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(6)さよならの支度。

高校生の私は、記憶の中ではたいていトップバッターだ。先生が「これやりたい人?」と聞くたびに、さっさと手を上げた。

とはいえ、家から外に出る習慣から三年近く距離をおいていた私は、一週間に三回学校に行くのが精一杯だった。学年が上がるごとに、登校日数は増えたけれど、登校した日はまばらだ。だから、もしかしたら、私が休んだ日に立候補の話が出たときは、誰かが代わりに手をあげてくれていたのかもしれない。だけど、私がその場にいるときはとにかくしきりに手を上げた。

一番最初に飛び込んで、とりあえずやってみる。それを見たすごい人達は「自分もできる」と新たな作品を作り上げた。徐々に立場を無くす私は置いていかれている人が居ないかを見回しては近づいていって声をかけることを繰り返す。そうして自分の立場を守っていた。だから、一番いい成績を上げて頑張っているチームのことは全然見ていなかったし、時として存在を忘れていることさえあった。それよりも、今、飾りづくりに苦戦している後輩のほうが私にとっては重要事項だった。そして、彼が問題を乗り越えると、私はまた次の最後尾を探す。そして、文化祭は終わる。スクーリングとか自分のチームでも、そうした行動が多かった。

そしてだんだん、私を頼る人が居なくなり、彼らにも仲のいい友人ができる頃、文化祭や、体育祭や、スクーリングは終わった。そして私はまた、登校、授業、休み時間、放課後と、別の友人たちと言葉を交わす日常へと戻っていく。私を頼る人が居なくなるより前に、文化祭が終わることもあった。力不足を痛感したり、悔しかったり、いろいろな気持ちがこみ上げた。

その一方で、誰かから必要とされていたり、怒られていたり、「ごめんよぉ」と謝っている間は、私はそのチームにいられた。私の周りには私よりもすごい人がたくさんいる。だから、彼らのうち誰かが「自分が最初に飛び込むのが早い」と気がついてもっと先に進んだとしたら、私の手助けを誰も必要としないくらい笑顔で溢れたら。そうなることを望みながらも、私はそれが怖かった。

私の手助けを誰も必要としなくなったら、また、私のいない集合写真を目にする日が来るのかもしれない。私がいなくてもなんとかなると、皆が気がついてしまう前に、私はそのグループを去りたかった。私がいなくても、この人たちはどこへでも行ける。私に声をかける理由は何もないのだと、肌で感じる前に逃げ去ってしまいたかった。むしろ、その時、スッと隠れる別の場所がほしかった。だから、私の居るグループは、別に私がいなくてもいい状態ばかりだった。登校する時、私がいなくてもいい。勉強するときだって、隣りにいる必要はない。休み時間も、カードゲームが出来る友人は複数居て、放課後も私が居なければただ帰るだけだ。

居る理由も、居ない理由も、求められない。私は、どこかに所属しているようで、ずっと漂っていた。三年後散り散りになる。先輩も卒業する。来年はクラスが変わる。実行委員も文化祭が終われば散り散りになる。そもそも、私は登校頻度が二日に一回程度で、明日登校できるかどうかもわからない。

登校する時、電車を一本乗り過ごしたとき、友人は先に行っている。学校の最寄駅を降りて、少し駆け足で進むと3人組の背中が見える。でも、私はそこまで走っていく勇気はなかった。さっきまで駆け足だったのに、むしろペースを落として、その3人を見ていた。私が居なくても普通に時間が流れている。そこに飛び込んでいく勇気は私にはなかった。

誰もが初めての仕事は率先して取り組めたのに、もうすでに出来上がっている輪の中に入っていくことはどうしてもできなかった。その輪の中にいる人々が羨ましかった。

そして、グループに所属していても、だんだん、心が離れていく自分が居た。

今、別に自分がここに居なくてもいい。この場所に私が居なくても、状況が大きく変わることはない。だれも、助けを必要としていない。一人ぼっちの人も見渡す限り誰も居ないし、声をかけてほしそうな人もいない。

「じゃあまたね」と、すぐに離れられそうだ。

何も困っていないなら、それがいい。

私のことなんか忘れてしまってもいい。

その代わり私があなたのことを忘れてしまうことを許してほしい。

「あんまり話さなかったからねぇ」と、ちょっと照れくさそうに言えるといい。

でも、私は「じゃあ、また」と離れることができなかった。

恋人もできた。でも、いつ別れても良いように、心の準備はずっとしていた。

色々な仲間がいた。ただ、そのどれもが帰る場所にはならなかった。

一時的な集まりに過ぎず、偶然繋がっているだけに過ぎない。そして、段々と私が居る必然性を感じなくなる。そしてふと、この場面から私がいなくなったとして、しばらくしてから「そういえばいないな」とぐるりと見渡して「まぁ、いいか」と会話が続くシーンを思い浮かべる。それが似合うなぁ、と思った時、私はサヨナラの支度を始める。

誰も気がつかないように、そっと、ゆっくり、音を立てないようにその場から去るのは簡単だ。ただ、立ち止まればいい。そして、友人たちが進んでいく背中を見送る。彼らがだんだん小さくなる。私のことを誰も気に留めない。

それは悲しいけれど、でも、誰も一人ぼっちがいない場所を見ると「あぁ、良かった」と同時に感じた。周囲を見渡しても一人ぼっちはだれもいない。誰も、置いていかれていない。 誰も仲間はずれがいない。素敵だ。素敵なグループの後ろ姿を、今私は見ている。みんなすごく楽しそうで、一時的でも、そこにいられて本当に良かったと感じる。

グッと目を閉じて。その日はできるだけ静かに、過ごす。

時々誰かが振り返るときは「ごめん、ちょっと用事があるんだ」と伝える。

そして、そうした別れは、私の意思に関わらずやってくることもあった。

卒業。

皆が散り散りになっていく。最後の日も、私は先生の荷物を運ぶ手伝いをしていた。

「最終日も仕事してるの?」なんて先生はおかしそうに言った。

でも、私は、もう荷物を運ぶくらいしか思いつかなかった。明日にはもう皆離れ離れになるクラス。一時的に集まっただけの人々。困っている人はだれもいない。もしいたとしても、もう助けることはできない。

ただ、私に出来るのは、このダンボールを体育館まで運ぶこと。そして「いい場所だったな」と、もう二度と戻らない集いを眺める。

そういうお別れが、理想だったように思う。

永遠なんてない。ずっと、なんて無い。


※※※


この、不登校になって人との繋がりを断った時期と、そこから改めて人との繋がりを結ぼうとした時期には、何度も何度も溝を超えようとした痕跡が残っている。


ときに、綱渡りのようにこちらから向こう岸へアンカーを放り投げた。しかし、やはり、うまくは行かなかった。溝の途中で出会った言葉とすれ違うたびに、それが私の体ごと揺らすような突風となって吹き付けた。

「邪魔」

「死ねばいい」

「居なくていい」

「つまんない」

「辞めろ」

必ずしも私に向けられたものではないと解っていても、その言葉が耳に届くたび心は大きく揺さぶられた。今、私に笑顔を向ける彼らの口から、そうした言葉が、直接的でなく、遠回しに、形を変えて、私へ向けられるのではないか。

「邪魔」と、言われたこともある。それは恋人からだった。

「あいつは、要らなかったんじゃない?」と、名指しされたこともある。それは、友人からでもあった。その度、やはり悲しくはあった。

そして私は力なく真っ逆さまに、溝の隙間へ落ちていく。深い虚無感に包まれて、涙が止まらなくなる。

しかし、それは、深く深く刻まれた過去の憶測を確かなものにしていった。

例えばこんな具合だ。

『自分が組織に存在するためには、そこにいる理由か役割が必要である』

そしてもう一つあった。

『理由や役割は、ある日突然消失することがある』

まだ一つあった。

『その理由や役割は、失ったときにしかわからない』

まだあった。

『そして、それを再び手にしたとき。私を外へ外へと追いやった人物は、そのことを覚えていない』

その一つ一つが、確かなものへと変わっていく。そして、私自身も、誰かを排除し、それに気が付かぬまま、涙を流しているのではないかと思うと、恐ろしく、情けなく、そして、いつかその事実を突きつけられるのだと思った。

「お前はそんなふうに泣いているが、私もお前から、外へと追いやられたのだ」と、指をさされ、もうどこにも逃げ場がなくなる。その前に、そうなる前に、私は消えてしまいたかった。どう償っていいのかわからない罪を、知らぬ間に抱えているかもしれない。

私も、彼らのように、なるのかもしれない。

ただただ『家族』が怖かった。『友達』が怖かった。『恋人』が怖かった。でも、だんだん慣れていった『実行委員』や『実行委員長』になる頃には、もう怖くなくなっていた。何が求められるか分かると、なおさら怖くなくなっていった。


私はこの頃から、地面を蹴って向こうへ飛ぶ代わりに、たくさんの知識を身につけることにした。それは細長い橋となって、私と人を繋いだ。決して溝がうまることはなかったけれど、対岸には声を吹き込める穴があって、糸電話のように声が届く。渡らずとも、人と話すことはできるのだ。

話が通じる。理解してもらえる。それが、当時の私にとってどれほど嬉しかったか。そして、先輩や友人や先生から私の知らない話を教えてもらうことは、本当に、楽しかった。

勉強が好きになったのもこの頃だ。学校に行きたい。と、思うようになったのもこの頃だ。

先生も、友達も、両親も、この頃の記憶を思い出すと笑顔をいくらか思い出すことができる。ただ、それがいつまでも続くとは信じられないまま、私は崖の端と端に声だけはとりあえず届く装置をくくりつけて、人との対話を試みた。

決して悪いものではなかった。ただ、そうした形ではあったものの、人とのコミュニケーションのとり方を教えてくれたのは先輩や友人たちだった。自分の気持ちを受け止めてくれたのは、先生や友人だった。

そして『私達はいつでもあなたを応援している家族だ』といった人々は、私に笑顔を向けた人々は、やはり、学校に行っていたときも大学に進学したときも、就職したときも、結婚したときも、笑顔を浮かべていた。

しかし、そんな彼らを含めた私の周りにいる誰もが、いつか、私が知らないうちに役割を踏み外したら、私をこの場所から追放する。それが怖くて、私はいつも立ち去る準備をしてしまう。

今でも、家に家具が一つ増えるたびに、引っ越すときには面倒だろうなと考える。この部屋から立ち去る日は、必ず来るのだ。だから、荷物増えるたびに少し背筋が冷たくなる。

大きなものを買う前には、捨てる手順を考える。これをどうやって捨てようか。

どう、けじめをつけようか。

どうやって終わろうか。

どんなふうに、お別れしようか。

「でも必要なんだから、買ってから考えればいいじゃん」

恋人が、そんなふうに背を押す。そして、少し大きな本棚が私の部屋に来てしまった。とりあえず、火をつければ燃えはするだろうが、処分の仕方として適切ではない。

それだけはわかる。それだけはわかったれど、別れ方のわからないものは、日々増えていく。溝の中を旅をしている間にも、現実の時間はどんどん進んでいくのだ。

暗い過去も記憶も、ずっと抱えているわけではない。私は笑うし、幸せを感じることもある。でも私は本棚の捨て方を調べてしまう。

市のページを見て、粗大ごみの欄から本棚を見つける。

そうか、1000円くらいで捨てられるのか。

1000円なら、別に大したことはない。少なくとも本棚に関しては、私だけでもなんとかできる範囲に収まってくれているようだ。それがわかると、なんだか安心した。

(つづく)

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