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机の上でスタンバイ

机の上が散らかっている。

本が1,2,3,4……8冊置かれている。ノートが1冊と情報カードというメモに使うカードが一束。エアコンのリモコン、iPad、色鉛筆、財布、あと石鹸。綿棒、便箋。いろいろなものが置かれたまま放置されている。帰ってきたら財布を机に置き、本を読んだあとそのまま置き、そんなことを繰り返した結果、この有様である。もはや筆記作業に適した空間はなく「置き場」としての机だ。

その中でも「ロバート・ツルッパゲとの対話」という本が目を引く。外国の、おじいさんというほどではないがお兄さんでもない男がこちらを見ている。真顔とも、凝視とも違うが、何度も不思議な生き物を見るような顔だ。その隣には「いかにして問題をとくか」という本の黒豆みたいな色の表紙が見える。封筒の下敷きになっているので、原題の英語のタイトルしか見えずちょっと賢い本を読んでいる気分になる。

この机を見てわかる通り、私は片付けが苦手だ。

仕事をしていても、時間内に片付けが終わらないことがある。他の人の机はキレイに片付いているのに、私の机の上には穴あけパンチとガムテープ、あと何故か小さなほうきとちりとりが置かれていた。夕方頃に使ったものだが、片付けるのを忘れたまま置きっぱなしになっている。

昔から「使い終わったら片付けなさい」と何度言われたかわからない。しかし、こうして大人になるまで片付けられた試しなどなかった。それどころか気がつくと後片付けだけが残ったような机が私の前にデンと現れる。そこにあるもの全てを手近な場所やかばんの中に入れて、机の上に何もない状態を作って帰る。しかし、それでもまだ「汚い」という状態らしい。上司や同僚にいろいろと相談した結果、今では職場には「元の状態」を示す写真が貼ってもらって、私はそれに沿って机の上を片付けることになっている。

「では、お疲れさまです~」

「はい~」

終業を迎えて、きれいな机の同僚が帰るのを見送ったあと、私は散らかった机を片付けて帰る。今日はお昼ごはんのパンの袋や牛乳パック、それからコップが残っていた。ゴミは捨て、コップは洗う。しかし、他の人にできることなのにどうして私にはこんなに難しいのだろうか。机の上にはファイル、ペン、パソコン、手帳。書類などもあるし、穴あけパンチやホチキス、ハサミもあった。

業務に使うものがほとんどだが、残っているのは「もう作業を終えたにも関わらず置かれたままになっているもの」がほとんどだ。じゃあ、それに従って片付けていけば万事解決。作業の終わったものは片付ける。最終的に「終わったら片付ける」というルールを意識すればいいわけだ。

私は翌日から早速片付けをしながら業務をすることにした。

しかし、24年間片付けがうまくできない人間がちょっと意識したくらいで変われるはずもない。というのも、終わったら片付ける、というルールを作成した結果「じゃあ、この道具の作業は終わったのか終わってないのか問題」が発生した。例えば、パソコンは作業に必須なので「終わった、もう使わない」となるのは業務時間の中でもかなり後半である。ペンも同様に、業務ギリギリまで使うので途中でかばんに戻してしまってはもう一度出すのが二度手間だ。

牛乳パックも極端な話だが、一回コップに注いで冷蔵庫に戻し、もう一回コップに注ぐということはしない。なぜなら私は1リットルの牛乳パックを20分程度で飲み干すからである。翌日までおいておくならまだしも、トータルで見て30分以内に消え去るとわかっているものをいちいち冷蔵庫に戻して、15秒程度でコップ一杯を飲み干してから再び冷蔵庫を開けるというのは流石に非効率的だ。飲み干してしまってから、ポンとゴミ箱に捨てるのが一番ラクである。

このように「いま一時的に使ってないけれど、あとで使う」のか「もう完全に終わった。戻してよし」なのかの区別を瞬時に行わなくてはいけない。それに加えて、更に「作業は完了していないが、別のアポイントメントがあるので一時的に中断しなくてはいけないケース」が現れた。その場合、作業は完了していないので私の中でその道具は「終わっていないもの」として扱われる。

私の仕事の仕方は「終わった瞬間」に対する意識よりも「次の作業を始める」という方に向くため完了あと、戻すということをしない。仕事を終えてから、机の上をまっさらにすると「次何をしようとしていたのかをさっぱり忘れる」という状態に陥った。

つまり、私にとっては散らかしておくことは、そのままタスク管理を兼ねていた側面があるらしく雑多な机は「次の作業へシームレスに動ける」という利点を生んでいたようだった。

実際、先程眺めた自分の部屋の机を見てみても、全て読んでいる途中の本が積まれているということは、裏を返せば興味のある本が5秒以内に手元における状態ということでもある。つまるところ、私の机が散らかるのは、実際作業が終わったかどうかに関わらず「私が終わったと思っていないから、スタンバイ状態のタスクとして置かれている」というものがベースであり、そこに「本当にいらないもの」が紛れ込んでいる状態らしい。さっきまで中身が入っていた牛乳パックも、スタンバイ状態のフリをして空っぽのまま机の上に置かれている。

しかし、机の上が擬似タスクリストになっていることがわかったので、やり方を変えてみることにした。まだ終わっていないものは机の右寄りに、完了したものは左寄りに置くことにした。目についたとき、終わっていなければできるだけ右側に置き直し、終わっているものは左側に寄せる。最初は真ん中に線をイメージしていたが、だんだん、右でも左でもどうでも良くなってきた。真ん中にあるものをとりあえず手にとって、反対側のエリアに移す。すると「もう使わないけどスタンバイ状態のもの」を手にとるようになった。こうして今までは手に取られなかったがゆえに、触れられずに就業時間まで生き残っていたものたちが「これは右寄り」と手にとったとき「……いや、もうこれ捨てるか」とゴミ箱に放り投げられる確率が上がったのである。

まだ完璧とは言えないが、机の上にあるものをちょこちょこ触って場所を変え、手にとったときの感覚で「あ、これもう終わってる」と気がついて片付ける。この手法は今の所悪くない効果を出しており、昨日はついに業務に使うものは文房具意外全て元の場所に戻すことができた。

不思議なものだ。終わりをいくら意識しようとしてもわからなかったのに、まんべんなく全部触って移動させるようにして、不要なものに触れたとき初めてようやくそれが見えたみたいに「あ、これ終わってる」となる。

なるほど、これならできそうだ。私は自分の部屋を見渡した。床に袋が散らばり、紙が散乱し、服も散らかっている。

……いや、自分の部屋はいいか。

しかし一応、本だけは机の右側に積んでみた。不思議なことに8冊しかなかったはずの本は11冊になった。訝しげな外国人のおじさんが表紙の中からこちらを見る。

それは「おいおい大丈夫か……?」と思っているけれど口に出せない。そんな顔に見えてきた。

大丈夫ではない。大丈夫ではないけれど、最低限、仕事場でくらいは自分の手元にあるものを片付ける工夫をしばらく続けていこうと思った。

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