

でも、私は「ごめんなさい」と謝ってほしいわけではない。この溝を埋めたり、隠したりしたいわけでもない。

そっぽを向かずに見てほしい。

「そうかぁ」と頷いてほしい。まずはそこから、始めてみたいと思うのだ。

※※※

崖の端に手をかけて、ヨイショと身を乗り上げた。杭は降りる直前に突き刺したときより深く、地面に埋まっていた。私は崖の上に身を乗り上げると、ゴロンと横になって空を見上げた。

「……健康に悪いな」

右手を見ると対岸が見える。相変わらず、友達が大変そうにしているので、大丈夫だろうかと心配になる。自分の気持ちを見つけたくらいで、心持ちが大きく変化することはない。穏やかに悟れるわけでもない。

心配なものは心配だ。

その友達よりも少し遠くに家族がいる。

書いたエッセイをLINEに貼れば、とりあえず既読がつく。父とは少し、やり取りをするようになった。

お父さんは何をしているときが幸せなんだろう。キャンプとかスキーとか連れて行ってくれたけど、そもそも父自身は、楽しかったのだろうか。

幸せな家庭って、なんだろうか。

次の疑問を抱えて、私は記憶の崖を登り終えた。


私も結婚したけれど、家庭を持った感覚はない。むしろ、シェアハウスのごとく各々、適当に生きている。

例えば今、恋人は夜ご飯を食べている。それなのに私は文字を打っているし恋人はご飯を食べながら実況動画を見ている。

「お米……固い……」

先程恋人はお米を炊くのに失敗したらしい。珍しいこともあるものだ。

「一個一個が『米です! 米です!』って感じ」

失敗した米の食レポをするな。

しばらくお米を噛んでから、恋人は私を見た。

「まだかかりそう?」

「うん、まだかかる」

私はポチポチと文字を打つ。

「んじゃあ、お米柔らかくするね」

恋人は私のお茶碗の米を炊飯器にボンと入れ直した。そして水を注ごうとしている。流石に私も文字を打つ手を止めた。

「いや! それはやめとけって!」

「大丈夫、私これ何回かやってるから」

どうやら初犯ではないどころか、余罪があるらしい。まぁ、お粥のようになってしまっても特に問題ないだろう。

数分後、キリのいいところで文字を書く手を止めた。恋人の作った唐揚げをつまみ、炊飯器で追い炊きされたご飯を食べる。

「……おいしい」

お米は見事に復活していた。唐揚げにも五香粉(ウーシャンフェン)という粉がかけられている。台湾風の味付けらしい。

ご飯を食べながら、恋人に聞く。

「私、すぐご飯食べなかったけど、嫌じゃないの?」

「まー、できたてを食べてほしくはあるよね」

「まぁ、ですよね」

「でも、冷めてもまずいとか言わないし」

「私もそこにこだわりはないので……」

唐揚げもお米も、美味しかった。

「あなたは、いま幸せなの?」

「んー? まぁね」

そして、そんなことより、と言わんばかりに恋人は実況動画の説明を始めた。私はあまり興味がないので、適当に聞いている。そしてふと、知っている単語が出た時に「あぁ、それはわかる」と話を拾った。

それから、キッチンの片隅で片栗粉が倒れているのを恋人が見つけたり、恋人がキッチン蛇口の形を覚えていないことに驚いたり、硬いレンコンが紛れたサラダでロシアンレンコンをしたりした。

そして今日もまた夜が来る。

私が家族に向けて、何か祈るならなんと声をかければいいだろう。

知っているようで、よく知らない。そもそも私から声をかけられるのも、嫌なのかもわからない。

ただ、そうだ。私の家族は、全員ちょっと、真面目すぎるような気がする。

「あまり、無理していませんように」

ここまで読むのは、きっと疲れただろう。

余計なお世話がもれないけれど、足元には気をつけて。溝は落ちると結構痛い。

それでは。体に気をつけて。

ーおわりー

ここまで読んでいただいてありがとうございました。 感想なども、お待ちしています。SNSでシェアしていただけると、大変嬉しいです。