小さな本を作った

最近辛いことばかり書いている。

私のエッセイは心の記録でもあるから、自分から見えている景色をそのまま描く。朝起きたときの地獄のような苦しみも、昼に襲ってくる職場を追われるような焦燥も、夜に振り返ってエッセイを書く時間も。私は少しずつ這うようにして前に進んでいる。かなりのんびりとしているが、今はそれが必要なのだろう。

例えば今すぐに失業したとして、まずすることは転職活動である。と、思っていたが違うらしい。妻に聞いたところ「ハローワークに行け」とのことだった。私のやろうとしていることはいつも若干ハードルが高いらしい。

ハローワークか。妻は行っていたが、私は特に目的もなく行くことになる。今の仕事はストレスフルだが、嫌いではない。職場環境は良くないが、仕事そのものが嫌いになるかはまた別問題である。

「現場に出るまで、潰れるな」

講師から励まされた。研修で私にかかっている負担を感じていたのだろう。私は研修が好きだ。自分を試すような場にいるのは、嫌いではない。そしてそこでは常に、できない自分に出会う。

私は同じ業種に5年務めている。1年は休職していたので実質4年だ。私にとってはすごく長い期間に思えたが、積んだ経験としてはとても浅い。

会社を辞めてすぐ、出版講座を受けた。本を出したかったわけではない。自分の言葉を磨く方法について、もう一度考え直そうと思ったのだ。エッセイも書いて6年になる。賞をもらったり、書籍に掲載してもらったのは誇りだが、そこから次を生み出すことができずにいるのが私の弱さに思えた。

文字を書く前の呼吸だったり、文字を誰に届けたいのかを具体化したり、これまで本で読んで身に着けたことを、隣で人に見られながら実践した。それから、一冊本を作った。文庫本だ。

ページの番号を二度、間違えた。三冊目にしてようやく、体裁として整ったものができた。

「あぁ、文庫が作れる」

私の手には小さな本が乗った。

「これさぁ、もしさぁ、私の話だけだったらぁ、くどいかなぁ」

妻は文庫本を手でもてあそんでいた。妻の話を集めたエッセイを作るとすると、まずnoteから妻について書いた話を引っ張ってきて、その中から厳選したものを一太郎に移動させ、文章を推敲した後で製本する。

妻のための一冊を作ることができる。

「本、作れるなんて凄いね。それだけ積み上げてきたものがあるわけだから」

妻はそう言って私の本をしばらく持っていた。

ここまで読んでいただいてありがとうございました。 感想なども、お待ちしています。SNSでシェアしていただけると、大変嬉しいです。