画面の向こうに悪癖が出る

Bloodboneは三週目に突入した。

このゲームには周回という要素があり、ゲームをクリアした後レベルや武器などを引き継いでもう一度最初からやり直すのだ。どうしてそんな面倒なことをするのかというと、ゲーム内でも時間が流れており夕方から夜へと時間が流れるにあたって、サブクエストが変化したり取り逃したりする。また、エンディングも複数あるため、別のエンディングを見るためにもう一度クリアする。そういうシステムのゲームなのだ。

一周目は友人の手を借りないとクリアできなかったが、二週目に突入した時は、もう楽しくてたまらなかった。自力で敵を倒せる。それだけで、やり甲斐だった。

「二週目、楽しい」と言うと「楽しいよな!」と友人は応じてくれた。一周目は、このゲームの序章に過ぎなかったようだ。ストーリーの中身をきちんと追いかけるために、二回目の世界をもう一度歩き回った。そして、二回目を終え、三回目へ。一回目が一年半かかったのに、二回目は一週間程度で終えられた。しかし、三回目はもっと短くなるかというとそんなことはなさそうだ。周回ができる設計は、レベルの引き継ぎまでもが制作陣の想定内にある。そのため、敵のレベルも上がってしまう。序盤の敵は、序盤の強い敵へと進化する。ボスは強いボスになった。油断すると死ぬのは一周目と何ら変わらない。

しかし、心が少し強くなった。しぶとく、諦めなくなった。ただのゴリ押しが、相手を観察した上でのゴリ押しになった。獣狩の斧は、ただの初期武器から私の大好きな武器になった。リーチが長く、対複数戦において、横に薙ぎ払う一撃はブチィと音を立てて内蔵をえぐる。この感覚を身につけるまでが長かった。

そういうわけで最近はずっとこのゲームばかりしている。ダウンロードコンテンツも買った。時間の流れを忘れるほどハマっている。考察を読み、倒し方を調べて、最終的にレベルを行けるところまで上げて挑む。要するに、こちらの攻撃力と防御力をガンガン上げて相手に与えるダメージを少しでも多くして、それと同時に相手から食らってもいい攻撃を増やす。もう、ダメージは食らう。それは仕方ない。しかし、食らってもいい攻撃が増えるのなら回復するチャンスが生まれる。

そんなふうにして、なんとかやりくりした。強ければ強いほど良い。圧倒的な力、体力を削り切るだけの力、相手の攻撃を耐えうるだけの力を手にして、目を血走らせながら思い切り水平に斧を振る。狩る、狩る、狩る、狩る。この先に何があるのかは分からないが、とりあえず片っ端から狩る。

かつて少女だった獣も、騎士だった獣も、神父だった獣も何もかも、斧でねじ伏せる。それは、まるで復讐だった。

一周目の私を切り裂いた者たちへの復讐だ。

あの時は、よくもやったな……。と、怨念に似た気持ちを込めて倒す。ときに、とても呆気なく倒せてしまう。またときに、油断して倒される。もしくは、ありとあらゆるアイテムを注ぎ込んで、みっともなく勝つ。その戦い方の醜さに自分の姿が映し出されている気がしてくる。こいつだけは狩る、という執念と憎悪を斧とともにぶつけた。

敵の体力は少しずつ、着実に減っていく。そして、残すところあと一撃となった。

「これは勝ったわ」

「油断するなっ!!」

妻も画面を見ている。私は我に返り、敵と距離を取って回復を挟んだ。そして、それから最後の一振りを入れるチャンスはしばらく回ってこず、その間に一撃入れられて、回復を挟んでいなければ死んでいるところだった。

こうしたプレイの粗さに自分の悪いところが出ているような気がする。そこにいるのは、まさに私自身だ。ときに力に溺れ、力量差を甘く見積もってしくじる私がそこにいる。

現実とゲームは違う。違うはずなのに、私の悪いところがはっきり出ている。できるだけ現実の世界に出てこないように、ゲームの中に閉じ込めておきたい。外の私はもっときれいに丁寧に、しっかりした出で立ちで過ごしたいものだ。

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